べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「物部神社」(補・「高牟神社」)

10/6。

遠出をしてばかりではいかんいかん、と思いまして。

名古屋市内に目を向けることに相成りました。

以前から気にはなっていたものの、なかなか行けていなかったところ。

物部神社」です。

 

◯場所===>>>物部神社 - 名古屋市東区/神社・寺院・仏閣:マピオン電話帳

 

公式HPはないようですので、とりあえず場所だけ。

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地下鉄で言えば「車道」駅すぐ側。

「赤萩」交差点の角にあります(愛知大学方面から見たら↑な感じ)。

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幟がたくさん立っているので、目に留まります。

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「式内」は、『延喜式神名帳に掲載されている、という意味です。

延喜式』……欲しいんですけれどね……普通に高いです。

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平安時代初期の宮中の年中行事や制度を記した「延喜式」に載る「愛智郡物部神社」にあたるとされる格式の高い神社である。

物部氏の祖・宇麻志摩邇命(うましまじのみこと)を祭神とする。大石をご神体とするところから、石神神社、石神堂などともいう。社伝によれば、この大石は神武天皇がこの地を平定した時に見つけた石で、これを国の鎮めとしたといわれている。

元禄年中(1688〜1704)三代藩主徳川綱誠が荒廃した社殿を修復している。」

ちなみに、『古事記』『日本書紀』ともに、神武天皇が愛知県にまで至った、という記事はありません。

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伊勢から回って大和に入ったようですので、途中で立ち寄ったのかもしれませんが。

また、神武天皇東征は、天武天皇が吉野から逃れて尾張に入り、その後大友皇子を討った道程を正当化するために作られた記事ではないかとも考えられています。

そうすると、本来であれば、尾張に立ち寄っていても不思議ではありません。

書いてないですけど。

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比較的こじんまりとまとまっておりますが、いくつかの摂社もある神社です。

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天神社や、

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大国主之命」を祀った神社もあります。

 

◯こちら===>>>水石の美を求めて 熱田神宮の謎を解く その18 物部神社

 

↑こちらのブログでは、詳しいことが書かれています。

どうやら、近くにある「高牟神社」と関係があるようです。

 

◯こちら===>>>水石の美を求めて 熱田神宮の謎を解く その19 高牟神社

 

同じ方のブログの記事です。

私には、これほど詳しく調べるだけの根性がないです。

ともかく古代、この辺りは物部氏の勢力地だったらしい、です。

物部神社」の御祭神ウマシマジノミコト」(『日本書紀』では、「可美真手命(うましまでのみこと)」は、天孫より先に天降った神「ニギハヤヒノミコト」と、大和の支配者だった「登美長髄彦(とみのながすねひこ)」の妹「三炊屋媛(みかしきやひめ)」との間に生まれた子どもだとされています。

ナガスネヒコ」は、天孫「ニニギノミコト」より先に天降った「ニギハヤヒノミコト」に仕えており、妹をお嫁にやっているということで、その結びつきは強かったものと思われます。

先にいた方が正統性を主張するのは当然で、国譲り神話では「大国主命」は国を譲った(奪われた)後に、出雲に巨大な神殿を築かれて鎮まったわけです(正統性を否定できなかった、つまりそれだけ影響力を持っていた、ということでしょう)。

力のない先住者は、駆逐される過程で「土蜘蛛」だの「国巣(くず)」だのと化け物扱いされていきます。

ナガスネヒコ」は、天津神の末裔「ニギハヤヒノミコト」と争うことなく、妹を嫁に出して、「大国主命」とは別の形で国譲りをしています。

正統な天津神の一族に(姻族とはいえ)加わったわけです。

その「ニギハヤヒノミコト」がですね、「神武天皇」がやってきたらどうしたか、といいますと、義理の兄弟である「ナガスネヒコ」を殺っちまうんです。

所詮国津神(元々、地上にいた神)、天津神である自分とは違うんだよ、ということなんでしょうか。

結末としては、「大国主命」と同様に、「ナガスネヒコ」も領地と命を失ってしまいました。

大国主命」のように、大きな社に祀られてもいません。

怨霊となる資格も奪われている、ということですね。

まるっきり、作られた「やられ役」です。

で、「ニギハヤヒノミコト」はちゃっかり神武天皇に仕えたのか、子どもの「ウマシマジノミコト」は物部氏の遠い祖先になった、とされています。

物部氏は、古代において祭祀を司った豪族です。

物部守屋さんが有名ですが、他にもいろいろな人が活躍しています。

蘇我馬子さんとの戦いで滅ぼされた、と思われていますが、実は石上氏として血脈を継いでいたりします。

物部氏は、天皇家と同様にどこかからやってきて、大和以東に勢力を置き、土着の氏族とも友好的な結びつきを築いていましたが、イケイケの神武天皇(もっと大雑把に、天皇家の祖先)がやってきたので、ひとまず恭順して、その内側に入り込むことに成功した、のかもしれません。

結構な勢力を持っていたはずなのに、中臣氏や忌部氏のように、記紀神話(神代)には祖先の神の活躍がないのが不思議な一族ではあります(蘇我氏もそうなんですが)。

だから、その正統性をうたうために、ここに神話をぶち込まれたのかもしれません。

ナガスネヒコ」も、よく考えてみると、その妹が物部氏の祖先となっている、つまり血脈を残しているわけですから、怨霊となる必要がなかったのかも。

ところで、「ニギハヤヒノミコト」と神武天皇ですが、正統性を争ってもよさそうなものです。

それをしなかったのは何故なんでしょう?

また、神武天皇は「ナガスネヒコ」が、「私の仕える人は天降った正統な天津神だ」と訊ねてきたときに、天津神の末裔はいっぱいいるよん」と答えています。

すごい保険をうってます。

何でもありじゃないか。

なお、他にもいろいろな説がありますので、興味のある方は調べてみてくださいな。

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御朱印は残念ながら、その場では書いていただけない配布のものでした。

ついでに、といってはなんですが、以前もらい忘れた「高牟神社」の御朱印をもらってきました。

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「徳実稲荷神社」の由緒書……読めない。

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「高牟龍神社」。

何となく、撮影してみました。

郷土史も面白そうだなぁ……近所にある神社がかつてはどんな力を持っていたのか、調べてみたくなりますね。

まず、『延喜式』がほしいけど……。

 

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