べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「鳴海八幡宮」(名古屋市緑区)〜高速初詣その2〜

1/3。

天気が悪くなってきたけれど、降るや降らぬや、な感じだったので引き続き初詣。

「鳴海八幡宮へ。

 

○こちら===>>>

名古屋市:緑区史跡散策路・緑地・砦コースの紹介(緑区)

 

緑区の史跡散策路のHPです。

鳴海駅付近のコインパーキングからわりと歩いて、住宅街の中に分入って、という感じでした。

 

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社標。

 

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参道正面。

 

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うーんと、入り口付近だったので、「祓戸大神」の神社だと思います。

 

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鳥居正面。

 

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ちょっと飛びまして、拝殿の扁額。
「八」の鳩がふくよかですね。

 

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ご神木の楠、だったかと。

 

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拝殿正面。
近代的な作りですので、最近修復されたものかと。

 

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境内社が……なんて言うんでしょう、別棟にまとめられています。
いえ、まとめられているのはよく見るのですが、こうしてがっつり建物の中に、というのは珍しいような気がします。
これも新しいから、でしょうか。
向かって左から「高良社」(祭神「武内宿禰」)、「金刀比羅社(祭神「大物主神)」、「須佐之男社(祭神「須佐之男命」)」。

 

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並びであと三座、「国造社(祭神「大国主神」)」、「御鍬社(祭神「天照大御神」「豊受大御神」)」、「秋葉社(祭神「軻遇突智命」)」。

 

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本殿を、向かって右から。

 

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社標と灯篭。
うーん、元村社だったのが、消されているということなんでしょうか。

 

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境内社の「鳴海稲荷大明神」。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。
「島田神社」の様式にも似た、近代的な造形とパーツ割ですね。

 

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境内社の「北野天満社」。

 

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こちらは「香良洲社(祭神「稚日女尊」)」の……社殿といっていいのか……。

 

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参道。

 

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こちら、「鳴海稲荷大明神」の正面。

 

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祠。

 

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遠景。

 

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ご神木の楠。

 

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正面から遠景再び。
こうして見ると、ご神木の勇壮な様子がよくわかります。

 

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境内図。

 

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御朱印
三が日ということで、神職さんは社務所ではなく参集所にいらっしゃいました。

 

さて。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

まずは『尾張名所図会』から行ってみましょう(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
333コマです。

 

八幡宮
駅の南、善之庵村にあり。祭神応神天皇。此社も亦鳴海神社と称するは、東宮大明神の別宮なるがゆゑなり。
例祭 八月十五日。神輿を北の方の森へ遷幸し奉り、駅々より笠鉾及びねり物を多く出して、駅中を引渡し、頗壮観にして、旅客の目を喜ばしむ。総て近郷の祭礼、此式に慣ひて笠鉾を出せるもの多し。(以下略)」

 

↑↑の方の、緑区の史跡散策路のHPにも、

 

「祭神は応神天皇瓊々杵尊玉依姫命神功皇后月読命の五柱。創建は不祥。成海神社の別宮と伝えられている。裏方の成海神社に対し、表方と呼ばれる。神木は樹齢1100から1200年のクスノキの大木である。」

 

とありまして、どうやら「成海神社」とは深い関係にあるようです。

 

○こちら===>>>

「成海神社」(名古屋市緑区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「成海神社」の記事です。
あんまり大したこと書いてないですが、これはどうも両社の関係を探ってみないことには……ええと、またいつか、ということにしていただけますか。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

↑『尾張志』の「愛知郡」編より。
18コマです。

 

「八幡社
鳴海むらにあり応神天皇を祭る創建の年月定かならすいにしへに神領ありけるが今は絶えり弘治天正なとの證状に成海神社とひとしく此社号も見えて並々ならさりし社なる事も知られたり(以下略)」

 

↑こちらも、「成海神社」とのことにさわっているだけで、それ以上のことは書かれていない、と。

うーむ……。

神社でいただいた由緒書によれば、

 

「御祭神 応神天皇(品陀和気命) 神功皇后(息長帯日賣命) 玉依毘賣命 邇邇芸命 月読命
(略)
由緒
八幡宮の本宗は大分県宇佐市鎮座の宇佐八幡宮である。古く飛鳥時代より朝廷の尊崇を受け、貞観元年(八五九)に山城国石清水八幡宮が勧請された。
鳴海八幡宮の創建は詳らかでないけれども、貞永元年(一二三二)に久野氏初代大賀元久社職となり、三代久野屋仲次郎太鳴海両宮神主職を嗣ぎ、武官を兼ね三ケ庄を給ふとあり、それ以前の創建と思はれる。
境内に聳える大楠は、室町時代に既に大木であつたと伝へ、神木として扱はれる。
弘治三年(一五五七)久野家十一代保清二郎左衛門の時、今川義元が鳴海城城主を通じて、八幡宮及び東宮に神田と禰宜屋敷との朱印状を与へた。次いで天正十七年(一五八九)山口長次郎重政が両宮に神田を寄進した。元和八年(一六二二)御本殿再建の棟札がある。神輿は古いものが中絶してゐたので宝永四年(一七〇七)に新調した。
まいねん八月十五日(今十月十五日迄日曜日)の例祭には神輿の渡御があり、十五町内の氏子の奉仕により、神宝等を奉持し、長蛇の如く町内を巡幸する。又町内より五台の山車の奉曳があり、夜には数百の小提燈うぃ点け、囃子賑やかに練り、近郷近在よりの参詣者で町中賑合ひ、今も衰えへず。
(略)
明治五年村社に列核、明治四十年幣帛料供進社指定村社となる。明治五年以前は八幡宮で、以後は八幡社であった。昭和四十三年、伊勢湾台風で倒壊した本殿を新築し、同時に鳴海八幡宮と改称した。」

 

おや……『名所図会』や『尾張志』に書かれている弘治天正の棟札、の内容と思われる記述があります。

一方で、「成海神社」との関係は詳しく触れていない、と。

うーん……こりゃ本当に、緑区の歴史を調べないといけないか……。

また今度、「成海神社」の参拝に行ったときに考えます〜。

 

まだ続きます。