さて。
といっても、今回はあっさりと。
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑まずは『尾張名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
130コマです。
……あれ、これだけですか?
そう、これだけです。
むむ……。
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋
↑続いて『尾張志』です。
15コマ。
「神明社
赤塚町にあり天照大御神を祭る鎮座の年月知られすもとは此地を神明原といへり寛永五年承応二年寛文十一年元禄二年なとに修造遷宮あり
摂社 山神社 八幡社 天神社 例祭正月十六日五月十六日神楽執行す又九月十五日夜試楽十六日神楽執行す 神主従五位下近藤備前守藤原孝久山神社
大曽根にあり大山祇神を祭る鎮座の年月知かたし此社は元禄二年己四月瑞龍院君より赤塚神明社の神主へ支配すへきよし命せられ◼︎◼︎◼︎今猶◼︎◼︎り」
うーん……うん、これだけか……。
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編
↑一番新しいですが『名古屋市史』からも。
143コマです。
「六 神明社
神明社は東区山口町もと赤塚町の北側に在り、境内面積七百七十四坪五合、もと東西二十五間乃至二十三間三尺、南北三十九間、みな除地なり、初め山口神明又は赤塚神明と称し、山口一帯の総産土神たり、吉見家訓には、赤塚町創建の際、元和二年に町中のもの氏神となすよし見えたり、寛永五年、承応二年、寛文十一年、元禄二年、弘化三年に修営遷宮の事あり、祭神は天照大神にして、神殿、渡殿、祭文殿、拝殿、神饌所、社務所等あり、境内神社は山神、秋葉社合殿、天神社、八幡社合殿、金刀比羅神社府下第十一番、山神社、湊川神社明治維新前に丹羽賢神主に説きて創立せしむるもの也、須佐之男社、天神社の七所なり、例祭は十月十五、十六日徳川時代には九月十五日夜試楽、十六日湯立なり、古へ神輿渡御有りしが、今は行はれず、祠官は近藤氏世之を勤め、明治維新後は近藤龍雄、野田知道相ついで就職す、(略)」
……ま、特に妄想のきっかけになるようなものではありませんが……。
時にはだらっと終わってみます。