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さて、後半戦。
日泰寺、思っているよりも見所が多いです。
○こちら===>>>http://www.nittaiji.jp/kakuouzan/index.html
その一、「覚王山新四国八十八ヶ処」。
言わずと知れた、四国八十八ヶ所霊場が模移されたもので、日泰寺敷地の東〜北辺りの外縁に沿って置かれています。
○参考===>>>http://henro88.net/010kisochishiki/emon.html
↑個人のHPだそうですが、非常によくまとまっていて、大変見やすいです。
こちらが一番札所。
そこから八十八番まで続いています。
こちら五番札所。
柵の中にあって、入れませんでした。
衛門三郎堂。
お遍路の開祖と考えられている、河野衛門三郎を祀ったお堂のようです。
本家では、十二番札所の焼山寺に当たるのでしょうか。
衛門三郎の説話は、
伊予国浮穴郡荏原郷(松山市久谷恵原荏原)に住んでいた河野衛門三郎という強欲非道な大百姓の前に、托鉢の僧(実は弘法大師)が現れる。昼寝を邪魔された衛門三郎は、僧の鉢をたたき落として八つに割ってしまう。すると、八人の子供が次々と死んでしまう。夢に現れた僧に、「悔い改めろ」と言われた衛門三郎は、その僧を探して、四国をあちこち歩き回った。二十数回目、焼山寺でついに倒れた衛門三郎の前に僧が現れ、「これで罪は消える。望みはないか」と訊ねた。衛門三郎は、「河野一族の嫡子に生まれ変わらせてほしい。次こそ人の為に生きる」と願うと、その手の中に「衛門三郎再来」と書かれた石が握らされた。
数年後、伊予国道後湯築の河野家に赤子が生まれる。その左手はしっかりと握られたままだった。安養寺の住職から「きれいな水で洗えば開く」とのお告げがあり、洗ってみると、「衛門三郎再来」と書かれた小石が出てきた。その後、安養寺は、石手寺に改称した。
といったものです。
ちなみに、
○===>>>http://www3.airnet.ne.jp/ashen/SASUKE/wr3men.htm
↑こちらで見られる「死国衛門三郎」の中の人は、新崎人生選手です。
得意技は「死国突き」。
鯖大師。
本家では、
○四国別格第四番札所鯖大師===>>>http://www.sabadaishihonbou.jp
のようです。
弘法大師が、塩漬けの鯖を生き返らせた、という伝説にちなんだ場所です。
私が涼村暁なら、「鯖じゃねぇ!」と叫ぶところです(『シャンゼリオン』、知ってますか?)。
番外一本杉。
○参考===>>>
http://tadashimatunaga.web.fc2.com/bangaireijou/tokusima/file02/01_10.htm#5
↑こちらのHPを参照させていただきました。
本家を回っていないので、「番外霊場」が何か知らなかったのです。
何を持って、正当な「番外霊場」かはわかりませんが、すごくたくさんの霊場があるらしいです。
さすがは「死国」。
日泰寺に行かなければ、調べることもなかったかも。
有り難い。
こんなところもあります。
そうか、弘法様ですもんね、密教ですもんね、そりゃ仏様もたくさんいますよね。
素朴な御不動様。
恵比須大黒、布袋に福禄寿、でしょうか。
こんな感じで、小さなお堂が連なっております。
弘法さんの日(毎月21日)には、参道に縁日が出て、かなりの人手です。
私は行ったことありませんが。
おそらく、巣鴨とげ抜き地蔵のようなにぎわいなのでしょう。
そして、その日には、すべてのお堂が回れることでしょう。
多分。
ちなみに、私は、「逆打ち」(八十八カ所を逆から回ること)っぽく回ってしまいました。
だめですねぇ。
その二、「奉安塔」。
境内から東に降りる階段があります。
途中で小さな社があったのでお参り。
「眞清田弘法大師縁起」と書かれています。
どうやら、尾張一宮の「真清田神社」の御神体で、弘法大師縁のものでしたが、廃仏毀釈のため神社から分離され、こちらに祀られたようです。
同時にこの地には、二大竜王(難陀、跋難陀)も祀られていたようで。
弘法大師といえば、請雨にも霊験を発揮されたお方ですので、竜王もやはり請雨にご利益あり、でなんか一緒になっちゃったんでしょうか。
適当なこと書いてますので、信じないでくださいね。
その向かいには、小さな仏様が。
大きいのは、「馬頭観音」。
交通安全にご利益ある、そうです。
さて、やってきました「釈尊御真骨奉安塔」。
立て札によりますと、
日泰寺は、タイ国王(当時シャム国)より贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安するため、明治三十七年(1904)いずれの宗派にも属さない単立寺院として創建された。
この奉安塔は仏舎利を祀るもので、この姿はガンダーラ式と呼ばれ、日本や中国の仏塔の祖形と考えられる。高さ十五メートル、全国でも稀にみる一大石造塔である。
とのことです。
全世界で、仏舎利と伝えられるものを合わせると、とんでもない巨人になる、という話を京極夏彦の小説で読んだことがあります。
ここに祀られているのは、御真骨らしいので、有り難いことですね。
ま、私のような凡俗には関係ないですが。
右側の石碑、多分高さ5メートルくらいあります。
こんな板がとれるような石があるんですねえ。
手水桶の足が、象。
寺院らしいですねぇ。
シャム国時代、タイ国時代の国王参拝記念の碑があります。
紋は……なんでしょうか。
この奥に、「奉安塔」があります。
手前に、小さいですが、涅槃像と思われるものがあります。
で、
残念ながら、ここまで。
近くで参拝できないのです。
まさか、盗もうとする輩がいるわけではないでしょうが……。
その他。
「奉安塔」裏にある戦没者慰霊碑。
殺生禁断。
東山給水塔。
実は、現在貯水池増設のため、公開されていないので。
○こちら===>>>
http://www7.plala.or.jp/tower/higashiyamawater/higashiyamawatertower.html
↑こちらのHPが参考になります。
覚王山、標高が高いので、地元にいてもこの給水塔にはなかなか気づかなかったりします。
「浄め石」。
おそらく、「マニ車」が元になっているのではないでしょうか。
回しながら御祈りするようです。
○「弘法さんかわら版」===>>>
http://www.oh-kouhei.org/kobo/kobo1207.html
↑こんなHPも見つけてしまいました。
世の中には多くの先達がいるものです。
私、とあるバイトをしていたことがあるのですが、そのときの勘違いから、「日泰寺」は曹洞宗のお寺だと思っていました。
この年になって、超宗派の寺院だと知り、地元侮りがたしだな、と。
こういうことを、もっと刷り込んでおかないといかんのではないでしょうか。
というわけで、節分の「せ」の字もなかった覚王山日泰寺を堪能してまいりました。