べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

久々「熱田神宮」(名古屋市熱田区)

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忘れていたわけじゃないのです。

というわけで、熱田神宮へご参拝。

 

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「熱田神宮」「別宮八剣宮」「上知我麻神社」 - べにーのGinger Booker Club

不定期「熱田考」(1) - べにーのGinger Booker Club

不定期「熱田考」(2) - べにーのGinger Booker Club

ふらっと「熱田」詣+「金刀比羅社」(名古屋市熱田区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑熱田絡みの過去記事です。

 

 

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よく晴れた日でした。

まだ一月だからか、参拝客はもりだくさん。

 

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鳥居。

 

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本殿……の写真は、あちこちで確認していただいて、境内摂社を巡ってみました(地元なので、ついうっちゃっておいたのですよね……)。

参道右手側に並ぶ摂社。

 

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「楠御前社」

 

「祭神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
安産や縁結び並びに病気平癒の神様として、俗に「子安神」「お楠さま」と称されている。江戸時代中期の熱田社問答雑録に「社の神也、古楠樹を主とす」とあり、社殿がなく瑞垣の内に楠の神木が祀られている。」

 

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参道から外れて、向かって右手の方へ行きますと、人があまりいないゾーンに。

「南新宮社」です。

 

「祭神 素戔嗚命
社殿は当神宮唯一の朱塗りである。当社の例祭は古来大山祭・天王祭・祇園祭等と称していた。その起源は平安時代中期に疫病が流行して、近隣の人々が旗鉾を捧げて当社に疫神を祀ったのを始めとする。その後、この旗鉾を活用して大山や車楽の運行を始めたが、明治に入り電線が架けられるようになり廃止された。」

 

電線……。

 

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そばの社……人が多かったらしく、近くで写真を撮ってないなぁ……社の名前が見えません(いかんいかん)。

 

 

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こちら、「清雪門」です。

 

「本宮の北門と伝えられ俗に「不開門(あかずのもん)といって堅く閉ざされている。天智天皇七年(六六八)故あって皇居に留まられた神剣が朱鳥元年(六八六)再び当神宮に納められた折 二度と御動座なきよう門を閉ざしたという故事による。」

 

もともと「熱田神宮」は、「草薙剣」を御神体としていたのかどうかはよくわかりませんが、『古事記』『日本書紀』が成立した頃には、「草薙剣」が「熱田神宮」にあることは知られていました。

日本武尊」の佩剣が、一度は天皇の元に届けられて、宮中に止まっていたのですが、天皇に祟ったのですね。

で、「熱田神宮」に戻ってきた、と。

祟りが強いのは神威が強い証拠でもあります。

一方で、それでもなお天皇家は絶えていない、ということは、神器(の背後にある勢力)と天皇家は、緊張関係にありながらも天皇家の方が優勢だったのでしょう。
じゃなきゃ、どっちか失われています。

この辺り、何かあるのか、ないのか……いやあったんでしょうが、推測と妄想しか存在しない時代の話になってしまうので……(そんなことしか書いてませんが)。

 

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猫、逃げる。

 

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熱田神宮」正面の駐車場の東側にひっそり、「孫若御子(ひこわかみこ)神社」が佇んでいます。

 

「祭神 天火明命
祭神の天火明命尾張氏の始祖であり、天照国照火明命、天照玉命とも称される。
明治初年に海蔵門内の西側に鎮座していたのをこの地に遷座した。ほあかりとは、ほが赤くなるという意味で稲穂への尊称といわれている。」

 

熱田神宮」を最初に祀ったのは、伝説では「宮簀媛」で、彼女は尾張氏の長・「建稲種命」の妹姫でした。

祖先を祀るのは当然なのですが、その祖先がずっと「天火明命」だったかどうかはよくわかりません。

氏族の伝承が整理され、『古事記』『日本書紀』にまとめられるような時代になると、そういった伝承になっていったのでしょう。

ちょっと端っこに寄せられすぎ、な感じがしますけれども……ここに明治政府の陰謀を感じ取ることができたなら、あなたも立派な妄想家。

 

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さらに端っこの「日割御子神社」。

 

「日割御子神
祭神 天忍穂耳命
この地は、太古水際に張り出た洲崎の名残で干崎(ひさき)といわれていた 記録によれば 古くは日破明神と称され 江戸時代初期の慶長年間には堀尾吉晴松江城初代城主)が当社の造営を行っている。」

 

熱田神宮」周辺が、ある時期までは水辺だったり、海が近かったり、ということはよく知られています。

江戸時代、東海道の宮宿と桑名宿には渡し船がありました。

ということは、縄文海進の頃にはもっと内陸部まで海だった可能性があり、このような地名が残っていたというのもうなずけます。

にしても当て字が……この当て字で、御祭神が「天忍穂耳命」(「天照大神」の御子神)ですからね……ここに何らかの陰謀を見出すことができたら、ぜひ私にも教えてください。

 

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本殿はとってこなかったのに、別宮「八劍社」の写真はある、と。

 

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そして、なぜか「上知我麻神社」は案内板のみ、という……。

 

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「星宮社」(名古屋市南区) - べにーのGinger Booker Club

「星宮社」(補) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「上知我麻神社」に関してはこんな過去記事も〜。

 

 

御朱印

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「別宮八剣宮」「上知我麻神社」は見開きでいただきました。

 

では、しばらく熱田周辺をぐるぐるした記事が続きます〜。