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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「石上神宮」(補)

さて。

とりあえずいつもの通りに(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯 第3編

 

↑『大和名所図会』より。

179コマです。

 

「石上布留社

布留村及び四十八村の氏神なり。例祭九月十五日。夫当社は、[延喜式]の石上坐布留御魂神社にて、常陸国鹿島の神宮と同体、十握剣にてまします。又の御名天羽斬(あめのははきり)とも号す。抑此剣は、素戔嗚尊出雲国にして、八岐の大蛇をたひらげ、その尾をきり給ふ時に、剣の刃すこしかけたり。いかなればとて、その尾を割きて見給へば、尾の中に剣あり。是草薙の剣にして、尾張国熱田神なり。蛇をきる剣は、蛇の麁正(あらまさ)と号し、石上に坐す[日本紀]。又天羽斬といふは大蛇を羽といふ故なり。[古語拾遺]。爰を布留といふ事は、むかし此川上に一つの剣流れたり。物にふるるごとに石木といへどもやぶるるにやすく、きるにかたきはなし。川耳にあやしの賎女布を洗ふありけり。その布にまつはれて、剣のとどまりしより、神と祠ひて布留の明神と号し奉る。扨こそ布留はぬのにとどまるとぞかかれける。[盛衰記]。御鎮座は人皇十代崇神天皇の御宇なり。伊香色雄命(いかしこをのみこと)大臣にして、天社・国社をさだめ、八十萬群神をまつる時、大和国山邊郡石上の邑にうつし奉る。其神十種の瑞宝は、高皇産霊尊より饒速日尊に伝り、其子味間見命(うましまみのみこと)にあたへ、それより神武天皇に奉りて、後には蔵め齋り、石上の大神と号し、国家にあがめ祀りけり。
神庫 正殿の傍にあり。此内に方五尺の櫃あり。神符して開く事なし。小狐といふ剣なり。
祭例にはかの浣布にとどまりし剣とて、袋にをさめて鳥居の外まで出し奉る。又笈渡(おひわたし)といふ事あり。神前に護摩を修し、宝蔵の笈三負出して、僧の肩にかけて行あり。此時内山永久寺・桃尾山龍福寺、産沙数村の僧侶ここにあつまりて勤めけるとぞ。」

 

「爰を布留といふ事は、むかし此川上に一つの剣流れたり。物にふるるごとに石木といへどもやぶるるにやすく、きるにかたきはなし。川耳にあやしの賎女布を洗ふありけり。その布にまつはれて、剣のとどまりしより、神と祠ひて布留の明神と号し奉る。扨こそ布留はぬのにとどまるとぞかかれける。[盛衰記]」

 

源平盛衰記』によれば、↑というのが由緒の一つのようです。

「川上から流れてきた剣は、物に触れればなんでも斬れたが、下女の洗っていた布はまとわりついて剣がとどまった。それで、「布に留まる」と書いて「布留」」だと。

だとすると、川の名前もこれが由来になりますね……ま、後付けでしょう。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 古事類苑. 神祇部25

 

↑22コマから拾ってみます。

 

石上神宮
石上神宮は、大和国山邊郡石上村の北、布留村にあり。布都御魂の神剣を祀る。一名を佐士布都神とも、甕布都神とも称す。 日本書紀古語拾遺等の書には、素戔嗚尊の八岐大蛇を斬り給ひし神剣、蛇之麁正、一名天羽々斬剣を祀ると云ふ。 古は布留御魂神社と云ひ、又布留社とも称す。神武天皇東征して、熊野に至り給ひし時、皇軍皆邪神の毒気に触れ、大に痺れ困臥せし時に、武甕雷神、其国土を平定せし神剣を降し給ひしに由り、猛然醒起し、皇軍又大に振ふ、其神剣は即ち布留御魂なり。天皇都を橿原に定め給ふに至り、之を殿内に奉祀せしが、崇神天皇の御世、始て神宮を石上邑に建設し、因て石上大神と号す、是則ち此神社の起源なり 新撰姓氏録には、仁徳天皇の御世の創建とす。 延喜の制、名神大社に列し、月次相嘗新嘗の官幣に預る、現今官幣大社に列す。」

 

あっさりな感じでした(この後ろに、『日本書紀』などからの引用が並んでいますけども)。

というわけで、関係ありそうな部分を拾っていきましょう。

 

日本書紀〈1〉 (岩波文庫)

日本書紀〈1〉 (岩波文庫)

 

 

 まずは『日本書紀』の神代紀、「素戔嗚尊」の「八岐大蛇退治」の部分から。

本文では、

 

「時に素戔嗚尊、乃ち所帯かせる十握剣を抜きて」(p92)

 

とあります。

一書(第二)では、

 

「其の蛇を断りし剣をば、号けて蛇の麁正(あらまさ)と曰ふ。此は今石上に在す」(p96)

 

とあります。

この「今石上に在す」というのは、『日本書紀』が書かれていた「今」なのか、参考にされた文献の書かれた時点での「今」なのかははっきりしません。

一書(第三)では、

 

