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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「御器所八幡宮」(補)

愛知県内 神社 考察

さて。

文章ばかりですが、短めに行きます。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑『尾張名所図会』からの引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

308コマです。

 

御器所村 

府下東南の近邑なり。[東鑑]の文治六年四月十九日造大神宮役夫工米地頭未済事とある條に、『尾張国松枝保御器所長包庄』と見え、建久三年十二月四日一條、前黄門書状参着以亡室遺跡二十箇所譲補男女子息』とある数箇所のうちに、『尾張国高畠庄器所松枝領』としるして御文字を脱せり。」

 

まずは「御器所村」です。

『東鑑』には「御器所」とあったり、「器所」とあったりするらしいです。

「ごきしょ」→「ごきそ」はわりと分かりやすい音変化です。

熱田神宮」へ奉献する器の類を作っていた、ということらしいですが、いつからか作られなくなってしまったのに、地名としては頑として残った、というのも、なんとなく解せないところです。

かといって、他の説が妄想できるわけでなし……。

 

「八幡社
同村にあり。富士・白山両権現を合せ祭れり。嘉吉元年当村の城主佐久間家勝、及び右衛門尉信盛・大島雲八光義等修造を加へて、すこぶる大社なり。
摂社 八幡祠・天王祠・氷上祠・天神祠・縣祠等あり。(略)」

 

どうやら元々は「富士権現」「白山権現」だったのが、いつからか「八幡」になった、と。

由緒書にあったいくつかの御祭神の謎が解けますが……「天王祠」ということは「牛頭天王」か「素戔嗚尊」なのでしょうが、その感じはないですねぇ……「天神祠」は「菅原道真」というよりは天神地祇の天神と考えて、「天照大御神」でしょうか……。

 

○こちら===>>>

佐久間 家勝 (さくま いえかつ) – 戦国武将列伝

 

検索したら、↑な素敵ページがあったので。

佐久間氏が御器所周辺を治めていたことは確かなようです。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

↑『尾張志』より。

7コマです。

 

「八幡社
御器所村にあり 社説に祭神は譽田天皇にて内陣に天照大御神高蔵神八劔神熊野神比叡山王神五坐を配享といへり 今はかく八幡の号あれど舊は八所大明神といへりと見え嘉吉元年辛酉十一月十六日とある棟札に奉造立尾張國愛智郡御器所八所大明神旦那佐久間美作守上臈同舎盛之上臈永相云々とあるをはじめにて永禄七年十二月慶長五年十一月などにも皆八所大明神と記せり さるを万治二年十一月■ける札にはじめて八幡宮とあり 扨此棟札ともに見えたる当社修造の大旦那は嘉吉元年に佐久間美作守上臈同舎盛之上臈永相永禄七年に佐久間美作守家勝同右衛門尉信盛余語久兵衛勝盛慶長五年に大島雲八郎源光吉又小旦那には岡島太郎八吉久余語六右衛門勝秀寛永五年に矢崎左京源利正等也是村の本居神なり 摂社に白山社二所 富士社 浅間社 天神社 稲荷社あり 社人を安藤與三太夫と云 神宮寺あり医王山と云境内東の方にあり紀州高野山蓮花谷誓願院に属り真言宗にて当社の供僧也 嘉吉元年当村の城主佐久間美作守創建す 本尊薬師仏なり 慶長五年大島雲八郎再興す 又庚申堂一宇あり青面金剛脇侍二躯の木仏を安置せり
縣社八幡社より西の方にあり八王子神を祭るといへり 天神社祭神詳ならず 氷上社 白山社祭神は須原神也といふ 八幡社此地古墳の形勢なり祭神定かならず 春日社祭神天児屋根命也といふ この境内に天神稲荷相殿の社あり 村神社祭神定かならず
以上同く御器所村にあり」

 

「社説に祭神は譽田天皇にて内陣に天照大御神高蔵神八劔神熊野神比叡山王神五坐を配享といへり」

 

ということで、由緒書にあった祭神の多くがわかります(「八劔大神」「高蔵大神」「熊野大神」「山王大神」「天照大御神」)。

もともと「八所大明神」だったというのですが、何をもっての「八所」なのかがよくわからず……社説に従えば「誉田天皇」(応神天皇)と、あと五柱ですから、これで「六所」なら……ああ、「八幡」様を、「応神天皇」「神功皇后」「比咩神」とする、っていう例のあれなら、八柱になりますか。

 

摂社に白山社二所 富士社 浅間社 天神社 稲荷社あり」

 

らしいので、これで「菊理媛命」と「木花咲耶媛命」もおさえられました。

あとは村内の、

 

「縣社八幡社より西の方にあり八王子神を祭るといへり 天神社祭神詳ならず 氷上社 白山社祭神は須原神也といふ 八幡社此地古墳の形勢なり祭神定かならず 春日社祭神天児屋根命也といふ この境内に天神稲荷相殿の社あり 村神社祭神定かならず」

 

この辺りから「五男三女神」「天児屋根命」は抑えられますね。

明治に入って、村内の神社を「ぎゅっ」てしたんでしょうね。

 

「八幡社此地古墳の形勢なり祭神定かならず」

 

……古墳なんてあったかなぁ……と思って公式HPを見てみると、

 

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御器所 史跡

 

↑なんと「八幡山古墳」なるものがあるとのこと。

 

