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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「日吉大社」(考)〜その5

さて。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 近江輿地志略 : 校定頭註

 

↑『近江輿地志略』の続き、もうしばらく行ってみましょう(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

174コマより。

 

「[新行事]中七社の第三也。【日吉神道秘密記】曰、新行事女形、奥津島姫也云々。【日吉山王記】曰、新行事吉祥天、俗体云々。【日吉記】曰、新行事吉祥天奥対馬姫三女之第一、天照大神五男三女之御事云々。(略)」

 

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「日吉大社」(滋賀県大津市)(その1)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「日吉大社」の最初の記事で見失っていましたが、「新物忌神社」のことです。
今の御祭神は「天知迦流水姫神」となっています。
女神であることは昔から変わりないようですが、「吉祥天」とか「奥津島姫」とか、変わらず諸説あるようです。


「[小禅師]【日吉記】曰僧形、團持賜、地神第四尊神云々。或人の曰く彦火々出見尊なりといふ。」

 

↑こちらは「樹下若宮」で、今の御祭神は「玉依彦命」。
「樹下宮」が「鴨玉依姫」を祀っているので、その御子神という位置付けでこうなっている、と。
「地神第四尊神」はなんだろう……「彦火々出見尊」という説もあるようです。

「[二宮竃殿]【日吉記】曰、比丘形、若宮童形、日光月光菩薩云々と。」

 

↑「竃殿」は、今は御祭神が「奥津彦・奥津姫」となっています。
もともと御祭神が一柱だったのか、しかし「日光月光菩薩」となっていますから、二柱という認識だったのか……ううむ。


「[霊石]【日吉記】曰、夏堂東有霊石、至樹下下道平石云々と。
[護法石]【日吉記】曰、夢妙幢前霊石、象形護法石也云々と。
[烏帽子石]【日吉記】曰、上惣社四五間、東有烏帽子石與象石男女由也云々と。
[氏永霊石]【日吉記】曰、山末社前坤有之、氏永霊石也云々と。」

 

↑いくつかの霊石が言及されています。
「西本宮」で見た霊石が含まれているのか……。


「[王子宮]中七社第六なり。【相応和尚檢對記】曰、先師慈覚大師、貞観初暦或夜夢中、容貌姸雅服飾鮮綺童子一人来曰、吾熊野王子、不思議童子者、郷国懸重山川、願嘗醍醐法昧爲山眷属。上人垂慈悲得居。大師鷲夢醒異香満室、現二奇瑞、崇感応地号王子宮。口訣云、現二奇瑞者、大師夢醒之後、御劔竝御沓有之。大師即以彼御劔沓納社内云々。(略)」


