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「金剛輪寺」に行ったので、「湖東三山」制覇のために、残った一寺にも向かいます。
「百済寺(ひゃくさいじ)」。
◯こちら===>>>
ナビに従ったのですが、一瞬「間違えたかな?」という道を走らされました。
急峻な坂を上っていくと駐車場があり、お土産屋さんがありました。
「百済寺は、近江最古の寺院の一つであろうと伝えられている。寺伝によると、聖徳太子の御願により高麗の僧、恵慈が咒願導師となり百済の僧道欣によって供養され、建築は、百済の龍雲寺にならって作られたという。創建は推古天皇法興元年(西暦590年)であると伝えられている。
天養元年(平安時代1144年)天台宗に改宗し、天台別院となった。その後、この地方に多い天台領の後盾により鎌倉時代から室町時代にかけて最盛期をむかえ、堂や坊舎等の建立が相継ぎ、一山の僧俗合せて1200人がこの寺域に住み、そのふもとには百済寺の村々が栄えた。その間、度々の火災や兵火のために再建を繰り返したが、織田信長の「百済寺焼き打ち」の後の再建は困難であった。明応七年(1498年)八月九日の大火により本堂等の中心部を消失し、朝廷へ再建を申し出た時、宮中において中御門宣秀より勾当内侍に宛てた書簡の中に、「なにとも火の由来は存知候はぬよし申候 三百坊の所在にて候…」の記述があり、百済寺三百坊の記述が、この「宣秀記」に残されている。また、の再建のための勧進帖の序文に、七間本堂、五重塔婆、常行堂、大師殿、大聖殿、五大力堂、愛染堂、長徳院、三所神殿、鐘楼、経蔵、桜門、廻廊、と記されており、消失した中心部の記録とある。さらに、その周りの東西南北の四つの谷には、東谷に薬師堂、南谷に阿弥陀堂、閻魔堂、西谷に曼荼羅堂、北谷に地蔵堂、西大門に日吉十禅社、東大門に八幡白髪社、不動堂、北坂に大行事社、北小谷に岩上社、その他にも多くの坊舎があったと伝えられている(後略)」
それぞれの建物がどのような規模だったのか、これだけではわかりませんが、なかなか壮大だったようです。
そして、ここでも信長。
駐車場から階段を上って、入り口です。
「下乗」。
小野道風直筆らしいです(すげー)。
とりあえず、庭園を巡ってみます。
「百済寺城」の一部、だそうです。
小石を積み上げたので、信長に奪われずにすんだそうです。
そんな歴史的な事実を知らない、というのは日本人としてどうなのか(何でも知ってるわけじゃないし)。
庭園の築山(というには高い山でしたが)に上りますと、「最後の山城」「最初の平城」の看板が。
「安土城の礎石の大部分は、織田信長の軍勢が、百済寺城の石垣(湖東流紋岩)を引き抜いて築城したものです。石曳の道(Stone Road)を経由して搬出されました。」
なるほど、そうだったのですか。
そんな感心より、
「何故、「石曳の道」だけを英語にしたのか」
という疑問の方が気になって気になって……。
看板に近い構図。
ガスってますなぁ。
うーん、いい季節でした。
さて、ここから本堂を目指してひた上ります。
……また上るのかぁ……(「金剛輪寺」を上って、けっこう足がぱんぱん)。
「なだら坂」という脇参道は、上りやすく石段をなくしていますが、もちろん私は表参道の石段をがんがん上りましたよ。
ええ。
そんなに上ってないじゃん、と思われるかもしれませんが、けっこう上りました。
その間の写真がないので残念です。
仁王門。
の手前の、「旧喜見院跡」。
庭園に移築される前に、本坊はこちらにあったそうです。
「喜見院」という名称は、須弥山にある帝釈天の居城「喜見城(善見城)」に由来するのでしょう……か?
「弁天」様。
「爆弾低気圧で倒れ」ちゃったみたいです。
本堂。
本堂の外に、忘れられた感じのお社がありました。
本堂に上がる階段から。
本堂の中が、なかなか面白くてですね。
……。
……。
……。
ええ、もちろん一枚も写真がないわけですが。
なんといいますか……妙な俗っぽさというか、サービス精神に満ちているのです。
と、これを書いている今(20140121)には、中のことはほとんど忘れているのですが……。
ご本尊よりも、掛けられていた額の方に注意が行ってしまいました。
なかなか面白いので……どこかに画像が落ちてないかなぁと思ったのですが、落ちていない……。
是非とも、実際に訪れてくださいませ。
ああ、何か悔しいなぁ……今度はちゃんとメモをとりながら行ってみたい。
さて、下りますか。
また下りるのかぁ……。
先ほどの「弁天」様。
ちゃんと島になっています。
仁王門の金剛力士像。
「仁王門と大草鞋の御利益
この「仁王門と大草鞋」は、百済寺シンボルの一つです。作家の五木寛之さんが「百寺巡礼」の第35番目に百済寺を参拝された時に、年齢と体力の点で残る65寺院の巡拝・訪問を大変心配されて、この大草鞋に「満願成就」の願掛けをされて行かれました。(以下略)」
「仁王と草鞋の【豆知識】」によれば、仁王門に草鞋をかけるのは、金剛力士像が「草鞋を履いている」からのようです。
全国、仁王門には草鞋がかかっていることが多いですので、みなさんもチェックしてみましょう。
先ほど通った「喜見院跡」です。
木の根っこ。
けっこう上っているでしょう?
ルイス・フロイスも認めた庭園の築山。
今ひとつ分かりづらいですね。
ふう……足パンパンを通り越してがたがたですわ……。
駐車場からの眺め。
「湖東三山」制覇!とはいいながら、どこも何となく中途半端に終わってしまいました。
じっくりとした解説なんかは、あちこちのHPやブログでやられていると思いますので、こちらでは雰囲気でも感じていただければ。
なお、御朱印は本堂ではなく、最初の門を潜ってすぐ左手、お土産なんかも売っている向かいの寺務所でいただけます。
順番待ちのカードなんか渡されたの久々でした。
「植木観音」というのは、こちらのご本尊が開創当時、根っこのついたままに彫り上げられたから、とのことです。
「湖東三山」、何とかリベンジしたいなぁ……そういえば、秘仏公開の時期があるそうなので、またそのときには行ってみたいと思います!
上るんだよなぁ、また……。