続きます。
津島神社拝観を済ませまして、(7)。
「天王川お旅所」。
津島神社の「宵祭り」で、御神輿がおでましになる場所です。
○こちら===>>>
http://www1.clovernet.ne.jp/m_hotta/natsumatsuri.html
碑によりますと、堤防ができる前には天王橋という大きな橋が架かっていたようです。
鎌倉時代には、「津島の渡り」と言われて栄えた港町だったらしいです。
天王川公園パノラマ。
ここに巻藁船や車楽船が浮かべられるようです。
なんだっけこれ……津島八景?
(8)。
「秋葉神社」。
「
参道の正面からややずれたところに社がありますが。
怨霊?
なかなかない取り合わせ……?
新しく遷されたような印象を受けます。
(9)。
「堤下神社(とうげじんじゃ)」。
もとは金燈籠社と称し天明五年(1785)天王川築留め以前は川を隔てて津島神社の遥拝所であったと伝えられる。
現在津島神社所蔵の愛知県指定文化財の鉄燈籠があった旧跡である。
祭神は須佐之男命奇御魂となっているが、古くから乳児の夜泣き封じの信仰で広く知られている。
木製の立て札では、「井戸があった」とされており、境内にも井戸の跡が残っています。
一緒に祀られている小さな社が気になります。
(10)。
参道を示す石碑です。
(11)。
「坂口神社」。
地元の神様なんでしょう。
小さいながらに凝縮された感じがします。
(12)。
「大土神社」。
「土、」が正しいんでしょうか。
津島神社の境外末社とされています。
見づらいですが、瓦葺きで、しかも朱色。
何となく、沖縄っぽいですねぇ。
御祭神は「大土御祖神(おおつちみおやのかみ)」。
大年神の御子神、ということは須佐之男命の末裔ですね。
一柱だけ外に置かれているのは何故でしょうか。
うーん……。
(13)。
「興禅寺」の手前にあった、お稲荷様。
この鳥居の、右手の建物が蔵のようになっています。
何が入っているんでしょうか。
中を撮るというよりも、この額「一里塚 吒枳尼天」の文字が珍しいかなと思ったので。
(14)。
さて、津島神社と並んで、狙っていた場所が次の「十王堂」です。
建物としては新しいのですが、中は異空間です。
すごいことが書いてあります。
「津島村の東西南北に十王堂があった」らしいのです。
他のところが残っているのかどうかがわかりません。
が、ですね。
十王というのは、ここにも書かれている通りに、地獄の王様のことなのです。
そんなお方達を東西南北に祀ってる、ということはですね。
どの方角から入っても、「津島は地獄」ってことになりますな。
そして、当然ながら、地獄の中心にいらっしゃるのは、閻魔大王=牛頭天王。
一方で、地蔵菩薩でもあったかもしれません。
緑色の肌……どれがどの王だかわからんです(『地蔵十王経』とか『往生要集』とか読めばわかりますかね……)。
普通の官吏(十王は、地獄の裁判官とみなされ、中国風の官位を着ています)っぽく見せておいて、生首二つ。
当然、地蔵菩薩が中心です。
向かって右隣が閻魔大王です(赤いから)。
ぬお、ピンぼけ……。
白い肌の像は、おそらく奪衣婆。
赤い肌の像は……閻魔大王っぽいのですが、ひょっとすると懸衣翁でしょうか。
奪衣婆が亡者の衣をはぎ、懸衣翁がその衣を枝にかけて、そのしなり具合で罪の重さを量る、らしいです。
で、滔々に馬に乗るお方……謎です。
赤山明神でしょうか。
泰山府君が馬に乗っている、という話は聞いたことがないですしなぁ……。
いろんなホームページを覗いてみると、どうやら津島には十王堂が五カ所あったようです。
どんだけ地獄やねん。
「今三神社」。
御祭神はよくわかりません……。
さて津島。
ざっと回っただけでも、神社仏閣が多くて、楽しい空間でした。
「藤祭り」が開かれるときには、様々な仏閣でご開張が行われるようですので、タイミングが合えばまた出かけてみたいと思います。
○こちら===>>>
http://www.k4.dion.ne.jp/~idea-12w/page015.html
↑津島の歴史はこちらが読みやすいです。