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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「石上神宮」(補々々々々々々々々)

愛知県外 神社 考察

さてさて。

 

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「石上神宮」(補々々々々々々々) - べにーのGinger Booker Club

 

↑前回、どうも「石上神宮」は天皇に祟るようだ、とお伝えしました。

その例が、

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 六国史 : 国史大系. 日本後記・続日本後記・文徳実録

 

↑『日本後紀』に掲載されています(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

日本後紀』は、『日本書紀』『続日本紀』に続く「六国史」の三番目です(……ああ、ついに『日本後紀』まで……どこかで本を手に入れたいものです)。

まずは26コマ、「桓武天皇」の延暦二十三年庚戌(※二月五日)の記事で、

 

「運収大和国石上社器仗於山城国葛城郡。」

 

石上神宮」の器仗(武器)を、山城国葛城郡へ移そう、という動きが見られます。

続いて、延暦二十四年庚戌(※二月十日)に、

 

「造石上神宮使正五位下石川朝臣吉備人等。支度功程。申上單功一十五万七千餘人。太政官奏之。勅曰。此神宮所以異於他社。者何。或臣奏云。多収兵仗故也。勅。有何因縁所収之兵器。奉答云。昔来天皇御其神宮。便所宿収也。去都差遠。可慎非常。伏請卜食而運遷。是時文章生従八位上布留宿禰高庭。即修解申官云。得神戸百姓等疑偁。比来。大神頻放鳴鏑。村邑咸恠。不知何祥者。未経幾時。運遷神寳。望請奏聞此状。蒙従停止。官即執奏。被報宣偁。卜筮吉合。不可妨言。所司咸来。監運神寳。収山城国葛城郡訖。無故倉仆。更収兵庫。既而聖體不豫。典闈建部千継。被充春日祭使。聞平城松井坊有新神託女巫。便過請問。女巫云。今所問不是凡人之事。宜聞其主。不然者。不告所問。仍述聖體不豫之状。即託語云。歴代御宇天皇。以慇懃之志。所送納之神寳也。今践穢吾庭。運収不当。所以唱天下諸神勒諱贈天帝耳。登時入京密奏。即詔神祇官并所司等。立二幄於神宮。御飯盛銀笥。副御衣一襲。並納御■(「譽」の下が「車」)。差典闈千継充使。召彼女巫。令鎮御魂。女巫通宵憤怒。託語如前。遅明乃和解。有勅。准御年数屈宿徳僧六十九人。令読経於石上神社。詔曰。天皇御命  坐。石上  大神  申給 波久。大神  宮  収有  器仗 。京都遠  成 奴流尓 依 。近處  令治 牟止 爲 弖奈母。去年此  運収有 。然  比来之間。御體如常不御坐有 流尓。大御夢  覚  坐  依 。大神  願坐  任 。本社  返収 弖之。无驚  无咎 。平  安  可御坐 止奈母 念  食。是以鍛治司正従五位下作良王。神祇大副従五位下大中臣朝臣全成。典侍正五位上葛井宿禰廣岐等  差使 。禮代  幣帛并鏡令持 。申出給御命  申給  申。辞別  申給 。神 那我良母 皇御孫  御命 。堅磐  常磐 。護奉幸  奉給 閇止 称辞定奉 久止 申。遣典薬頭従五位下中臣朝臣道成等。返納石上神社兵仗。」

 

……うーん、さすがに白文ではよくわからないので、

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 神道論攷. 第1巻

 

↑収録の「上代史上に於ける石上神宮」より(15コマ)、この部分を解説している部分を引用してみましょう。

 

「所で更に降つて平安奠都の後、桓武天皇の延暦二十三年二月五日となり、本社の器仗を山城の葛野郡に運び収めしめらるることとなつたが、此の事業に関して、造石上神宮使正五位下石川吉備人等が功程を支度して、単功一十五萬七千餘人と申上したので、太政官から之を奏上に及ぶと、此社の他社に異なる所以は如何と勅問せられた。そこである者が答へて、多く兵仗を収むる故と申したら、そは何の因縁に基づくかと重ねて推問があつたので、

 

昔来天皇御其神宮便所宿収也、去都差遠、可慎非常、伏請卜食而運遷、


と奉答した。」

 

桓武天皇」は、「石上神宮」の器仗を運ぶのに「十五万七千人」必要だと言われて、「この神社が他の神社と異なるところはなにか?」とお訊ねになりました。

「たくさん兵器を収めているところです」とある人が答えると、「それは何の因縁に基づくものか」と重ねて問われたので、「昔は武器を収めるのに便利な場所でしたが、今は都から遠くなったので、場所を移したいと思います(大意)」と答えました。

続いて、

 

「此時に文章生従八位上布留宿禰高庭といふものが官に解を奉つて

得神戸百姓等疑偁、比来大神頻放鳴鏑、村邑咸恠不知何祥者、未経幾時運遷神寳、望請奏聞此状、蒙従停止、

といっつたから、官から之を執奏したところ

卜筮吉合不可妨言、

と報じて之を却けられ、所司の者が咸来つて神宝を監運し終つた。」

 

