べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「日吉大社」(考)〜その3

さて。

と、いろいろの前に、以前「日吉神社清須市)」で引用した、ウィキペディアの「二十一社」一覧を再掲します(自分でも、どちらがどちらか混乱してきまして……あ、「日吉神社清須市)」の記事では、結構適当なことが書いてありますので、ご容赦を)。

 

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「日吉神社」(清須市) - べにーのGinger Booker Club

 

見方としては、「現在の社名(御祭神)・神仏習合時代の宮名」です。

 

「上七社(山王七社)

西本宮(大己貴神)・大宮(大比叡)
東本宮(大山咋神)・二宮(小比叡)
宇佐宮(田心姫神)・聖真子
牛尾神社(大山咋神荒魂)・八王子
白山姫神社(白山姫神)・客人
樹下神社(鴨玉依姫神)・十禅師
三宮神社(鴨玉依姫神荒魂)・三宮

中七社

大物忌神社(大年神)・大行事
牛御子社(山末之大主神荒魂)・牛御子
新物忌神社(天知迦流水姫神)・新行事
八柱社(五男三女神)・下八王子
早尾神社(素盞嗚神)・早尾
産屋神社(鴨別雷神)・王子
宇佐若宮(下照姫神)・聖女

下七社

樹下若宮(玉依彦神)・小禅師
竈殿社(奥津彦神・奥津姫神)・大宮竈殿
竈殿社(奥津彦神・奥津姫神)・二宮竈殿
氏神神社鴨建角身命・琴御館宇志麿)・山末
巌滝社(市杵島姫命・湍津島姫命)・岩滝
剣宮社(瓊々杵命)・剣宮
気比社(仲哀天皇)・気比」

 

それでは、↑もご参照いただきながら、

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 近江輿地志略 : 校定頭註

 

↑『近江輿地志略』の続き、行ってみましょう(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
161コマより。
適宜、ブログ筆者により改行を入れます。

 

「[日吉大宮]楼門拝殿鳥居等ありて厳重也。(略)所祭の神体異説紛々たり。
延喜式神名帳】曰、【日吉神社。】同神祭部曰、日吉神社一座云々。
旧事本紀】曰、大己貴神之弟大年神之子大山咋神、此神者坐近淡海之比叡山
【公事本源】曰、四月中申日日吉祭、此社松尾社同体也云々。
山崎垂加が曰く、日吉は大宮・二宮・八王子・聖真子・客人・十禅師・三宮の七社まします。是天神七代を鎮座し奉る第一国常立尊也云々。
【日吉伝記】曰、山王権現者與大和国大三輪神同体也云々。
【神社考】曰、大己貴命有七名。伝教大師取此七神以勧請山王七社而准天七星云々。 
社司行丸【日吉記】曰、大宮者地神第二尊神、日本大国主神大己貴命鎮護於世々天子叡心故号比叡神云々。 
大江匡房【扶桑明月集】曰、日吉與三輪大物主神此国地主也云々。
【山王秘密記】曰、大宮権現者三輪影向也、昔者雖不彰於神体、吾山鎮座之今者正以現霊貌顕其尊貌故号大宮云々。 
【日吉山王新記】曰、大宮権現者爲天照大神之分身故号大宮云々。 
【日吉神道秘密記】曰、宇志丸有懇祈神号其時於闇夜之空中如日輪光明照曜、就日輪之験崇日吉大宮権現云々。
【日吉鎮座記】曰、人皇二十九代天智天皇御宇白鳳二年三月三日琴御舘伏乞拝於神像而不止。或夜光曜如白日、其中有大文字、更無他物因之奉称大宮云々。康和五年十二月十日官符曰、権中納言大江匡房宣奉勅。御神者大八島金刺朝廷顕三輪明神。大津宮御宇之時、初八ツ柳天降坐。又相伝云、奉尋本体爲天照大神之分身、或号日枝或申日吉。是則垂跡於叡岳麓、施威於天下御云々。 
【菅家清人日記】曰、欽明御宇三輪垂迹、天智聖代八柳降臨、今比叡山坂本日吉社是也。而桓武天皇御宇、重伝教大師詣三輪社、有御祈念。明神即現三光住大師項。大師仰明神之感応、帰比叡山坂本。其時三所移留三光、是三聖之霊地。所謂點其所崇三聖、是則大宮二宮聖真子。是故国史云、澄闍梨詣三輪明神、奉請叡山守護神云々と。
(臣)按ずるに以上の諸説紛々たり。一条兼良北畠親房皆有識の人也、それすら誤つて垂迹両部の道に入りて違へる事のみ多き由先輩之を論じたり。(臣)今何をかいはむ。
旧事本紀】の説に據りて大山咋神とせば可ならむか。【旧事記】は我国三部の本書なれば此説省き難し。(臣)も論弁なきにあらねども故あつて誌さず。」

