べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「豊国神社(とよくにじんじゃ)」

1/19。

休日は歩こう、をテーマに過ごすことにしている本年。

神社仏閣巡りが最適ではないか、と思って、頭に浮かんだのは「豊国神社」。

名古屋市HP===>>>http://www.city.nagoya.jp/kyoiku/page/0000010622.html

地下鉄東山線「中村公園」駅を降りると、大鳥居があります。

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幼少期、中村区で過ごした私には懐かしい、おなじみな風景。

アオキスーパーは、昔は「ジャスコ」でした。

ジャスコで万引き〜」という不謹慎な替え歌を歌っていたものです。

この日は「九の市」という朝市(?)が開かれておりました。

大鳥居のある交差点を車両通行止めにして、長い参道から出店も出る「太閤祭」(五月)はかなり大掛かり。

迷子になって、親にめっちゃ怒られた記憶があります。

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境内に入ると、小さな橋があり、その先に本殿が。

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豊臣秀吉の肖像画がかかっていたりします。

創建は比較的新しく、明治十八(1885)年。

時の県令・国定廉平が、地元有志の声を受けて創建した、ということです。

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尾張三大英傑、といいますと、「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」。

尾張は、徳川時代「御三家」でしたが、その家格が災いしてなのか、明治維新後には政府になかなか人材を送り込めず、苦汁をなめたという経緯があります。

そんな中で、もはや「徳川の世」ではない、故に「豊臣秀吉」を祀ろう、というのは何か意図があったように思えてなりません。

ま、妄想はどうでもいいですが。

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境内は、「中村公園」とも隣接しています。

子供の頃は、かなりの広さだと思ったものですが、大人の足で歩いてみると、それほどでもなくて、ちょっと寂しかったです。

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競輪場が裏にあります。

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池には、日吉丸(秀吉の幼名)と仲間たちの銅像があり、幼少期はここに入り込んでいたずらしていた気がします……。

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大正天皇御手植えの松があったり、

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なんだろうこれ……灯籠かな……。

本殿北東(鬼門)には清正公社(加藤清正)があり、境内には八幡社があります。

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加藤清正が出陣にあたり祈願した、ということらしいですが、そういう事実はないそうです。

ただ、故郷に神社を三カ所作ったことは確かなようで、その一カ所でもおかしくないと考えられているらしいです。

そう、中村区というのは、豊臣秀吉加藤清正の生誕地と考えられているわけです。

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秀吉の幼名「日吉丸」にしても、日吉村(現・日吉町)に由来するのではないかと言われています。

「清正幼稚園」や「千成小学校」なんかが地元にはありまして。

幼少の頃から何となく刷り込まれているわけですな。

中村公園内にはかつて、「豊正二公顕彰館」という施設があったのですが、中村図書館建て替えとともになのか、なくなっておりまして、「秀吉清正記念館」というのが新しい中村図書館内に作られておりました。

ちなみに、昔の中村図書館は、なぜかギリシア様式っぽい謎の建物になっており、今は稲葉地公園に移築されております。←昔から稲葉地公園にありました(20141206)。

 

○アクテノン===>>>http://www.bunka758.or.jp/scd20_top.html

 

死の翌年、慶長四(1599)年に、後陽成天皇により「豊国大明神」の称号と正一位を与えられた豊臣秀吉(関西では「豊国」は「ほうこく」と読むことが多いようです)。

政治的意図がもちろんあったでしょうね(天皇から与えられてる、というところが)。

後に徳川家康への神号を決める際、「秀吉と同じ神ではいやだ」ということで、「東照大権現」という神号になった、という話が残っていたりします。

信長のもと、ライバルだった二人の関係性の複雑さが伺えますね……とそれっぽいことを書いてみました(死んだ後のことなんて、二人にゃ関係ないですわな)。

懐かしさを噛み締めながら、鳥と野良猫がやたら多いなぁと思った、都会のオアシスでした。

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ルーツ的には最初にもらいたかった御朱印かも。