べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「飛騨一宮水無神社」(補)

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 神社覈録. 下編

 

まずは『神社覈録』、珍しく下巻から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

125コマ。

 

水無神
水無は美奈志と訓べし ◯祭神御年神(社伝)◯一宮記云、大己貴命女御歳神也、◯頭注云、大己貴命高照光姫命、母高降姫、大和国葛上郡御歳神社同之、 ◯久々野郷宮村に在す ◯当国一宮也(以下略)」

 

うむ……薄い。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 特選神名牒

 

『特選神名牒』はいかがでしょう。

252コマです。

 

「水無(ミズナシ)神社
祭神 御年ノ神
今按社伝御年ノ神とみえ神名帳頭注に飛騨大野ノ郡水無云々大和ノ国葛上郡御歳ノ神社同之とあり而るを同署に大己貴命ノ命ノ女高照光姫命母ハ高降姫として高照光姫の如く云るは旧事紀に妹高照光姫ノ大神命坐倭国葛上郡御歳神社とある文によれる誤りなり御年神の高照光姫にまさざることは古事記に大歳ノ神娶香用比賣生子云々御年ノ神とみえたるにて明かなりゆめ此妄説にまよはさるること勿れ。(以下略)」

 

……ばっさり……。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 古事類苑. 神祇部27

 

『古事類苑』の「水無神社」の項から、気になったものといくつか。

66コマからです。

 

「[飛州三澤記]夫飛騨国大野郡一宮水無大明神ハ、往昔七社ニテ、御本社一ノ宮ハ御歳神也」

 

「[神名帳考証 飛騨]水無(ミズナシ/ミナシ)神社 火明命 姓氏録云、天香吾山命九世孫、玉勝山代根古命、山代水主等祖、同云、水主直、火明命之後也」

 

「[飛騨神社総座考]水無神社 祭神は神武天皇なりとぞ、文亀の比、国司姉小路従二位中納言基綱卿、此国にくだり給ひて、八所の歌をよみたまひて、都に参らせられし、その歌の裏書に、宮殿は府より二里餘、本社神武天皇といへり、末社多し、いがきのうちとに、松桂枝ふりて、こぶかくかみさびたり、鳥居の内より、みたらしながれいづ ◯中略 里人の云伝たるは、此国にあらぶる神ありしを、水無神、つくしよりいでまして言向たまひ、飛騨国の真中なりとて、位山の麓、水無の村に鎮座せり、故に今につくしこひしと呼鳥ありなどいへり、(略)」

 

まあ、「神武天皇」ってことはなさそうですが(わかりませんが)、「火明命」(尾張氏の祖神)というのもどうなんでしょう……「高照光姫命」でもない……ううむ。

 

 

 別冊歴史読本の『諸国一宮と謎の神々』をみてみますと、

 

水無神社の祭神・御歳大神は大歳神(大年神)の御子神で、稲作を司る神とされる。『古語拾遺』によれば蝗の害を防ぐ方法を教えた神だという。水無神社は背後の位山を神体としているが、ここを水源とする川の神格化、あるいはその恵みによって稔りが得られることを神として崇敬してきたものなのかもしれない。社伝では祭神を水無大神とし、七十柱の神を配祀していた。現在も御歳大神のほか十四柱(一説に十七柱)をお祀りしている。(以下略)」(p58)

 

というようなことが書かれ、まあ普通に考えると、「川の神」、「収穫の神」、ということになるのでしょうかね。

 

 

諸国神社 一宮・二宮・三宮

諸国神社 一宮・二宮・三宮

 

 『諸国神社一宮・二宮・三宮』という本では、

 

「「(略)すなわち、十五柱の集合神だというのだが、その中心となっている御年大神は大歳神の御子神で、父神同様に穀物の神とされる。水無神社については「水無」という地名から、川の水を干した(伏流水にした)といった伝説が語られることもあるが、神社のホームページにもあるように本来は「水主」または「水成し」で、水源を意味しただろう。すなわち、里に水を配って穀物を実らせる神であったと思われる。