↑今の「産屋神社」のことのようです……そういえば行きましたっけ「産屋神社」って……全然だめですな、やはりリベンジが必要か……。


「[子神社]【日吉記】曰、是王子宮末社之内也、子神也。仕者鼠也。本地大黒御神、鼠面。俗形烏帽子狩衣、曰之三井寺頼豪法師之霊者非也。自古昔有之、社大宮権現化現之由也云々。土俗相伝、昔三井寺の頼豪祈つて皇子を誕生なさしめ三井戒壇の事をいふ。山徒是を拒みて聴さず、豪怒て皇子を祈り殺し身も亦死す。其後叡山に数千の鉄鼠有りて仏像諸経を食ひ破る。山徒小祠を建て其霊を祭る是鼠の禿倉也云々と。(略)臣按ずるに鼠禿倉(ほこら)の事土俗の伝ふる許にもあらず、【盛衰記】【呉竹集】等にも書載す、【神社考】にもかくの如くあり。然れども頼豪鼠となるべき謂れなし。凡天地の化育によつて人倫生じ、男女の形備はりてより巳来生々してやまず、縦令木に果のなれるに等し、其木かれて又生ずるにあらず、来春の華は今春の花にあらず。昨日の水は今日の水にあらざる如く一人一人にて改まりゆけり、何ぞ一度死して散じたる気亦人と生れ禽獣とならむや。再生輪廻の説を信ずる者は所謂痴人面前に夢を説く也。此鼠禿倉は大己貴命を祀る所にして世俗の所謂大黒天也、此神十二支の子を以て神使とす。縦令稲荷の狐日吉の猿の類にして主福の神、俗間子祭をなすは此神を祭る也。今両部神道に大黒天といふ者は如何、大黒天とは竺土の仏也、例の本地垂跡の謂をいふなるべし。山崎垂加の【大黒記】曰、大黒者大己貴命也。其負袋使鼠之事、見【旧事本紀】、其持槌也、蓋槌者土地也、則地主神敬之表也。夫大国主大國玉是大己貴命之七名之其二也。伊勢有大黒谷。(略)白井宗因曰大黒の像頭にかぶる所、體に服する所、皆我国の俗也。又黒は水色是北方子の神なるが故也云々と。ここを以て見れば大己貴命といふこと明也。その上【日吉記】に大宮の化現也といふ時は、大宮を大己貴命といふ説もあれば旁大己貴命なるべし。鼠の面の形を設くる事子神といふ義を示すなるべし。神体を設くる事其謂れなし、尤神体の御しるしといふもの神祇道に伝ありといへ雖、かかる人形の如き者にはあらずとす。」

 

↑「子神社」……「産屋神社」(「王子宮」)に行っていないので、多分行っていないんですが……。

 

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「三井寺」(補) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「三井寺」の記事でも書いた、例の「鉄鼠」という妖怪になっちゃった「頼豪阿闍梨」を慰めるための「鼠の禿倉」だったわけで……どうして見つけられなかったのか……残念。

 

「然れども頼豪鼠となるべき謂れなし。凡天地の化育によつて人倫生じ、男女の形備はりてより巳来生々してやまず、縦令木に果のなれるに等し、其木かれて又生ずるにあらず、来春の華は今春の花にあらず。昨日の水は今日の水にあらざる如く一人一人にて改まりゆけり、何ぞ一度死して散じたる気亦人と生れ禽獣とならむや。再生輪廻の説を信ずる者は所謂痴人面前に夢を説く也。」

 

↑この辺りに『近江輿地志略』の筆者の考えが表されています。
前近代的な妖怪化、仏教の輪廻転生を批判している……かと思うと、神道に関してはこじつけも含めての全肯定的解釈。

 

「【日吉記】曰、是王子宮末社之内也、子神也。仕者鼠也。本地大黒御神、鼠面。俗形烏帽子狩衣、曰之三井寺頼豪法師之霊者非也。自古昔有之、社大宮権現化現之由也云々。」

 

しかし、「大物忌神社」の神が猿面で、こちらが鼠面だとすると、昔は十二支の動物全部に対応した神像があったのかもしれないですね。
あったとして、問題は何故に廃れたのか、ということですが(「薬師如来」の十二神将が、それぞれ十二支に当てはめられていますので、そこから引っ張って来たネタなのかも……)。


「[八王子]【日吉記】曰、八王子俗形束帯赤袍帯劔、右手持笏左手握劔柄、御齢三十有餘。本地千手。国狭槌尊、卒八十萬神天降。于時崇神天皇之御宇也云々。【日吉山王新記】曰、【扶桑明月集】云、八王子(俗形)天神第二国狭槌至面足迄有八柱神。此八總雖爲八王子、先従初故、約国狭槌。若従終則可取面足、是定国狭槌之由也。但従国狭槌數之則第八者正当惶根。面足尊者垂第七神。然八之中終別取男神故然而已。【神祇宣令】曰、言八王子者天照大神所生之五男三女等八王子也。私是一説也。【日吉社参次第記】和會之時彼約地祇云々。抑八王子天神兼地祇最雖無妨、本天神、故曰国狭槌以之爲正云々と八王子の事、大概下八王子の條下に誌す。臣按ずるにもし両部の神道をやめて唯一を以て是をいはば、八王子とは国常立尊、次に国狭槌尊、次に豊斟淳尊、次に埿土煮尊・沙土煮尊、次に大戸之道尊・大苫邊尊、次に面足尊・惶根尊、次に伊弉諾尊、次に伊弉冊尊、此八柱の神をいふべきにや。但国狭槌を祭るといふも所以あるにや、狭槌は少土なり。国狭槌尊は水神也。すべて両部となつては本迹の沙汰あつて別論也。委しく弁明する能はず。【扶桑明月集】曰、人皇第十代崇神天皇即位元年甲申近江国志賀郡小比叡東山金大巌傍天降云々。(略)」

