べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「大直彌子神社」「石神社・八幡社」(名古屋市中区)〜高速初詣その4

1/7。

高速初詣その4の締めは、大須です。

 

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「三輪神社」で、一月限定の御朱印をいただきました。

そこから少し足を伸ばして、まずは「大直彌子神社」という、ビルの合間にすっぽり挟まったような神社へ。

 

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正面。

 

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案内……読めぬ。

 

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社殿。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん……

 

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それから、コインパーキングの脇にひっそりたたずむ「石神社・八幡社」にもご挨拶。

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

名古屋市史』の「社寺編」をちらっと見てみましょう(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

160コマ、「春日神社」の記事の中です。

 

「境外神社大直彌子神社は中区大池町一丁目の東側 もと前津村 に在り、(略)旧称は「おからねこ」 此名称詳ならず、連城亭随筆及び尾張名陽図会には、二説を挙げたり、その一、おからねこは於空根木(おからねこ)にして、社傍に古き榎の根のうつろ(空)なるがありしを、俗の呼倣したりとし、その二、此所は昔の鐘の御堂の旧跡にして、その堂(或はその堂の跡の古祠)の内には本尊もなく、小さき三方の上に高麗狗の首一個を載せたるを、世に御唐犬(おからいぬ)と呼び、転じておから猫と呼び倣せりとす、近来若原経敬は、於加良禰古は大田多彌古命の名を訛りたるものにして、此社は往古奈良の春日、三輪、大直彌子の三社に象りたる、その一なること疑なしとせり といひ、明治初年以来、於加良根子神社となりしを、四十二年四月、今の名に改む、勧請の年時詳ならず、小林城主牧與三右衛門長清再興す、明治二十八年頃改造遷宮す、初め無格社に列せしを、大正二年一月、春日神社末社となす、祭神は大直彌子命 連城亭随筆には富士山を祭るとせり なり(略)」

 

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「大神神社」(続々々)〜久延彦神社・大直禰子神社〜奈良・京都めぐり〜 - べにーのGinger Booker Club

 

奈良の「大神神社」の摂社に、同じ名前の神社があります。

「大直彌子」が何者なのかは、↑「大神神社」関係の記事にいろいろと書きましたが、簡単に言えば、崇神天皇の頃に疫病が流行って、どうやら大物主神が祟っているらしいので、大阪のほうから子孫らしい大直彌子を連れてきて祭祀させたら祟りが治ったよ」ということです。

記紀神話を考える上では、なぜこの時代に「大物主神」の祟りがあり、そして子孫をして祀らせることにしたのか、という意味を考えなければならないのですが、それもおいておいて、

 

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名古屋市:「おから猫」の不思議ばなし(中区)

 

中区のHPにあります、「おから猫」の不思議話というのがいい感じです。

そこから一部引用しますと、

 

「『作物志(さくもつし)』には「城南の前津、矢場の辺に、一物の獣あり。大きさ牛馬を束ねたるが如し。背に数株の草木を生ず。嘗ていづれの時代よりか、此所に蟠(わだかま)って寸歩も動かず、一声も吼(ほえ)ず、風雨を避けず、寒暑を恐れず、諸願これに向て祈念するに、甚だいちじるし。然れども人、其名を知らず、形貌自然と猫に似たる故に、俚俗(りぞく)都(すべ)て御空猫(おからねこ)と称す」と書かれている。」

 

ということだそうです。

さてはて、このあたりにお住いのかたには、「おから猫」は有名なのかもしれません。

名古屋市民でも私はさっぱり知りませんでした。

 

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「三輪神社」(補) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「三輪神社」の記事で書いたのですが、『尾張国地名考』の中には、「オカラネコ屋敷」という地名があったと書かれておりまして。

この辺りを整備したのはやっぱり小林城主の「牧長清」さんのようで、よほど奈良に思い入れでもあったのか(すみません全然人となりを存じ上げませんもので)。

ただ、再興、とあるので、もともとこのあたりには、奈良からやってきた人がいて、「三輪神社」「春日神社」(※まだ記事は書いてませんが、上前津にあります)「大直彌子神社」があったのかもしれません。

それが、どんな紆余曲折で「オカラネコ」になったものか……『名古屋市史』に引用してあった『尾張名陽図会』の言うように、木の根っこが猫っぽくて、「大直彌子神社」も近かったので「オカラネコ」になっちゃったのか……。

ま、とにかく、ネコ界隈では結構有名っぽいので、ネコっぽいものはありませんが(あ、謎の狛犬じゃないあれがネコなのかな)、その筋の方は一度ご参拝されてはいかがでしょう。

 

名古屋市史』「社寺編」の172コマには、

 

「石神社八幡社合殿
石神社、八幡社合殿は中区三輪町に在り、(略)、小林城主牧與三右衛門長清勧請す、明治三年八月改造遷宮す、今無格社に列す、祭神は布都御魂神、応神天皇 応神天皇は後に合祀せしものなり なり、境内神社に秋葉社の一所あり、(略)」

 

とあります。
うん、規模的に、今回ご参拝したところなのかよくわかりませんが……またしても「牧長清」さんでした。

あれ、「春日神社」があるのに、あらためて「布都御魂神」を勧請したのですか……何か意図があるのかな……。

今度はちょっと、「牧長清」さんについて調べてみたいな、と思いました。

 

 

これにて、高速初詣その4終了でございます。

もう9月も半ばだというのに、まだ1月の記事ですよ……来年の初詣の記事は、来年の年末かもしれません(鬼笑)。

 もうちょっとペースアップしたいところですが、何しろ……BABYMETALさんとさくら学院さんで……。