べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「目黒界隈」〜「五百羅漢寺」「目黒不動」「大鳥神社」〜

5/19。

目黒ということですので、目的地は五百羅漢寺でした、はい。

 

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「五百羅漢寺」 - べにーのGinger Booker Club

補遺・「五百羅漢寺」 - べにーのGinger Booker Club

補遺補遺・「五百羅漢堂」 - べにーのGinger Booker Club

 

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まあ、写真にとるところがあまりないといいますか、羅漢様とか撮影禁止ですから……。

 

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御朱印御朱印帖。

 

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大日本名所図会. 第2輯第6編 江戸名所図会 第4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』をみていただくと、往時、いかに大きな寺院だったのかがわかります。
このまま残っていたら……と思うと残念でなりません。
で、今回『江戸名所図会』をみていて思ったのですが、

 

 

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ご本尊の後ろに、まるで後戸の守り神のように、みんな大好き「獏王」像があったことが図絵に描かれています。
ところで、まるで狛犬のように、もう一体、瑞獣っぽいものが置かれているんですねこれが。
麒麟」っぽくみえます……が、ひょっとしたら「獬豸(カイチ※OSなどにより表示されない場合があります)」なのかな、と。

 

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カイチ - Wikipedia

 

しかたなくwikipediaさんです。
うーん、「獏王」だけが残って、その対となる瑞獣のことは残されていないのか……。
教えて偉い人。

 

続いて、裏道を通っての、目黒不動

 

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「泰叡山瀧泉寺」 - べにーのGinger Booker Club

 

前回も同じルートでしたが、大雨でないだけ随分まし、と。

 

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まずは山王鳥居……あれ、ありましたっけもともと?
天台宗、ということであれば山王一実神道、ですから。

 

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本堂。

 

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狛犬さんズ。
可愛い……。

 

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これは、なんだっけ……近寄れなかった気がします。

 

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ああ、「八大童子」だ。

 

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ぬるりと、犬っぽい狛犬さん。
狛犬ワンダーランド。
リアルな犬っぽい狛犬さんがいるのが、「犬公方」の影響だったりしたら面白いですね。

 

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こっちのうなだれ狛犬さんもよろし。

 

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象。
急に。

 

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烏枢沙摩明王」。
急に(公衆トイレの前に立っていたと思います……ほら、東司の守護神ですから)。

 

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お狐様。

 

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「恵比寿」様。

 

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お狐様だらけ。

乱雑になってしまいましたが、ワンダーランド。

 

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御朱印

 

そういえば、「目黒不動」は引用してなかったですね、ということで。

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大日本名所図会. 第2輯第6編 江戸名所図会 第4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』から……多いですけれども。
53コマです。

 