 

休憩……「大宮」とあるので、「西本宮」のことだと思われますが、御祭神についてはよくわかりません……ひょっとすると、「二宮」である「東本宮」についても語っているのかもしれません。

現在、公式には、「西本宮」の御祭神は「大己貴神」となっており、それを「大神神社」の「大物主神」としていたり、「山崎闇斎」は「国常立尊」だと言ってみたり、「天照大神」の分身と言ってみたり……一方の「東本宮」は「大山咋神」とされており、こちらはそれほど異論は内容ですが……「大己貴神」が七つの名前を持っていたから「七社」なのだとか、面白いっちゃあ面白いですが……とにかく、主祭神はよくわからない、というのが実情と。

 

「【日吉山王新記】【鎮要記】倶に曰く、欽明帝の御宇大和国垂迹し給ひ、大津宮の御時は白鳳二年三月上巳に大津與多崎八柳浜に臨幸し給ふ。時に湖上の漁夫に田中恒世と云ふ者あり。神則恒世を召て曰く我を唐崎に送るべしと恒世が船に乗移り給ふ。船中粟の飯を奉れり、神甚だ喜び給ふ。今より後汝が裔孫忘るる事勿れとのたまふ。御舟唐崎に著く則琴御舘宇志丸が軒端の松下へあがり給ふ。此松は彼世に所謂唐崎の一松也。神琴御舘に告げて曰く我は是王法の守護神也、勝地を択べ我鎮座すべしとのたまふ。「大伴の三津の浦わを打きらしよりくる浪の行へ知らずも。」の詠歌は此時なりと云ふ。(略)

三宝輔行記】曰、先師於求法帰朝之海中遇暴風、逆浪巨難、至心発願祈念平著。一人童子化現船頭。先師問曰、童子是誰耶、童子答曰、吾此天台山鎮守圓宗擁護明神也、随使仏法東漸、将屈上人之本国。先師重問曰、如何称号耶、答曰下竪三點加横一點、引横三點添竪一點。先師書文字山王之文字也云々。
【嚴神霊應章】曰、延暦四年(最澄年十九)夷則十七日、忽出神宮寺院、始登叡岳高峯。一化人現身長丈餘。頂有金光。最澄問曰、化人如何権者耶、答曰吾此山王、日域冥神、陰陽不測造化無為、遊心於法性垂化實道、弘誓亞仏護国爲心。又曰、雷電霹靂神、日本名山王。三點即三徳一點不縦横。大比叡小比叡山王云々。
【日吉山王新記】曰、山王神名始自大師。其以前号大日枝明神小比叡明神云々。(略)」

 


「【三宝輔行記】曰、先師於求法帰朝之海中遇暴風、逆浪巨難、至心発願祈念平著。一人童子化現船頭。先師問曰、童子是誰耶、童子答曰、吾此天台山鎮守圓宗擁護明神也、随使仏法東漸、将屈上人之本国。先師重問曰、如何称号耶、答曰下竪三點加横一點、引横三點添竪一點。先師書文字山王之文字也云々。」

 

