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○こちら===>>>
とりあえずそちらに向かっていくと、森深い階段が。
どうやら「延暦寺」への登り口のようです……いや、行かない行かない。
ケーブルカーの坂本駅の方へ行き、左手に曲がって橋を渡ります。
多分、その橋からの景色。
ちょっと坂道を登ります。
崩れた石灯籠……切ない。
紅葉がまだまだ見ごろでございました。
で、階段を登ったあたりに出ちゃいました……これ、本当は下から登ってくるんですよね……。
とりあえずご参拝。
金土日祝日は、殿内の拝観ができる、ということで、御朱印をお願いしてまずは中に入らせていただきました。
正面ではなく、側面からの写真です。
言葉はいらない感じですよね……。
もうちょっと奥、本殿の辺り。
……覆った方がいいんじゃなかろうか……いずれまた色褪せていくのでしょうけれど、こうして陽光の下で拝見できるのはとてもありがたい。
拝殿の妻部分。
唐破風部分というべきか、向拝というべきか。
葵の御紋もしっかりあります。
紅葉美し。
あ、これが全景です。
この中に入れるんですよ、是非ともご照覧あれ。
……ちょっと恐れ多くて、写真はこれだけです、はい。
さて……琵琶湖も望める高台から、降りますか……。
これが先ほど通ってきたところです。
とりあえず振り返ってみましたが、社殿はまったく見えませぬ……。
その先は緩やかな石段でした……また振り返ってみますが、やっぱり社殿は見えず。
……あれ、もっと写真があると思ったのに……殿内の写真はさすがに撮影できず。
権現造がわかるような写真があったような気がしたんですけれども……うーん……いろいろ抜けているなぁ……再訪します。
いただいた由緒書によれば、
「御祭神は三柱で、中央に徳川家康公・向かって右側に日吉大神・向かって左側に摩多羅神が祀られている。明治の御世に到るまで延暦寺の管轄下にあったが神仏分離令が出されるとともに日吉大社の管轄となり、明治九年(一八七六)に末社に制定された。
東照宮造営の経過としては、元和二年(一六一六)徳川家康公の没後、その遺命により静岡久能山に祀られ、一年後には日光に祀られている。現在見られる様な本殿と拝殿を石の間で繋ぐ、いわゆる「権現造り」の発祥はここ日吉東照宮といわれている。
徳川三代将軍家光公上洛の途次に比叡山天台宗の大僧正天海上人に命じて考えさせた権現造りは、石の間が数段低く設計され、祭典奉仕者が将軍に背を向けて奉仕をしても非礼にならないように配慮されている。日光東照宮の様に本殿・石の間・拝殿・向拝が一体ではなく、拝殿から本殿に伸びる梁が本殿まで達しておらず軒下で止まっている等、本殿と拝殿をいかに繋ぐかを苦心した跡が伺える。
日吉東照宮は元和九年に造営され、その後僅かの歳月にもかかわらず、寛永年間に再建着工(現社殿)し、同十一年(一六三四)七月には勅使を迎えて盛大に正遷座が斎行されている事を鑑みても、当宮が日光の雛形といわれる理由である。
大正六年(一九一七)に東照宮社殿が国の特別保護建造物となり、昭和四年(一九二九)に国宝、同二十五年に重要文化財に指定、同三十一年には唐門と透塀が追加指定された。東照宮橋(権現橋)は昭和十年に水害のため流失した。」
ということで、「日光東照宮」の雛型となった、と伝えられています。
そういえば「日光」も行ってないなぁ……前に行ったときは修繕中だったし、今は陽明門が修繕中だし……もうちょっと年取ってから、また行きたいですね。
それより、
「向かって左側に摩多羅神が祀られている。」
↑これが気になるんですが……ひとまず心のうちに収めます。
御朱印はこちら。
というわけで、大鳥居(山王鳥居ではないのです)まで戻ってきました〜。
いや、紅葉も含めて堪能したのですが、どうにも写真に不備があり……お腹の調子が悪かったので、ということにしていただきたい……。
次は是非、宿をどこかにとってたっぷり「延暦寺」を回ってみたいものです。