べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「土江神社」(名古屋市中村区)

7/15。

前々から気になっていたものの、訪れていなかったところを、ということで「土江神社」へ。

 

○こちら===>>>

名古屋市:日比津・大秋の里散策コース(詳細)(中村区)

 

↑中村区の史跡散策路のHPです。

 

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……公園?

 

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ああ、公園の中にありました……境内が公園になってしまった、ということでしょうか。

 

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「郷社 土江神社
祭神 少彦名命
由緒
此の所に始めて祭れる年月は不明なれども本国神名帳従三位土江天神と載す 尾張誌に社地今狭小となりて荒蕪し社傳詳かならず 天神と稱する祖号しければ帳内神社の列に稱へ奉らんと見ゆ 上古に国司長官親ら参拝して着任を申告し又常に朔幣を奉りし御社なり(以下略)」
(※カタカナをひらがなに改めた/また、「土」は「ヽ」が書かれている)

 

なかなか珍しい、「少彦名命」を御祭神とした神社です。

 

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手水舎。

 

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狛犬さん。

 

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燭台……あれ、「泥江神社」……。

 

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本殿。

 

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一角にあった祠。

 

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本殿(反対側)。

 

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拝殿。

 

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参道。

 

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境内遠景。

 

さて。

尾張名所図会』には一応「土江天神社」として記事があるのですが、荒廃してますよ、という案内のみ。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

↑『尾張志』の5巻「愛知郡」より。

19コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「天神社
日比津村にあり 府志云本国帳従三位土江天神恐くは是ならむ 今社地荒廃不知其伝惜哉といへるはまことに然事也 されともこの土江天神とあるはただ一本の国帳のみにて貞治の熱田本元亀の国衙本にはともに入江天神とありて土江天神といふ名目なく 又土江天神のある古本には同郡泥江県天神とも載たれと入江天神なし かかれは土江と入江と名はことなれと全同地なるへく泥江県と土江とは同社混合したる様なれと もとより別地異神なるもの也 其ゆゑはまつ此日比津といふ村名は近世の訛にてもとは泥津(ヒヂツ)と呼り 日々津むら常徳寺の古蔵書応永八年にかけるものに愛知郡泥津長秋山常徳寺建立の事云々とあるを近年此寺にて見たり ヒヂといふ語をかくあやまれるは万葉集に比治寄(ひぢき)の奈太とよめるを今ひびきの灘と呼と同儀也 扨此ヒヂエといふことは上古に愛智海の入江の湿地故に負る名なる事明くさして然いふ地はやや広かりしなるへし 今の広井より日比津のあたりまでみな泥江の内なれはかくいへり 其所の殊さらに高■の土地を泥江県(略)といへりしならん 県はもと上田の意なる◼︎◼︎つりては公◼︎官舎の在所をもいへり 今の広井村是其地也 かくて其愛智海の入江の形勢は古図なけれは知べきよしなけれと所のさまにより古伝説に随ひ古書を考へて按に熱田より北は舊渡村広井村あたりまての西づらを東のはてとして西南の方は海東郡榎津村伏屋村なとの東づら北の方へ長く亘れる其北東の極は此泥津西の方は甚目寺村あたりを限りやや広くつらなれる入海なりけむ 甚目寺萱津あたりを阿波手の浦といへり 其は九百五十余年も以前仁和の頃の事也とぞ (略) 上にいへる国帳に土江入江と社号のことなるは元来二本二やうの古伝説有し故ならむ (略) 土江泥江県の二神広江泥津の二村に坐も故縁ある事なるへし 又泥津に在て土江と社号の異れるは川原神社の川名に坐がごとく諸国にも証例あり 府志にいへるごとく此社地狭少になりて荒蕪したけれども遺跡猶定かなるのみならす天神と申す社号さへ正しければ舊にかへして帳内神社の列に稱挙奉らまほしけれと後の識者の定めと俟てしはらく舊社の並につらねつ」


○こちら===>>>

「泥江縣神社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

「油江天神社」(名古屋市中村区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「泥江縣神社」、「油江神社」の記事です。

比較的近い地域内にありますので、なんらかの混同が生じた可能性は高いかと。

尾張志』の記事で万葉集を引いていますが、「ひぢ」が「ひび」へ変化する、という例は確かにありそうです。

地名として、「ひびつ」だと意味がよくわからないのですが、「ひぢつ」だとすれば「泥の多い岸」だったんだろうな、という想像ができますし。

あ、「ひぢ」が「泥」のことだったらしい、というのは、『古事記』で「うひぢにのかみ」、『日本書紀』で「うひぢにのみこと、すひぢにのみこと」(神代七代)という神がおられるところからもうかがえます(国土が泥のようだったことを表現していたのではないか、と考えられています)。

そして、江戸時代以前の漢字表記はゆらぎが大きくてよくわかりませんから、「土江」も「泥江」も「ひぢえ」だったんだろう、と。

となると、近くにある「油江」はなんなのかというと、「泥」の書き間違いから生じたんじゃないかな……というのが『尾張国神社考』(津田正生著/発行ブックショップ「マイタウン」)の記事にもありまして、それが的を射ていると思います。

尾張志』では、「油江」は地名だけど、もう神社名にしか残っていない、ということなのですが、「あぶらえ」って地名が珍しい……菜種油が大量に取れたから、といって「江」は付かないんじゃないか、あるいはこの辺りが岸辺だった頃には鯨が上がって鯨油でもとれたのか、って感じで……石油(臭水)はわいてないでしょうし……一番簡単なのは、「泥江神社」が分祀されて(それにしてはちょっと近すぎるかな……)、その結果、一方が「油江」になってしまった、という感じでしょうか。

「泥江縣神社」は、古くはともかく途中から八幡信仰に取り込まれていますが、「土江神社」「油江神社」はどちらも御祭神が「少彦名神」と伝わっています。

氏神として「少彦名神」というのも珍しいですが、医術の祖であり、鳥獣害を防ぎ、薬草の知識をもたらした「少彦名神」なので、そういったことに長けた人たちがいたのかもしれません(謎)。

「土江」と「入江」も、書き間違いだと思うんですよね……「土」と「入」なんて、続けて書いたら似たようなもんですから(暴論)。

「泥江縣神社」のほうは、以前の記事でもありますが、「ひぢえ→ひろえ→ひろい」と変化して「廣井八幡宮」のことではないか、という説もなるほどもっともですが、古い時代はやはり「泥江神社」から勧請した神社だったのが、いつのまにか八幡信仰に、ということかも……と思います。

となると、現存のそれぞれの神社はともかく、もともと「ひぢえ神社」が存在し、それぞれ分祀して、名前や御祭神が変化していった……じゃあその元祖「ひぢえ神社」ってどこなんでしょうね……(いや、廃絶しているので見つからないですけども)。

ひょっとすると、「いりえ神社」がやっぱり古くて、それを漢字表記で「入江→土江」と間違えたばっかりに、古語に通じた得意げなやつが「こりゃ、ひぢえだろう」って読んでしまって、しかも「ひぢ、なら泥だろう」ってことで、結果「泥江」になってしまった……ということもなきにしもあらず。

とにかく、これらの神社がある辺りは、昔は海辺、河辺で、(多分)ぬかるんだ土地だったことからついた名前なんじゃないかな……ということにしておきます。

 

 

 

 

めんどくさくなったわけではないですよ……古代の伝承があまり探れないもので……それをめんどくさい、というのであれば、めんどくさいんですけれども……ええ図書館に行きなさい、ということですね、はい……。