↑この辺りはもう、天台宗お得意の「大陸帰りの海が荒れたら、謎の神が守ってくれた」伝説ですね(これが元祖なのかな)。


「【嚴神霊應章】曰、延暦四年(最澄年十九)夷則十七日、忽出神宮寺院、始登叡岳高峯。一化人現身長丈餘。頂有金光。最澄問曰、化人如何権者耶、答曰吾此山王、日域冥神、陰陽不測造化無為、遊心於法性垂化實道、弘誓亞仏護国爲心。又曰、雷電霹靂神、日本名山王。三點即三徳一點不縦横。大比叡小比叡山王云々。」

 

↑こちらは、「山に登ってみたら貴人がいたので尋ねると、この地の神で、しかも仏法の守護者です」という、これまた例のやつという感じです。

イメージ的には、地元の信仰を仏教が取り込んで行く過程で生じた葛藤の帰趨、というところでしょうか。

そう簡単ではないのかもしれないですけれど。


「[猿部屋]大宮本殿の左にあり。猿は当社の使者也と云ふを以て猿一匹づつ此部屋に入れおき、参詣の者食物を與ふ。(略)【二十一社記】比叡條曰、猿爲使者事口伝、異朝天台山神獼猴形也。天台章疏中曰神僧者件神也云々と、伝教帰朝の時一獼猴を渡し衣を作りて著す、彼獼猴繁昌して当社にあり又神を以て口伝とす。【袖中抄】のましらの注に曰く、ましともましらとも猿には異名多し。或はたかと云ふ日吉にはたかのみこといふ云々と。(略)」

 

「大宮」が「西本宮」だとしますと、昔はその本殿左に「猿部屋」があったのですねぇ。

今の神猿舎とはだいぶ位置が違います。

 

「【二十一社記】比叡條曰、猿爲使者事口伝、異朝天台山神獼猴形也。天台章疏中曰神僧者件神也云々と、伝教帰朝の時一獼猴を渡し衣を作りて著す、彼獼猴繁昌して当社にあり又神を以て口伝とす。」

 

↑猿が「日吉大社」の神使となった理由についての説です。

結局、「最澄」以後なわけですね(それ以前は大陸でのこととなりますが、仏教で猿といったら「ハヌマン」が浮かんできます……あ、あれはヒンズー教か……)。


「[石塔]是大宮回廊の西門を出で多宝塔の傍にあり。
[多宝塔]是大宮回廊の西門の向にあり。
[七重塔]多宝塔の西にあり。
[七社]これ七社祈念成就の砌建立せりといひ「七所御前」と號す。
[大竃殿]祭神興津彦神也、これ俗の云ふ竃の神也。叡山の僧徒の曰ふ大日金剛界也と。
[新社]大竃殿の傍にあり。聖真子の竃殿と號す。僧徒のいふ本地大日胎蔵界なりと。
以上の三社供に大宮の回廊東門を出て聖真子の社へゆく間にあり。」

 

↑「聖真子社」は、今の「宇佐宮」のことですが、ちょうど修復中で近寄れませんでしたね、そういえば……。
多宝塔や七重塔はもちろんみられませんが、「大竃殿」は今の「大宮竃社」でしょうか。
「新社」というのは「二十一社」に入らない摂社のことかと。

 

「[聖真子(しょうしんじ)社]大宮の左にあり所祭正哉勝々速日天忍穂耳尊なり。二神真心の中より生まれます神故に此名ありと。(略)【日吉新記】曰、聖真子権現託宣曰、大宮二宮奉爲陰陽之神明、於其中我爲出生故曰聖真子云々。」

 

↑「聖真子社」については、「八幡大菩薩」ではないか、という説が【日吉山王新記】の記事にあるようですが、筆者はこれをきっぱり否定し、「天之忍穂耳尊」と語っています。

「聖真子」は、「東本宮」「西本宮」に並んで、「日吉三聖」とも呼ばれているそうですので、「八幡大菩薩」では(申し訳ないですが)役者不足、でしょうか(日本神話的には、ですが)。


168コマに飛びまして、

 