すると、

「布留宿禰高庭」といういかにもな名前の人物が、「神戸の百姓たちが、このところ大神はしきりに鳴り鏑を放ち、村では何者の仕業なのかと恐れています、神宝を運び写すのを停止していただくようお願いします(大意)」と願い出ました。

しかし朝廷は、「占いで吉と出ているので、妨げることのないように」と神宝の移動を終えました。

 

「すると故なくして倉庫が仆れたので、更に兵庫に収められたが、間なく聖體不豫とならせられた。時に春日祭の使に充てられた典闈建部千継が、平城松井坊で、新たな神の女巫に託言せらるるのを聞き、立寄つて訪うたところ、一二問答の末

歴代御宇天皇以慇懃之志所送納之神寳也、今践穢吾庭運収不当、所以唱天下諸神勒諱贈天帝耳、

との神語を得たので、密かに上奏に及んだ。」

 

神宝を収めた倉庫がなぜか倒れ、兵庫に収めると間もなく「桓武天皇」が病に倒れられました。

天皇の側近である建部千継」が、「平城松井坊」にいる新しい巫女が託宣をするというので訪ねると、「歴代の天皇が例を尽くして収めてきた神宝であるのに、今は私の庭は踏み荒らされて運び出されてしまったので、神々と唱和して「勒」の諱を天帝の耳に贈ったのだ(?)」といった神勅を得ました。

※私の漢文の知識では、↑の訳が精一杯で、とても正しいとは思えませんが、要するに「天皇を祟ったのだ」ということだと思います。※

 

「そこで神祇官並に所司等に詔して、神宮に二幄を立て、銀笥に盛った御飯に御衣一襲を副へて御■(「譽」の下が「車」)に納め、千継を使とし、かの女巫を召して御魂を鎮めしめられた。巫は通宵忿怒、前の如くに託語しつつあつたが、遅明に及んで和解した。」

 

石上神宮」にお供えをして、御魂鎮めを行ったところ、神は夜通し怒っていたけれども、明け方になって和解しました。

 

「仍つて勅して天皇の御年数に准じ、宿徳僧六十九人を屈して本社に読経せしめられ、

 

天皇御命  坐、石上  大神  申給 波久、大神  宮  収有  器仗  京都遠  成 奴流尓 依 。 處  令治 牟止 爲 弖奈母 去年此  運収有 、然  比来之間御體如常不御坐有 流尓 大御夢  覚  坐  依 、大神  願坐  任  本社  返収 弖之 无驚  无咎  平  安  可御坐 止奈母 念  食、是以鍛治司正従五位下作良王・神祇大副従五位下大中臣朝臣全成・典侍正五位上葛井宿禰廣岐等  差使 、禮代  幣帛、并鏡令持  申出給御命  申給  申、辞別  申給 、神 那我良母 皇御孫  御命  堅磐  常磐  護奉幸  奉給 閇止 称辞定奉 久止 申、

 

と仰せられ、翌二十四年二月十日典薬頭従五位上中臣朝臣道成等をして兵仗を返納せしめられた。此に於てさしもの懸案も、一箇年の日子を経て滞りなく片づいたのである。」

 

桓武天皇」の年齢である69人の僧侶に「石上神宮」で読経をさせ、天皇の命令により石上大神に申し上げます。大神の宮に収めてある兵器は京都が遠くなったので、近いところに納め置こうと昨年運び出しましたが、天皇が病を得られました。そこで、大神の願いのままに、元の通りに返却しようと思いますので、どうぞお鎮まり下さい。特に申し上げるのは、天孫のお命を固く長くお守りくださいますよう(大意)」と申し上げました。

 

前回の記事でも申し上げましたが、「大和」の神の祟りのパターンで、宮中から追放されて諸国を巡らされてようやく伊勢に鎮座したのが「天照大神」、宮中から追放されて「大和」の山に封じられたのが「大物主大神」や「倭大国玉大神」でした。

石上神宮」の大神もまた、宮中から「祟りがある」として追放され、石上布留の地に落ち着いたのですが、そこに祀られた兵器を動かそうとしたら、やっぱり天皇に祟ったのだ、と。

このパターン、「石上神宮」の例が古いのか、あるいは他の神々のほうが古いのかわかりませんが(「出雲」から出てくることを禁じられた「大己貴神」や、「諏訪」に封じられた「建御名方神」も、通じるものがあるかもしれません)、なぜかみんなして天皇家に祟るんですよね。

ということは、「祟られるようなことを天皇家がやってきた」、と考えるのが高田崇史流正統です(?)。

現実的なところでは、帰順はしたけれども力ある氏族ばかりで、最後までその命脈を保っていたのが「石上神宮」の奉斎氏族だった、と言えるのかもしれません。

「大物主大神」が祟った「崇神天皇」は第10代、「石上神宮」の大神が祟った「桓武天皇」は第50代ですから、一代10年と考えても400年の開きがあります。

恐るべし「石上神宮、というところでしょうか。

 

 

 

次からは、あといくつか小ネタをご紹介します〜。