べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「菊名神社」(横浜市港北区)

6/16。
よんどころない事情により横浜に出かけまして、さて要件も済み、どこかへ……ということで行ってみました菊名神社」

 

○こちら===>>>

www.kikunajinja.jp

 

いや、めったに乗らない横浜線なんか乗りまして(20数年前はよく乗った)、菊名駅で降りたのは初めてかな……もっぱら新横浜と町田、相模原の行ったり来たりだったからなぁ……昔厚木に住んでました。

 

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鳥居。
思っているよりもずっとこじんまりとした敷地でちょっと驚きました。

 

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ええと……「菊名総鎮守 菊名神社」ですね。
御祭神は「誉田別命」「天照皇大神」「日本武尊」「木花咲耶姫命」「武内宿禰命」……八幡、神明社浅間神社、あとはなんでしょうね……。
由緒が読めない……。
↑のHPより、

 

「ここ菊名の地には、昭和の初期まで神明社(天照皇大神)、杉山神社(日本武尊)、浅間神社(木花咲耶姫命)、八幡神社(譽田別命)、阿府神社(武内宿禰命)の5社が村社として地域の人々の信仰を集めて参りました。中でも記録に残るものとして最も古くからあるのが、阿府(あぶ)神社であり、その歴史は任和元年(885年)に遡るといわれております。時の天皇光孝天皇が師岡に勅使を遣わされ熊野神社を創建なされた時、勅使がその途上、馬具の鎧をお納めになったことからその名が付いたと史書には書かれております。
 この5社が昭和10年、現在は菊名町公園となっている杉山神社の地に合祀され、名も「菊名神社」と改められました。その後、太平洋戦争の戦火を逃れてからは、同所を保健所建設用地として提供するため、当時の八幡神社の地(現菊名神社の地)に社殿を移設、以降この地で菊名の総鎮守として地域の人々とともに歩み、またその生活を見守り続けて参りました。
 この間、氏子崇敬者の厚いご協力の下、昭和32年には社殿の改修および社務所・神楽殿が建設され、信仰の対象としてだけでなく、地域住民の交流と青少年の研修の場としても大きな役割を担うこととなりました。そしてこの度平成23年には、50年ぶりの大々的な社殿改修工事を終え、21世紀に相応しい姿となって生まれ変わりました。
 新たに完成した拝殿の天井には、中心に「菊」の花を配し、四方にはがまんさまによって守られる24枚の天井画が飾られております。テーマは「菊名の絆」です。これは社殿は新しくなっても、菊名の総鎮守として以前と同様、変わらずこの地の人々とともにあることを示しているのです。拝殿には、24枚の天井画、輪になって咲く菊の花が中心に描かれ、四方は開運招福を呼ぶ四季を背景にしたがまんさまで守られています。」

 

だそうです。
そうか、「杉山神社」は「日本武尊」が御祭神でしたか……横浜、多いんですよね、「杉山神社」。

 

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木鼻……構造的なものではなく、飾りだけになっております……でも残っていてくれるだけでもありがたいか。

 

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「がまんさま」……読めない……ここは、神社で購入した「港北区神社誌」という素敵滅法な冊子(発行は港北区神社氏子総代会さん)のp32より、

 

「がまんさまとは、鳥居をくぐり左手側、手水鉢の四方を支えている四体の「鬼の石像」のことで、寛政年間(一七八九〜一八〇一)に築かれたといわれている。がまんさまは、苦難なことに耐え、同じ仕事に飽きることなく、不平も言わずにじっと忍耐して、長い年月にわたって手水鉢を守り通している。そのがまん強いお姿は、人の進むべき道を諭しているとして、昔より人々の親と尊敬を集め、今に至っている。」

 

とのことです。

 

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拝殿遠景。

 

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狛犬さん。
今まで、岡崎型(というんでしたか)の狛犬さんで、彩色されているものは「おいおい」な感じに思うことがありましたが、こちらはよい具合に塗装されているのではないかと思います。

 

 