「[聖女社]聖眞子の社の東にあり、是中七社の一なり。祭神下照姫、大己貴命の女也。延喜年中ここに祭る。【日吉記】曰、女形、本地如意輪観音神功皇后是也稲荷大明神是也。神功皇后御本地、神代下照姫是也、大己貴命御姫也。山上舎利会砌、御登山之刻法性坊問之曰、女人登山如何、当山女人禁制也。聖女答曰、我平常非女、爲仏法護持来山麓可守則下山。御垂迹於聖眞子東社壇建立云々。(略)是を以て按ずれば聖女社といふは稲荷大明神と同じ事にや、稲荷大明神倉稲魂神也。元明天皇和銅四年二月九日始めて伊奈利山に現し給へり。地主の神を荷田明神といふを以て稲荷大明神とはいひしなるべし。(略)」

 

↑「聖女社」は、「宇佐若宮」のはずなんですが、今はどこにあるんだろう……「白山宮」のそばにある「小白山社」でしょうか(せっかく行ったのに、本当に何をしていたんだか……)。
御祭神は「下照姫神」。
女人禁制の「比叡山」に女の神がいるのは何故か、みたいなことが『日吉記』には書かれているようです。
これなんかは、「三井寺」に似たような伝承があった気がします……なんだっけな……

 

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「三井寺」(8)〜近江めぐり - べにーのGinger Booker Club

 

↑「護法善神堂」にまつわる伝説でした。

これも天台宗の得意なパターンでしょうか。

 

「[気比社]聖女社の東にあり。所祭仲哀天皇也。【日吉記】曰、童形、本地聖観音越州敦賀郡勧請之。伝教大師御時也。第十四代仲哀天皇是也云々。臣按ずるに【日本書紀】曰、仲哀天皇二年立気長足姫尊爲皇后。二月幸角鹿即興行宮居之、是謂笥飯宮。又曰神功皇后十三年命武内宿禰従太子令拝角鹿笥大神云々。然れば気比大神仲哀天皇たる事明けし。本地垂跡の説は臣が知らざる所なれば論せず。童形とする事如何なる故にや心得難し。気比社は下七社の第七也。(略)」

 

↑……「気比宮」も、自分の記事には見つからない……うーん。

 

「[客人(きゃくじんの)宮]聖眞子の竝東にあり。所祭伊弉冊尊なり。【日吉記】曰、女形、本地十一面観音、日本開闢神也、伊弉冊尊是也。白山大妙理権現御影向我山也、栢木上有御影向。但社無之、相応和尚於横川坂御対面之後建社。天安二年六月十八日有遷宮小白山・大己貴両神同座、後社建立也云々。(略)」

↑現在の「白山宮」です。
この他、【慶命大僧正記】からの引用で、どうもこの方が「白山妙理権現」の御神徳を受け、「賓客」だということで「客人明神」としたとか、【日吉山王新記】他に「伊弉諾尊」が御祭神だと書かれていたりとか。
筆者は、

 

「先白山権現伊弉諾尊とし奉る事不審也。伊弉諾尊を以て女体とし奉る事を不審するにはあらず、如何となれば本地垂跡などとて品々の事あれば女体も男体となし、男体も女体とする類は数限りなし一々咎むべからず。白山権現伊弉諾尊といふこと如何、先第一白山権現といふ名も仏家より出たる名也。加賀国の白山大権現といふは、伊弉冊尊也。祭神三座あり、中は伊弉冊尊にして左は菊姫右は泉津道守神。」

 

としています。
「女神を男神としたり、男神を女神にしたりするのは、本地垂迹説でもいっぱいやってるから、ぶっちゃけどうでもいいけど、白山大権現は伊弉冊尊、菊理姫、泉津道守神でしょう、それを伊弉諾尊ってのはありえないでしょう」(意訳)……というツッコミもなかなかの認識に基づいていると思いますけれども……。

 

「[三宮遥拝][八王子遥拝]是をふしをがみといふ。八王子三宮までは坂ありてなやみあれば此處よりも拝むべしと也。」

 

↑はい、私の登らなかった八王子山の麓にある、「三宮宮」「牛尾宮」の遥拝所、ですね。
どうやら『近江輿地志略』では、「西本宮」から「宇佐宮」「白山宮」を通って、「東本宮」に向かっているようです。
というわけで、今回はこの辺りまでで〜。