素戔嗚尊、乃ち蛇の韓鋤(からさひ)の剣を以て、頭を斬り腹を斬る。……(略)……其の素戔嗚尊の、蛇を断りたまへる剣は、今吉備の神部の許に在り。」(p98)

 

「其の素戔嗚尊の、蛇を断りたまへる剣は、今吉備の神部の許に在り。」というわけで、一書(第二)とは矛盾が生じています。

一書(第二)では「石上」に、一書(第三)では「吉備」にある、と。

この「吉備」は、備前国の「石上布都之魂神社」ではないかと考えられていますが、当時そのように呼ばれていたかどうかはわかりません(以前、「吉備津神社」なんかを巡ったときに行きたかったんですが、遠くて行けなかったんですよね……)。

あれ、でもどちらも一応「石上」ということだとすると、矛盾ではないのかもしれません。

一書(第四)には、

 

素戔嗚尊、乃ち天蠅斫剣(あまのははきりのつるぎ)を以て、彼の大蛇を斬りたまふ。」

 

とありますが、この斬蛇剣の行方は書かれていません。

ちなみに『古事記』では、この斬蛇剣は「十握剣」です。

 

ええと、そういえば「石上神宮」の(今の)御祭神を書いていませんでしたが、「布都御魂(ふつのみたまの)大神」「布留御魂(ふるのみたまの)大神」「布都斯魂(ふつしみたまの)大神」で、似たような名前でなんともですが、「素戔嗚尊」の斬蛇剣は「布都斯魂大神」だとされています。

 

では続いて、関係ありそうなお方たちについて。

再び『日本書紀』神代紀よりですが、「伊奘諾尊」が「十握剣」で火の神「軻遇突智」を斬った場面、一書(第六)ですが、

 

「復剣の刃より垂る血、是、天安河辺に所在る五百箇磐石(いほついはむら)と為る。即ち此経津主神の祖なり。復剣の鐔より垂る血、激越きて神と為る。号けて甕速日(みかはやひの)神と曰す。次に熯速日(ひのはやひの)神。其の甕速日神は、是武甕槌神の祖なり。亦曰はく、甕速日命。次に熯速日命。次に武甕槌神。」(p42)

 

経津主神武甕槌神、香取・鹿島の神の登場シーンですね。

この「経津主神(ふつぬしのかみ)」が、「石上神宮」の御祭神布都御魂大神」「布都斯魂大神」と関係しているのでは、と考える人が多いです。

この場面の一書(第七)では、

 

「又曰はく、軻遇突智を斬る時に、其の血激越きて、天八十河中に所在る五百箇磐石に染む。因りて化成る神を、号けて磐裂神と曰す。次に根裂神、児磐筒男神。次に磐筒女神、児経津主神。」(p50)

 

とあって、一書(第六)と近い伝承ながら、「武甕槌神」は出てきません。

この二柱の神は、「国譲り」の際に派遣されるのですが、本文では、神々から推薦されたのは「経津主神」で、「建甕槌神」は「自分はますらおではないから」と遠慮すると、その潔さを認められて ※この部分は、「経津主神ばかりがますらおと言われて、自分はますらおではないのか」と怒り猛って言った、というのが正しいらしいので訂正します(2016/3/10) その激しい様を認められて、「経津主神」にそえられて地上に降ります(p116)。

これが一書(第一)(第二)だと、二柱とも同格に選出されます(p130、p136)。

どうも『日本書紀』は、「経津主神」を持ち上げている感じがします(逆に言えば、それによって「武甕槌神」の格を上に見せている感じを受けます)。(2016/3/10訂正)

このあたりは、今回はまぁ置いておきまして。

古事記』では、この「武甕槌神」の誕生シーンを、

 

 

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)

 

 

「ここにその御刀の前に著ける血、湯津石村(ゆついはむら)に走り就きて、成れる神の名は、石拆神、次に根拆神。次に石筒之男神。次に御刀の本に著ける血も亦、湯津石村に走り就きて、成れる神の名は、甕速日神。次に樋速日神。次に建御雷之男神。亦の名は建布都神。亦の名は豊布都神。」(p25)

 

としています。

建御雷之男神。亦の名は建布都神。亦の名は豊布都神。」と、『日本書紀』の「武甕槌神」と「経津主神」を、一つの神格として登場させています。

どちらがどうなのかはなんとも言えませんが、どちらも戦神、あるいは剣の神だったと考えるのが妥当でしょう。

で、「国譲り」で派遣されるのは、当然ですが「建御雷之男神」です。

 

○こちら===>>>

2013-07-26 - べにーのGinger Booker Club

 

↑でも書きましたが、このときに「天迦久神」という神様が登場して、「建御雷之男神」を呼びに行くのですが、この「天迦久神」は「鹿の神格化」と考えられています。

いろいろ理屈をこねられるようですけれども、まぁなんか「春日大社」の鹿が関係しているんじゃないですかね〜(適当)。

 

今回は早めに終わらせる予定です……が続きは次回に〜。

 

 (2016/3/10訂正)