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こちらが「がまんさま」です。
鬼……なんですかね……何か、もうちょっと意図のある意匠にも思えます……力士とか……あ、鬼か……ううむ、不思議な造形。

 

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神明社」。

 

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おっと、こちらに「がまんさま」の由来がありました。

ふうむ、残っているのは一体だけですか。

 

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御朱印

「がまんさま」大人気。
すでに結構な暑さだったように記憶していますが、御朱印を待つ人も多く、涼しい社務所の中で待つことができました(今は、コロナで難しそうですね……)。

 

さて。

 

○こちら===>>>

横浜市史稿. 神社編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

久しぶりの『横浜市史稿』の神社編から。
205コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
まず、社格は村社の「八幡神社」から。

 

八幡神社は、神奈川区菊名町字和田前七百十六番地に鎮座。境内は百四十三坪。同町の鎮守である。
由緒は不詳で、維新前は、大豆戸村の本乗院が別当であった。明治六年、村社に列せられた。
祭神は応神天皇
社殿は入母屋造。本殿(略)は草葺、向拝附。
附属建物には、石鳥居(明神形)一基、手水鉢一箇、玉垣がある。
(以下略)」

 

続いて、無格社の「神明神社」。

 

神奈川区菊名町字籠久保二百九十五番地に在る。境内は五百十七坪(略)。
由緒は不詳。維新の前は、諸岡の法華寺で進退した。
祭神は天照大神
社殿(略)は亜鉛葺、外に石鳥居(神明形)一基、手水鉢一個がある。
(以下略)」

 

そして「阿府神社」。

 

「阿府神社は、神奈川区菊名町字宮谷六百五番地に在る。境内は百六十五坪。同所宮谷で奉祀して居る。
由緒は詳でない。往古は鐙明神社と云つたものと伝へ、武蔵風土記稿には「鎧明神社。村の艮にあり。土人の伝へに云、往古貴人のここを過ぎる時、乗たる馬の鐙をここへ落せしかば、其鐙をもてかく崇めたりと。篠原、長福寺持。」とある。享保七年、元文四年、安政三年、明治三十一年の四度に、社殿の造営をし、最近は大正九年に社殿の修築と家根の葺換とを行つた。明治初年に無格社に列せられ、阿府神社と改称したものである。(略)
祭神は武内宿禰
社殿(略)は亜鉛葺。
例祭は無し。
(略)」

 

そして、「杉山神社」。

 

杉山神社は、神奈川区菊名町字宮田に四百八十六番地に在る。境内は一千十三坪。(略)同所宮谷で奉祀する。
由緒は不詳。維新の前は、諸岡村の法華寺別当して居たといふ。
祭神は日本武尊
社殿(略)は亜鉛葺。外に石鳥居(明神形)一基がある。
祭礼は無し。」

 

浅間神社」は載ってなかったです……安易にこういう便利な本を頼っては、と思って、『新編武蔵風土記稿』も見てみましたが、引用されている以上のものはなく、でした。
境内地の広さを見てもわかりますが、最初「杉山神社」に合祀されたときは広大だったんでしょうね……「八幡神社」では、境内地が9分の1くらいですから(官有地もあったりしますので、一概に「杉山神社」が土地を持っていた、というわけではないのかもしれません)。
で、思ったんですが……「がまんさま」は、五社のうち、どの神社にあったんでしょう?
この流れで行くと、「八幡神社」にあったと見るべきでしょうか……「手水鉢」がある、とわざわざ書いているくらいだし。
でも、「神明神社」にも「手水鉢」は書かれているんですよね。
……みなさん気にならないのかな……よそ者の私が気にすることではない、ということにしておきましょう(そこまで案内してくださるとありがたいですが)。


港北区の神社、全部巡ってみたいな、また横浜に行くことがあればそれも……と思っていたらこのコロナですから……。


地元と東京以外であまり神社巡りをしていなかったので、一箇所とはいえ楽しかったです〜(時間がもう少しあれば、いくつか巡ってみたかったです)。