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平成二十九年、2017年の開幕。
どうも今年は、もろもろの事情で遠出が難しそうなので、近隣を攻めることにしよう、ということで、「丸山神明社」へ。
○こちら===>>>
↑千種区の史跡散策路のHPです。
結構朝早くであれば初詣客も少なかろう、という見込みで出発、到着。
年も若ければ時刻も若いので、影の長いこと。
子供の頃から何度も通っているのに、ちゃんと参拝するのは初めてだなぁ……。
遠景。
なんかもう、写真の色バランスがぐちゃぐちゃで見辛いですね。
うむ、瓦葺き。
江戸時代ですね。
狛犬さんたら
狛犬さん。
社殿向かって左、「丸山天神社」。
近くには牛さんもいらっしゃいますが、囲われております……。
左手前に「木霊社」が。
拝殿軒下には、絵馬なのかな、額が飾られております。
社務所のそばに、「辨天社」。
こんもりな植え込みに囲われておりますが、島っぽい感じは残っています。
参道途中で右手を見ると、摂社が。
「丸福稲荷社」。
お狐様たら
お狐様(ちょっと小さい)。
「丸福稲荷社」の左手には、「八幡社」「春日社」「津島社」「秋葉社」「洲原社」「山神社」。
「津島社」は、もともと「牛頭天王」だったと思いますが、一番大きな社殿になっているのはさすが尾張というところでしょうか。
一連の並び、オーソドックスなのですが、「洲原社」がちょっと珍しいでしょうか。
御朱印は書き置きをいただきました。
普段もいただけるのか……右下の「丸山」の印が可愛いですね。
さて。
いろいろと検索してみましたが、いつもの文献に「丸山神明社」は引っかからず。
頼りの『名古屋市史』にしても、書かれた当時、「丸山神明社」のあった辺りは名古屋市ではなかったので……そうすると、地域史を当たらねばならず、国会図書館デジタルコレクションでは当たり切れません。
うーん、名古屋の各区史くらいは取り揃えておくべきか……。
とりあえず、↑で紹介した史跡散策路のHPより。
「16世紀後半の建立という。入り口左手には、天保5(1834)年「村中安全」と彫られた区内では数少ない秋葉常夜灯がある。境内では毎月1・6の日に野菜市が開かれ賑わう。」
……しまった、常夜灯見逃してるし……。
○こちら===>>>
↑津田正生翁の『尾張国地名考』をざっと探ってみたらありました。
73コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
「丸山村
正字なるべし 【近藤利昌曰】村の南松林寺の裏向に釜が巣といふ畔名あり 是はもと鋳物師の居し所なりとぞ」
……うん、神社の言及はなかったです……。
鋳物師って、結構どこにでもいたんでしょうか。
それっぽい地名が名東区にもなかったかな……それとも、名古屋東部は鋳物師の多い地域だったのか。
うーん、郷土史はまだまだ……。
○こちら===>>>
↑千種区役所の「町名の由来」ページです。
「かつての丸山村の名残りの地名です。当時、丸型の地形をしていたと推測されます。古井村の出郷ともいうべき新開拓村で、神明社があります。」
「丸型の地形」……多分古墳ですね(偏見)。
千種区、というところは、今でこそ比較的いい感じの文教地区、高級住宅街とみなされていますが、昔は名古屋の範囲ですらない山でしたからね……古墳が残っていても不思議ではないでしょう。
ううむ……しかし、これが地域の村社の由緒を調べる限界、でしょうか(もうちょっと大きな神社だって、はっきりした由緒なんてわかりませんしね)。
名古屋であれば、江戸時代、「清洲越」以前からある寺社は、それだけでも価値があると思います。
お隣の公園……ここで悩みを打ち明け合ったり……怪しいものをつけてバイトをしていたやつがいたり……といった思い出があるようなないような。
かなり早めに家を出て、あっさり終わってしまった初詣。
ここで何かのスイッチが入り、
「そうか、三が日なら、なかなか御朱印をいただけなかったあそことかあそことかも!!」
と思い、「高速初詣」のスタートなのです。