飛騨には両面宿儺という鬼神の伝説が残されている。顔が二つ、手足が四本ずつという異形をしており、『日本書紀』ではまつろわぬ神のように書かれているが、地元の伝承では悪鬼や毒龍を退治した護法神として語られることが多い。
大林太良氏は「私の想像では、両面宿儺は飛騨の地主神であって、これが水無神社の最初の祭神であったろう」(『私の一宮巡詣記』)と書いているが、私には追儺で災厄を払う方相氏(四つ目の面をかぶる)や阿修羅などの影響を受けて成立した眷属神ではないかと思っている。」

 

という記事が。

飛騨の話となると「両面宿儺」を出したくなってしまうのが人情ですが、ミステリ読みにとってはもう完璧に……ええ、あれ……なものですから、実在の人物ではないか、と思ってしまいます。

水無神社」の御祭神、というのは飛躍しすぎ、一方で「護法神」というのに近いでしょうが、あんまり「水無神社」とは関係なさそう。

 

 

先代旧事本紀 現代語訳

先代旧事本紀 現代語訳

 

 『現代語訳 先代旧事本紀』の、「国造本紀」の注には、

 

「斐陀の国造 巻五の尾張氏系譜では、尾張氏十世に大八椅の命がおり、尾張氏九世の彦与曽の命の子とする。名前の類似からか混乱がみられる。宮川・高原川は日本海へ、飛騨川は太平洋側へ注ぐ。下流域は尾張氏ゆかりの地である。岐阜県高山市水無神社では大八椅の命が祭神に入る。中部日本の分水嶺の中心の位山(一五二九メートル)を神体山とする。山中に「天の岩」と呼ばれる巨石群、一位の木の原始林がある。例祭「宮祭」に日にはかって飛騨国すべての神社が神事を遠慮し、庶民も仕事を休んで参拝・遥拝したという。(略)」

 

とあって、やっぱり分水嶺の神なのかな……とすると、どうして「天之水分神」じゃだめだったのか……「御歳大神」をあえて御祭神の名前として選んだ理由がどこかにある……のかないのか……。

うーん……あまり妄想が捗らないのは、いまひとつ資料が少ないことと、飛騨のことがよくわかってないからでしょう。

 

おまけ。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 飛騨の伝説と民謡

 

『飛騨の伝説と民謡』という本の中に(44コマ)、

 