目黒不動
同所の西、百歩のあまりにあり。泰叡山瀧泉寺と號す。天台宗にして、東叡山に属せり。
開山は慈覚大師、中興は慈海僧正なり。
本堂不動明王 慈覚大師の作、脇侍は八大童子なり。
(略)
八幡宮 早尾権現 祭神猿田彦大神。或は素盞嗚尊ともいふ。祭礼は五月十五日なり。此堂何れも本堂の左に並ぶ。
恵比須大黒祠
鐘楼
水神宮
愛染明王
大行事権現 此地の地主神なり。祭神高皇産霊尊なり。五月十五日祭礼あり。
石不動 何れも本堂の右にあり。
稲荷祠
地蔵尊 掌善・掌悪の二童子を置く。
聖観音
開山堂
聖徳太子
天照太神
本地大日如来 本堂の後、峙ちたる山の腰を切り割りて安置す。俗に奥の院と称する。
吉祥天女
天満宮
鬼子母神 十羅刹女祠 虚空蔵堂 遮軍神祠 何れも本堂の後に並び建てり。
結神祠
役小角 女坂の中程にあり。銅像にして前鬼・後鬼の像あり。
三仏堂 弥陀・薬師・釈迦等の三尊を安ず。
子安明神 鬼子母神なり
疱瘡神 粟島明神 石地蔵尊 秋葉権現 六所明神 荒神祠 何れも二王門を入りて右の方にあり。
弁財天祠 江島弁天の模なり。
地蔵堂 堂内焔王・脱衣婆等の像を安せり。
観音堂 中尊は聖観音、廻に西国・坂東・秩父等の札所百番の観音を安置せり。
勢至堂 稲荷祠 前不動 左右に十二天の像を安置す。何れも楼門の左の方にあり。
楼門 左右に金剛・密迹二王の像を置く。裏に使者犬の像を置けり。
独鈷の瀧 当山の垢離場なり。往古承和十四年、当寺開山慈覚大師入唐帰朝の後、関東へ下り給ひし頃、此地に至り、独鈷杵をもて此地を穿ち得たまふとぞ。常に霊泉滔々として漲り落つ。炎天旱魃といへども涸るる事なく、末は目黒一村の水田に引き用ふるといへり。昔は三口にわかれて湧出せしが、今は二流となれり。そのかみ一年此瀧水の涸れたりし事ありけるが、沙門某江島の弁天に祈請奉り、再び元の如しとぞ。故に今も年々当寺より江島の弁天へ衆僧をして参詣せしむる事、怠慢なしといへり。[和漢三才図会]に倶利伽羅の瀧とあり。
鷹居の松 旧名匂松、又腰掛松とも號く。石階の下にありて蒼々たり。寛永の頃、大樹此地に御遊覧ありし時、其御鷹翦れて行方をしらず。依て別当実栄に仰の旨ありて祈念せしむ。然るにたちまち御鷹飛帰り、此松にとどまれり。依て御感ななめならず。此樹に鷹居松の名を賜ふといへり。
縁起云く、平城帝の大同三年、慈覚大師本国下野国より、叡山に赴き給ふ頃、此地に投宿あり。然るに其夜の夢中明王霊示ありて、永く此地に跡を垂れ、群生を度せんと曰ふとみて覚めたり。翌日夢中拝する所の尊容を模して、今の本尊を彫刻し、当山に安置し給ふ。或人云ふ、此地は日本武尊を鎮る所なり。慈覚大師此地経歴の頃、不動尊の像を彫刻して神体に擬せらる。其故に、日本武尊駿河に狩し給ふ時、凶徒放火して尊を襲う其時、尊の佩び給へる叢雲の剣を抜きて、狩犬の綱を切りて放ち、燃え來る草を薙ぎ払い給ふ。尊其火の中に立ちたまふ形相、さも明王の形に似たるを以て、これに比せしとぞ。犬を当山の使者とするもこのゆえなりといへども、此説いまだ考へず。しかありしより千歳の今に甫ぶ迄、理智円明の威力広大にして、迦楼羅焔の徳用深妙なり。元和元年の春、此地の在家より火出でて、餘焔御堂に覆ひし時、本尊みづから猛火を除れ出でたまひ、瀧の下に留り給ふ。人皆奇なりとす。寛永元年大将軍此地に狩し給ひ、同十一年御再興ありしより、結構備りたり。此地は遥に都下を離るるといへども、詣人常に絶えず。殊更正五九の月二十八日、前日より終夜群参して、甚賑へり。又十二月十三日は、煤払にて開帳あり。是も前夜より参詣群をなせり。門前五六町が間、左右貸食軒端をつどへて、詣人をいこはしむ。粟餅・飴および餅花の類を鬻ぐ家多し。

 

そうか、天台宗でしたね、当たり前ですが「日吉大社」に重なるわけです。
絵図をみると、今の堂宇配置とそれほど違いはありませんが、いくつか御堂が失われていたりもしますので、比べてみると面白いと思います(独鈷の滝、男坂女坂は往時のままかな……)。
五色不動といったらもう、『虚無への供物』なんですけれども……あれ、『匣の中の失楽』だっけ……記憶が薄れてきたなぁ。

 

「粟餅・飴および餅花の類を鬻ぐ家多し。」

 

目黒の餅は、さんまよりは有名だったようですが(そうなのか?)、鬻ぐといったら餅や飴だけではない……と思ってしまうのが高田崇史ファンの悪い癖です。

 

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ついでに、ではないですが、「大鳥神社」にも寄りまして、御朱印をいただいてきました。

 

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「大鳥神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

『江戸名所図会』の「目黒不動」のところで、唐突な感じで「日本武尊」が出てくるのは、近くに「大鳥神社」があるからなんでしょうねきっと。

目黒は、じっくり巡りたいんですよね本当は……奈良にも京都にも大阪にも東京にも住みたいですねぇ……。
それはともかく、次の目的地へ〜。