 

↑こちらは「牛尾宮」、私は遥拝所しか行きませんでしたが、八王子山山頂に鎮座まします「大山咋神荒魂」をお祀りする神社です。
こちらも御祭神は諸説あり、のようですが、国狭槌尊を持ち出しますか、という感じです。
前回も、「面足尊」を持ち出した部分で、当時のインテリ層のちょっとした上から目線を感じたものですが……というのも、ここで出てくる神々は、記紀神話の中でも世界創生に関わっており、今ひとつ具体性がなく、信仰の対象というよりは神話理論を展開するために生み出された(元型は伝わっていたにせよ)のではないか、と思われるからです。
庶民にまで知れ渡っている神々ではないのですよね(それは、現代でも同じでしょう)。
幕末も近くなり、国学が勢いを増した時代ならまぁわかるのですが、神仏習合の頃にこういった話を持って来た、というのが妙に作為的にも思えまして……あ、適当に書いてますから信用しないでくださいね。

 

「[三宮]【日吉記】曰、三宮女形、持団扇、依三女之御影向、奉称三宮。乗紫雲自東方来臨、伝教大師御対面延暦三年陽春中比也、天神第六尊惶根尊是也云々。【日吉山王新記】曰、三宮上七社第七、神体有両説。(略)【神祇宣令】云、日吉三宮者天照大神所生八王子中三女也、剪除天下之兇渠衛護天璽望秩天降矣。私、田心姫・湍津姫・市杵島姫以上三女以爲神体是一説也、上来両説准八王子神体以可知之。【扶桑明月集】曰、三宮(唐女形桓武天皇即位延暦六年従空乗紫雲女人形、天降八王子金多巌傍。【神祇宣令】云、神奉斎同殿故曰三宮云々。臣按ずるに沙土煮尊・大苫邊尊・惶根尊を祭りて三女の宮といふ事如何、此の三神は木金土の神にて暫く陰神の名あれどもおして女神といふべからざるか、然れども又女神たる事も慥也、さはあれども此三宮には相当らず、後の田心姫・湍津姫・市杵島姫をまつる説得たりとすべきにや。然るに西土の女形に作ること例の本迹の故あるなるべければ詳にいはず。(略)」

 

↑同じく、八王子山に鎮座する「三宮宮」。
今の御祭神は「鴨玉依姫神荒魂」。
これは、「牛尾宮」とバランスをとるために選ばれたような感じもしますが、神像はもともと女形のようです。
古い時代には、山頂にあるという「金大巌(こがねのおおいわ)」が御神体だったのでしょうけれど……そこからの信仰の変遷というのが辿れないのが残念です。


「[牛御子]中七社の第二也。八王子の社内に有り、老翁の牛を牽く像を安置す。【日吉山王新記】曰、土公形、俗体、石聖神也。随神三摩耶形、以顕其名而已【日吉社神道秘密記】曰、牛尊牽牛也、竃御前織女也。(略)臣按ずるに牛の尊は牛頭天王か、竃御前は稲田姫なり。」

 

↑こちらは「牛尾宮」の境内社のようなので、当然行けていません。
牛頭天王」やら、牽牛やらとの関係が出てきて面白そうではあります。

 

とりあえず、『近江輿地志略』の引用はここまでで、次回からは妄想をたくましくできれば……いいなぁ……。