「二五 神馬物語
今しも境内を見廻つた神官衛守は倒れんばかりに驚き、早速雑色を呼んで「今拙者が境内を見廻つたけれ共別に変つた所とてはなかつた。唯、怪しいと思ふのは神馬の姿の見あたらぬことだ。夜盗でも参つて盗み去つたものでないかとも思ふが、そなたはも一度見廻りしてたしけめてもらひたい」「それについてでございます。昨夜も私が見廻りました時神馬庫の戸が開いてゐるのに気がついて、これは変だと中を見ましたが、別に異状はありませんでした」「さては馬盗人の仕業にそういあるまい。とにかく見届けて来てもらひたい」雑色共は手に手に提灯をふりかざしつつ神馬庫にかけつけた。しかしふだんと何等変りはなかつた。「どうも変だな」「衛守殿は夢でも見られたんじゃないかな」「平生の衛守殿にも似ぬ狼狽振りだつたから、夢でもあるまい」「はて怪体なことになつたぞ」と境内くまなく捜したけれ共、何処を見ても何等の変わりはなかつた。報告をきいた衛守は「どうしても合点がゆかぬ。たしかに神馬庫の空つぽになつてゐるのを見届けてのことだのに」と、其の夜はまんじりともせず其の夜の出来事を考へつづけたが、遂に謎は解けなかつた。話題に乏しい山狭の村里、此の出来事は誰語ることもなく次から次へと伝つて、神馬の話でもちきつてゐた。その中に山々の若葉は段々と深緑に変つて行つた。そしてやがて野山を渡る風も肌に快よき秋を迎へた。宮盆地には、黄金の波がゆらりゆらりと打ち寄せ、日にやけた百姓の顔には笑顔が見え、今年の豊作が話題の中心になつてゐた。
或る朝背戸に出た彌蔵の妻おきくが、あはただしく夫を呼びたてたので、彌蔵も何事ならんと飛び出して見た。彌蔵はただ無言で妻の指さす方を見て、「これは、怪しい」とうなる様に云ひはなつた。それはその筈、背戸の田一面、重く頭を下げ、黄金色に豊かな秋のみのりを見せてゐた稲穂が、無残に食ひ荒らされてゐる。そしてあたりには馬の蹄のあとが入り乱れてゐる。此の事が隣近所の噂となつた。そして隣家佐吉の妻が「昨夜真夜中に馬のいななきらしい声をきいた」と云ふ話ともつれ合つて「如何にも不思議なことだ。蹄のあとと馬のいななき、これはてつきり一之宮の神馬の仕業にちがひない」と、きまつてしまつた。其の夜も更けて二時頃便所へ起きた八兵衛の妻すぐ近くで馬の嘶くのをきいた。「さては」と、考へた妻は足音をしのばせて裏口から忍び出すと、前の稲田の中に真黒なものが動いてゐるのを認めた。じつと眸をこらすと、たしかに一頭のたくましい馬である。「昨夜彌蔵の稲田を荒したのは此の馬に違ひないと、前後の考えもなく「わつ」と、大声をあげた。今まで余念なく稲の穂をあさり食べてゐた馬は、一声の嘶とともに一散にかけ出し何所ともなく姿をかくしてしまつた。あくる朝、此の噂をきいて集つた百姓は、次から次へと怪しの馬の取沙汰をした。「あれだけ厳重な警戒の中で此の乱暴を働くとは、いよいよもつて神馬に相違ない。何とか急々処置をとらなければ、我々今までの苦労は水の泡となつてしまふ」「春あの神馬の話をきいた時は、そんな事があるものかと考へてゐた私も、かうなつては神馬とより外に思へなくなつた」「全くです。左甚五郎の作ったものは時々不思議な力を現はすと云ふから、此所の神馬もわからない」「とにかく神主さんの所へ行つて相談して見やる」と、神官衛守の所へおしかけて行つた。やがて村の重だった百姓は、衛守からの手紙によつて一之宮に集合した。一同を見わたした衛守は「春の出来事と云ひ、今の出来事と云ひ、たしかに神馬の仕業に相違ないと存じます。しかしながら数百年来、左甚五郎の作と称せられてきた此の神馬を、打ちくだくわけにも参らず、春以来あれ程厳重に致しておきました格子戸と開いて出入りするものを。如何いたしたらよろしいでせうか。よき智慧をおかし願ひたい」と申した。
評議はつづいた。そして最後に決したのは神馬の眼を抜きとればよかろう、と云うことであつた。とうとう町から呼ばれた名工某によつて、神馬の両眼が抜きとられたのは間もなくであつた。それからは再び稲田の荒されることなく毎年平和なみのりをつづけた。」

 

↑という話が掲載されています。

時代設定が今ひとつわかりませんが(近代っぽい)、「祈雨の神馬」「祈晴の神馬」の伝説。

何か、ミステリっぽいですよね……特に神官衛守が怪しい……「神馬像」がなくなった、という御芝居をして、「神馬像」は動くらしい、という噂を流す……そして、「神馬像」の足と同じものをこっそり作っておいて、彌蔵の田んぼを荒らす……最終的に「神馬像」に罪を着せて、目玉を抜き取る……動機はわかりません(本格なのです、動機は重要ではありません(断言))……京極夏彦っぽくやろうと思えばやれるんではなかろうか……まぁだからどうした、という感じですが……。

 

久々に、新しい一宮への参拝でした。

うーん、一宮制覇には一生かかるなぁ……東北、九州が……三年前なら全然行けたんですが……まぁ、ちょっとずつ攻めますよ……。