べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「三輪神社」(補)

(※20147/5/24追記)

 

さて、それでは。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

尾張名所図会』から行ってみましょう。

155コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「三輪明神社

清浄寺の南にあり。牧氏の建立なり。例祭八月十九日、夜神楽を奏す。」

 

 

……う、うーん淡白……。

気を取り直して、

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋

 

↑『尾張志』いってみましょう。

16コマです。

 

「三輪社
三輪町にあり大物主神をまつる神名式に大和国城ノ上郡大神大物主神社(名神大月次相嘗新嘗)とあるはこの本所なりはしめてここにうつし祭れる年月知がたし
例祭(正月元日三月三日五月五日八月朔日九月九日神饌を献り八月十九日神楽湯立あり)」

 

 

……む、むむ……案内板や公式HPのほうがよほど丁寧……。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

↑最後の希望『名古屋市史』。

157コマです。

 

「二一 三輪神社

三輪神社は中区小林町 もとは小林村、近世前津小林村となる に在り、(略)もと三輪大明神又は三輪社と稱せしが、明治四十四年今の名に改む、勧請の年時詳ならず、 一に小林城主牧與三左衛門の勧請となる 小林城主牧與三左衛門尉長清之を再興す、天保年中改造遷宮し、明治初年村社に列す、祭神は大国主命 熱田尊命記集説には大己貴命ノ幸魂となし、尾張志には大物主神となす、尾張名陽図会、尾張霊異記等には、神体は苧桶、或は金の苧桶にして、一説に女体なりといふとあり) 殿宇は神殿、拝殿 明治二十五年再建 、社務所等なり、境内神社に秋葉社、天王社の二所あり、(略)維新の際上地して、逓減禄を下附せらる、例祭は九月十九日、二十日にして、市より供進使の参向あり、(略) 神職は旧藩時代に於ては、熱田の神官大原織太夫の家にて代々之を奉仕(以下略)」

 

「牧與三左衛門」さん、という方が勧請したとか、再興したとか、いろいろな説があるようですが、「熱田神宮」の神官が祭事を行なっているとすれば、案外大きかったんじゃないか、って思えます。

それより……なんだろう、何かぱっとしない……あ、「矢場」の話が全くないじゃないですか。
むむむ、と思って『尾張国地名考』の「前津小林村」を見てみたのですが、ここにも「矢場」の話はなし……。

じゃあ、というので、

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 地理編

 

↑『名古屋市史』の「地理編」、112コマです。

 

「前津小林村は愛知郡に属し、もと二区に分れて、三輪神社以南を前津、以北を小林といふ、むかし大津町、鍛冶屋町、久屋町、武平町、西新町、東新町等より下に住みし武士を小林武士と云ひき、当時は北東へ径り広き村と見えたり、後には次第に町方又は屋敷奉行の支配に入り、疆域不分明となれり、当村の領主牧與三左衛門尉長清は、小林城を築きてここに居り、小林村に三輪神社を祀り、前津村に春日神社を祀り、本土の神として崇めしものならん、後、一村となす、寛永五年、また分ちて二村とせしが、(略) 其後再び一村と爲す、(略) 御器所村に属せる大字前津小林を当市に併せ、今数町名に分たる、もと此地は山田庄の中にして、もとより農家のみの所なれば、後年に至りて、巷坊縦横に通ずるに至りたれども、定りたる町名は無く、昔よりの村落又は田畝の字を以て呼びならはし奉り、先づ北より村の入口を高屋敷、奥屋敷、志水屋敷、西屋敷、オカラネコ屋敷、長道筋下ダレ、富士見原、高木、楠木、ダリ畑、船屋敷、見ド山、茶ノ木畠など云ふ、(略)」

 

「三輪神社」への言及が多いのですが、「三輪神社」そのものや「矢場」に関する情報はなし……まあ、御三家筆頭尾張徳川家が通し矢を訓練する、いわば軍事機密の場所ですからね、未だ幕藩体制の中にあった時期に書かれたものの信憑性がどこまでなのやら……。

それより気になっちゃったのが、

 

「オカラネコ屋敷」

 

です。
……字面から何一つ想像できないのが素晴らしい。

ううむ、量が少なく消化不良気味ですが、神社設置の案内板が素晴らしいので、もうそれでいいんじゃないかと思います。

 

 

2016年はこれにて終了。
次回からは、2017年「高速初詣」シリーズをお送りします。

 

▼▽2017/5/24追記▽▼

いや、他の神社のことを調べようと『名古屋市史』の「社寺編」を調べていたらですね、172コマに発見。

 

「幸宮神社
幸宮神社は中区三輪町に在り、(略)、俗に「おしやぐじさま」 しやぐしの名詳ならず、或は社宮司斎宮神、佐軍神、石神、三狐神に作れり と稱す、天文年中、小林城主牧與三右衛門長清勧請す、明治六年三月廃祭となり、十年十月復興す、四十年頃改造遷宮す、今無格社に列す、祭神は猿田彦命なり、境内神社に稲荷社(略)秋葉社(略)の二所あり、例祭は九月十八日十九日なり、(以下略)」

 

「三輪神社」の境内社である「幸宮社」のことだと思われます。

ちょっと御祭神が違っていますが。

無格社とはいえ、しっかり境内があったものを、戦中戦後のどさくさで何かあったんでしょうか……。

 

「シャグジ」については、どこかでも言及したような気がしますが……。

 

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「諏訪大社」考(5) - べにーのGinger Booker Club

 

ああ、「諏訪大社」の妄想をしていたときでした(ご参考に)。

それにしても小林城主の「牧長清」、大活躍ですね。

今日の大須の繁栄を作ったのは……あ、まあ、やっぱり「清洲越」なので「徳川家康」なのですけれど、影の功労者ではあるのかもしれません。

そんな人のことを、名古屋人は(私も含めて)どのくらい知っているのか……。

不勉強不勉強。

 

△▲2017/5/24追記▲△