べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「御首神社」(再)(岐阜県大垣市)

2/25。

南宮大社」に行ったついでに……ではなく、こちらが本命でした「御首神社」

 

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首から上の大神様|御首神社

 

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「御首神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事。

以前もやっぱり「南宮大社」の帰りに寄っていますね……定番コースみたいになっているようです(私の中で)。

ちょっと身近で、脳腫瘍の手術をするということになりまして、その成功祈願を(自分のことは特に祈願しませんが、人のことならまあよろしいかと/手術自体は無事成功しましたので、お礼参りにいかなければ……)。

 

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正面。

 

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手水場。

 

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釣瓶。

 

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扁額。

 

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境内社の「末廣稲荷神社」。

 

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境内社の「鍬山神社」。

 

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狛犬さんと拝殿。

 

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御朱印

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第2輯 第1編

 

木曽路名所図会』の記事です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

「仲山金山彦神社」の記事の中にあります。

 

「首社 同郡荒尾村、南宮より六十町あり。平将門の霊を祭る。宇留生祠ともいふ。むかし将門誅伏せられ、秀郷其首を得て入洛す。然る所其首おのづから獄門をぬけて関東へ飛帰らんとする時、当社の隼人神矢を放つて射落す。其首をここに祭る。矢の通りたる所を矢通村といふ。世人首の諸病を憂ふる者、立願すれば霊験あり。」

 

神社の説明とあまり変わらず。

かなり強固な伝承のように思われます。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 不破の古蹟

 

↑『不破の古蹟』より。

32コマです。

 

「六二 御首社
御首社は宇留生村大字荒尾にあり平将門の霊を祀る天慶の乱藤原秀郷平貞盛は将門を誅し其首を京師に送り獄門に梟す其首自飛びて関東に帰らんとせしに豫て賊徒降伏の祈願ありける南宮の神矢を放ちて之を射落し給ふよりて此に祀る神矢の通り路は今の矢道村なりと云ふ又伝ふ将門の首形を作りて南宮社に降伏を祈りしに其骨霊異ありて動揺せり人民驚きて之を土中に埋め祠を立てたりと云ふ首のあたりの諸病を患ふものは祈れば霊験あり本復すれば穴ある石を捧げて奉賽すへしと云ふ」

 

まあ、こちらもあまり変わらず……ただ、別の説として、平将門の首形を作って南宮社に奉ったら動いたもので、みんな驚いて地中に埋めて、そこに立てた祠が今の「御首神社」だよ〜」という話が載っています。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 新撰美濃志

 

↑『新撰美濃志』もみてみましょう。

91コマです。

 

「御頭(みかうべ)明神社 は平将門の霊を祭る藤原秀郷等将門を誅戮して其首を都に送りしに其首獄門をぬけて関東に下らむとせしを南宮にいます隼人の神矢を放ちて射落し給ふ則ここに祭りて首の社に称す 神社考に朝敵平将門頭伝言飛入洛時神放矢射其頭今俗称箭路御首宮者是其縁也 とある是なり 又里民の説には将門の首形を作りて南宮社にて降伏を祈請ありしに其作りたる首霊異ありて動揺し人民を驚ろかしけれは荒尾村の土中に埋みて祠を立御首社と名つけしよしいへり境内九反半の除地にて今宇留生社とも称し首のあたりの諸病を憂ふるもの祈願すれは霊験ありといふ就中耳聾を憂ふるもの此社にいのれは必ず霊験あり本復すれは穴のあきたる石をささげて奉賽すといふ」

 

『不破の古蹟』の記述と大差ありませんが、「首」なのか「頭」なのかはっきりしたほうがいいのでは……まあ、昔のことですし。

こちらでも、作った首が動いた、という話があります。

「首を埋めて……」という部分は、「吉備津彦神社」の「釜鳴神事」を思い出しますね。

どっちが古いのかはよくわかりませんが、何か共通する呪術的モチーフがあるような気がします……朝廷への反逆者が首を取られて埋められて、という辺り、「温羅」と「平将門」は似たようなものなのだ、ということなのかもしれないです。

 

ところで、「隼人神」というのは、「南宮大社」に祀られており、一説に「火闌降(ほすそり)命」である、と前回の記事で紹介しました。

 

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「南宮大社」(補) - べにーのGinger Booker Club

 

「火闌降命」は「火照命」とも呼ばれ、いわゆる「海幸彦」のことです。

その子孫が隼人という一族になった、ということが記紀神話で語られています。

朝廷の先祖が、実際にはどうだったかはともかく、九州の勢力をある程度背景としながらも、九州全体を影響下に置いていたわけではないことは、熊襲の反乱云々が記紀神話で語られているところから、まあその通りだろうと。

早くから朝廷の先祖に従ったのではないか、と思われるのが、隼人と呼ばれる、九州南部の土着の民です(ちょいちょい反乱も起こしますが)。

基本的に隼人は朝廷の警固に任ぜられたりするので、武勇に優れていたのか、でも武力のある連中を宮城の近くに置いておくのは結構なリスクのようにも思います……なんらかの取引があってのこと、なのでしょう。

特に弓の扱いに秀でているようではないですが、何しろ飛んでいく「平将門」の首を射落としたのですから、武芸に優れる、というイメージが強かったのでしょう。

ここで面白いな、と思うのは、「南宮大社」の神ではなく、その摂社である「隼人神」が首を射落とした、ということです。

反乱を鎮めるに当たって霊験ある「南宮大社」ですから、軍神の属性がないといけないのではないかと思います(ひょっとすると、五行的な何かで勝ったのかもしれないのですけれど)。

これは、首だけになった「平将門」なんか摂社の神で十分なんよ、という余裕なのか。

主祭神自ら矢を射ったりはしないのだよ、ということなのか。

他にも何か理由があるのかもしれないですが、いずれにしろ、「南宮大社」の神は、「平将門」を二回殺しています。

1回目はまあ、正当な(?)討伐だとして、2回目はどうでしょう、死んだ後で首が飛んでいくのですから、結構な怨念です。

その首を落とすのを、「隼人神」にやらせているっていうのは、どうにも「夷を以て夷を制す」のにおいがするんですよね……怨念から防御するため、といいますか……まあそんなことを言い始めると、「平将門」退治に「藤原秀郷」が出張っているのも、ある意味「夷を以て夷を制す」ではあるのですが。

 

うーん……やっぱり中世以降のことがよくわかっていないのがいかんですね……勉強したい……。