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「宗像神社」の参拝を終えて、ますます名古屋の端っこに。
「星神社」です。
○こちら===>>>
「星神社」(西区) - べにーのGinger Booker Club
↑以前の記事です。
正月、やはり人出は多かったです。
駐車場が整備されつつありました。
由緒。
前に転記しています。
御朱印。
ええと、参拝者が多かったので、写真は以上です、はい。
ちなみに、七夕飾りもいただいてしまいましたよ。
さて。
『尾張志』をざっと見てみたのですが、記事がどうも見当たらない。
結構特徴的な神社だと思うんですけれど。
それでは、と検索してみたら、
○こちら===>>>
↑『西春日井郡誌』より。
204コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
「星神社、山田村大字上小田井字屋敷一番地にあり、大己貴命、天香々背男牽牛織女を祀れる村社なり、暦応四年辛巳十二月右近衛中将藤原実秋造営すといふ、一説によれば、式内坂庭神社は即ち此社の事なりと、
弘安三年兵燹に罹患り縁起宝物等悉く烏有に帰せしかば、其の由来を知るに由なし、仁和年中、大江音人の苗裔、大江政盛の子、大江五郎政輝此の里に住し、大に此神社を敬信し、京に帰るに当り一社を造営せり、是即ち今の境内神社、天神社なりといふ、古来眼病者の祈願、頗る多く、又陰暦七月七日には七夕祭を執行し参拝者雑沓す、境内一千百六十五坪、老樹多く森厳の地たり、神殿、祭文殿、廻廊、拝殿、社務所あり、境内神社に天神社(祭神少彦名命)、神明社(祭神天照大神)、津島社(祭神須佐之男命)、金刀比羅社(祭神大物主命)、秋葉社(祭神火具土命)、稲荷社(祭神倉稲魂命)あり、例祭は十月十一日とす、(以下略)」
うーん……神社の由緒とほぼ同じでしょうか。
眼病に霊験あり、というのは新しい情報のように思いますが、これは星(遠く)を見ると目がよくなる的な言い伝えでしょうか。
弘安は13世紀、暦応は14世紀、社伝ですから差し引くとしても、かなり古いと思われます。
それで「星」を祀る神社……現在は庄内川沿いにありますが、昔はどうだったのか、それほど移動していないとすると、「星」、「川」、「織女」というセットが何か関係しているのか……北区には「多奈波太神社」という、そのものの神社があったりしますので、名古屋の端っこは「星の一大聖地」ということなのでしょうか。
このまま庄内川を下っていくと、中川区には「赤星神社」というのがありますね。
南区には「星宮社」。
あれ、庄内川関係なくなったな……。
うーん、他の地域でも、星関係の神社がどうなっているか、多分ですがグラハム・ハン◯ック的な人が調べているに違いないので、そんな本も探してみたいと思います。
まだまだ参ります〜。