2/10。
真清田神社を堪能した後、思い立ったので歩くことにしました。
(google mapより)
見づらいですが、「1」のポイントで発見。
「三狐神社」。
由来はよくわかりませんが、町中にぽつねんとある感じがなかなか素敵でした。
たぶん、お稲荷さんなのでしょうが、赤くないですね……。
(2/14追記……調べてみると、「三狐神」は「社宮司神」のことのようです。あながち稲荷と関係ないわけでもなく……社宮司→蛇苦止(じゃくし)→荼枳尼、というラインが考えられるみたいです。『日本の神様読み解き事典』(川口謙二、柏書房、1999年)より)。
続いて、「2」のポイント付近。
(また指が……)
この辺りに城があったそうです。
地形的に見て、平城だったんでしょうかね。
そして、
「秋葉神社」。
今は、三菱東京UFJ神社の辺りにあります。
大正八年頃にお祀りされたそうです。
読みづらいですが。
これまた町中で、何となくほっといたしますな。
「3」のポイント。
「冨士・諏訪・稲荷三社」。
境内は、青年の家のある公園になっています。
真清田神社の大祭「桃花祭」のときに、神輿が神社からこちらの「御旅所」まで渡御される、そうです。
○こちら===>>>
http://www.aichi-kanko.jp/search/detail.asp?id=1358
この柵の中に、御神輿が置かれるようです。
拝殿、というか門。
立て札に寄ると、年中行事として左義長から始まり、稲荷社初午祭、諏訪上社例祭、天王祭、諏訪下社例祭、冨士社例祭、秋葉社例祭、と行われています。
左義長ってのは、小正月に門松、注連飾りなんかを燃やす火祭りのことですな。
「どんど焼き」と言う地方もあるそうですね。
私は、名古屋人ですが、あまり左義長をどうこうしたという思い出はないですね……。
「どんど焼き」は、「歳徳神(としとくじん)」という、その歳の恵方にいる神様を祀っていると言われています。
「歳徳神」→「としがみ」→「としがみさま」→「としがみどの」→「としどん」と変化して、「どんど焼き」になったのではないでしょうか。
今、思いついたので、多分嘘です。
中を覗かせていただくと、確かに三社が御祭りされておりました。
境内には、秋葉社。
そして津島神社も祀られております。
真清田神社のお膝元だけに、往時は神社もさぞ多かったんでしょうねぇ。
岐阜街道一宮一里塚跡、もありました。
続いて、「4」のポイント。
「宝部山地蔵寺」。
真言宗豊山派に属するお寺です。
日曜日でしたが、静けさに包まれておりました。
金剛力士像は、それほど大きくはありませんが、何というか、親しみを感じる作りでした。
本堂。
延命地蔵菩薩、と書かれていますので、おそらくご本尊は地蔵菩薩なんでしょう。
参道正面に、なんでか灯籠が立っています。
お寺の場合は、案外こういった作りも多いですね。
梵鐘。
こちら、「聖徳皇太子奉安殿」。
どうして、聖徳太子が祀られているのか……。
かつて、聖徳太子は、様々な職人さんの守護者と考えられていて(特に、木工に携わる職人)、二月二十二日に太子講を行っていたそうです。
日本で初めてともいわれる大規模な伽藍のある寺を造ったり、造仏を奨励したりした、ということから……でしょうかね。
中世以来の職業集団は、自分達の「由来」を作っていました。
自分達の職業の起源が、ある特定の「天皇」に由来する、という文書を作り出し、正当性をアピールする、というものです(『日本古典偽書叢刊 第三巻』等をご参考に)。
聖徳太子もそんなものに利用されたのかもしれないですね。
適当に書いてますけど。
「准四國結願所」と書かれている東門。
どうやら、境内に八十八カ所が置かれているようです。
○こちら参照===>>>
http://www.aruku88.net/tera/201ichinomiya/ichinomiya/jizouzi-honmachi/index.html
……私の記事を読む必要はないですな、
ちなみにこちらのお寺、東海三十六不動霊場、尾張四国霊場の札所になっているようです。
ですので、おそらく、御朱印がいただけます。
私の場合、御朱印をいただくことが目的、というわけでもないので、静かにお参りさせていただいただけですが。
お寺って……
お墓があるから、何となく、プライベートな空間っぽい
ですよね。
でかいお寺は別ですが。
生活に密着している、っていうのは、宗教施設としては、非常に正しいと思います。
さて、いよいよ「5」のポイント。
あれ……?
確か、尾張国一宮って、「真清田神社」ではなかったでしたっけ?
そう、一宮。
二つあるんです。
『延喜式』の式内社であり、郷社(村社より格が上)であったことから、大きな神社であることは間違いないと思われますが、現在の真清田神社に比べますとちょっと寂しいといいますか。
大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。
奈良時代に国司が赴任して、国中の神社を代表して、国府宮の「尾張大國霊神社」を尾張の総社に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言うことで「尾張の一の宮」に指定した。『文徳実録』『尾張國帳』には従一位大名神とあり三宮明神、三明神(神田からとして珠、鏡、矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長五年延喜式神明帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
尾張の國中には、大名神八座・小一二三座あって、当時の大名神八座の内の一座である。
とあります。
奈良の「大神神社」というのは、古い信仰体系をよく保存している(拝殿はあっても本殿はなく、三輪山そのものが御神体)神社ですね。
訪れたことはないですが、一度行ってみたいと思っています。
拝殿。
ピンク……いや、最初は朱だったのが色あせた、ということだと思います。
神馬の像。
本殿と摂社は、垣の内で拝見できません。
本殿正面に、塀があります。
「蕃塀」と呼ばれる、本殿を直視しないようにするための、神社独特の様式、らしいです。
ある神社もない神社もあります。
一つだけ、摂社にも直接お参りができました。
何社なのか読めないです。
一宮市指定の文化財である「木造狛犬」がおさめられているそうです。
あれ……ひょっとすると、拝見できたのでしょうか。
とってつけた感じの拝殿……あれ、どうやら本物の拝殿は、このピンクの建物の後ろにあるようです。
どんな意図なのでしょうか……。
パノラマってみました。
ちょっと、位置関係が判りづらいのですが、鳥居を入って、本殿にたどり着くまで、参道が曲がっております(左に曲がり、また右に曲がる。鳥居から見ると、本殿が左にずれています)。
はい、どういうことかといいますと、
悪霊除け(悪霊を中に入れないため)か、
怨霊封じ(怨霊を外に出さないため)、
のどちらかです。
日本の悪霊/怨霊は、実は「直進しかできない」のです。
なので、参道を曲げることで、悪霊を「中に入れない」か、怨霊を「外に出さない」ようにしています。
大物主神は、日本神話でも稀代の「祟り神」です。
この場合は、怨霊(ではないですが)を「外に出さない」ようにしているのではないか、と思われます。
ええと……
高田崇史さんの受け売りですから。
一宮ですので、御朱印もいただけるのですが、宮司さんは常駐しておられないということで、事前の連絡が必要だそうです。
もちろん、そんなことしていませんので、ここでもいただいておりません。
初心者には高いハードルです。
○こちら参照===>>>
http://www.genbu.net/data/owari/oomiwa_title.htm
ま、当分は、メジャーなところ狙いで御朱印をいただくことにします。
で。
当然なんですが、尾張國で一番格が高いのは、
熱田神宮です。
何故、一宮にならなかったんでしょう。
官制っぽいのに、一宮が二つあったりする、よくわからない「一宮制度」。
厳格じゃないところが、日本っぽかったりもしますかね。
いやぁ、結構歩いた歩いた〜。