鶴舞公園の南にある大圓墳、一説には南朝第3代長慶天皇(正平23年(1368年)から 弘和3年(1383年)在位)の御陵とも伝えられ、当宮の奥宮であったとされています。

 

南朝ですか……wikipediaを見てみると、「長慶天皇」の陵墓とされるものは全国に20箇所以上あるとのことですから、後世の付会でしょう(明治になって、南朝正統とされてから持ってきた話かもですね)。

なぜ、そういった話が出てきたのか、というのは面白そうです。

 

八幡山古墳の大きさは径82メートル高さ10メートルの円墳で周湟を残しており、湟の幅は12.7~22.7メートルです。
墳頂で形象埴輪、朝顔形埴輪、円筒を出土、一本松、聞天閣、両古墳より出土したものをも含め鶴舞図書館に保管されていました。しかしながら、非常に残念なことですが全て戦災で滅失しました。
昭和6年に国の史跡とされました。

 

出土品は、戦争で失われたそうです……。

 

「神宮寺あり医王山と云境内東の方にあり紀州高野山蓮花谷誓願院に属り真言宗にて当社の供僧也 嘉吉元年当村の城主佐久間美作守創建す 本尊薬師仏なり 慶長五年大島雲八郎再興す 又庚申堂一宇あり青面金剛脇侍二躯の木仏を安置せり」

 

↑をを、「神宮寺」への言及もありました。

しかも「庚申堂」もあった、と書かれています。

ということは、「御嶽講」と書かれていたお堂は、やはり元々「庚申堂」だった、ということでしょうか。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張国地名考

 

ラストは、『尾張国地名考』から。

62コマです。

 

御器所村 支村一 島の木
名物 沢庵漬
[熱田旧記曰]古へは此村より大宮年中の行事毎に御土器を造りて奉る此故に御器所村とよべり [松平君山曰]後世此村より調進せず機綾村より献るとなり [正生考]地名初めより字音なり蓋し旧名を捨て俗語を伝へ来れる成べし [尾張略志曰]古へ村雲の里とよべり [正生考]里諺にむかし村雲の長者といふあり云々などいひ伝へ猶今も長者松長者塚(一に姫塚とも)など畠に残りたれど村雲の里といふ事古記に見あたらざればただ一時の口實なるべし [樋口好古曰]此村今は支村八区にわかる北市場、亀口、門屋敷、地蔵堂、中屋敷、東脇、道場海道、島退と云此内島退は村の西北にありて一区隔てり島退といふも■なりあと七区は村続きなり今島の木と書は本名に差へる歟 [正生考]樋口翁の考は退島といふ意かいかがあるべきや
[延喜式]愛知郡高牟神社 [本国帳]従三位高牟久天神 [正生考]御器所八幡宮是歟 

社司安藤氏 神宮寺
[松平君山曰]医王山神宮寺は鳥居の外東方にあり真言宗なり初めは当社の供僧也又八幡の摂社の中に縣宮といふあり相伝へて地主神也と云 [正生考]此村に天神の森といふあり或は此天神の森は高向天神にもあらん歟なを訂すべし
[里老曰]七本松は往昔萱津宿より鳴海の上野に至る其海道也といふされど又熱田へ廻りて行道も別にありしといふ
(略)
名物沢庵漬大根は下品なれども四五月ころの野菜に可として借家住の輩へよく買採といふ[一人曰]大六尺数百の桶に漬るところ実に大数なり冬至に爲込む一戸の塩代金二十両より廿八九両まで用ふといふ粉糠代大根代は随て知べしといへり」

 

「名物 沢庵漬」

 

そう、どうも御器所はたくわんが名物だったようなのです。

尾張名所図会』にも、絵図でたくわん漬けを漬けたり売ったりしているところが描かれています。

漬物ときくと、「萱津神社」→「熱田神宮」の「漬物ライン」が思い浮かびます。

 

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「萱津神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

熱田神宮」に奉献する器ばっか作っていたわけではないでしょうから、ひょっとすると塩でも作っていましたかね。

「昔は「村雲の里」だったんじゃないか、確かに「長者松」とか残ってるし、でも記録には残ってないからただの口承伝承なんじゃない?」という感じのことが書かれていますね。

御器所」は古い地名、と考えてもいいのかもしれません(といっても、鎌倉時代ですが)。

 

「[延喜式]愛知郡高牟神社 [本国帳]従三位高牟久天神 [正生考]御器所八幡宮是歟」

 

式内社の「高牟神社」が、「御器所八幡宮」じゃないのか、とあります。

「高牟神社」は、

 

○こちら===>>>

「高牟神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑神社廻り初期に行ったので、引用も特にありませんが……探ってみるといろいろと面白そうです。

 

「又八幡の摂社の中に縣宮といふあり相伝へて地主神也と云」

 

↑『尾張志』でも、「縣社(宮)」が「地主神」で、「八王子」をお祀りしている、と書かれていました。

元々の地主神がなんなのかは、もはや推測することも困難です。

物部氏絡みにしたほうが面白いのかな……そこまでいくと、尾張地方における物部氏の勢力をもうちょっと丁寧に勉強しないとなんともかんともなので……。

とりあえず、

 

御器所」は「ごきそ」と読もう、怖がらずに

 

ということと、

 

夏場に出てくるアレとちょっと似ているけれど気にしないでね

 

ということだけはお伝えしようと思います。

本日はこれまで〜。