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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「穴師坐兵主神社」「相撲神社」(考々々々々々)

さ〜て来週の『○○○さん』は〜?

 

 

たまには変わった入り方を……。

 

 

兵主神で読み解く日本の古代史 スサノヲ朱蒙─その正体は蚩尤

兵主神で読み解く日本の古代史 スサノヲ朱蒙─その正体は蚩尤

 

 

 

↑こちらは在野の歴史研究家(?)が書かれた本です。

筆名からしてすでに「大丈夫か?」な感じがします(皆神山というのは、日本のピラミッドの一つです)。

他にも何冊か出版されており(自費出版系、マイナー出版社のようですが)、日本古代史と大陸・朝鮮半島の伝承を絡めての述作が多いようです。

ときどき丁寧語形が混じり込むので、読んでいるとややイライラしますが、内容は整理されていてわかりやすいと思います。

で、ここで書かれているのは、「兵主神というのは蚩尤であり、それが大陸から伝来してくる際に高句麗の始祖・朱蒙になり、スサノオになった。その他の諸々の日本の神々も、蚩尤の影響を受けている」、といった内容です。

大陸の神話はともかく、朝鮮半島の神話には疎いので、いろいろと漁ってみまして、簡単にまとめてみようかと思います。

 

※参考文献※

 

古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査 (中公新書)

古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査 (中公新書)

 

 

古代朝鮮神話の実像

古代朝鮮神話の実像

 

 

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)

倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本 (講談社学術文庫)

 

 

特にまとまっている『古代朝鮮と倭族』を中心に、半島の始祖神話について、ざ〜っと書いてみます。

 

古朝鮮

朝鮮半島で歴史上に残る最古の史書は『三国史記』といい、高麗国十七代王仁宗の頃にまとめられた(1145年)。また、二十五代忠烈王の頃に、一然という仏僧がまとめた私撰の史書を『三国遺事』という(1284〜89年頃)。朝鮮半島の古代の帝王として知られるのが「檀君」である。「檀君」が古朝鮮を立てたのは、北魏の『魏書』から引かれた『三国遺事』によれば、「(北)魏の時代から2000年ほど前(紀元前1500年頃)」とされている。「檀君」の国の後に、「箕子朝鮮」「衛満朝鮮」と続いた、とされている。

※ちなみに、現存する北魏の『魏書』には、高句麗伝、百済伝が残されており、『三国史記』に引かれる高句麗百済の神話は『魏書』を元にしていると考えられている。その意味では、『魏書』の書かれた時代(554年〜559年頃)に、高句麗百済の伝説が大陸に伝えられていたので、後に書く「高句麗の神話」「百済の神話」については古さを担保できるものと思われる。ところが、以下に述べる檀君神話に関する記述は『魏書』には無い。散逸した部分に記されていたのかもしれない、という説もあるが、その他の大陸の史書などにも檀君神話は出てこない。

例えば、記紀神話の内容が大陸の史書に出てこないからといって、それが日本で語り継がれてきたものではない、と言えないのと同様に、檀君神話が大陸の史書に出てこないからといって、それが朝鮮半島で語り継がれてきたものではない、とは言えない。が、少なくとも記紀神話については、大陸の史書をかなり参考にして作られているとしても、「大陸の史書に○○と記されている」とは書いていない(例外的に、「卑弥呼」に関する記事が「神功皇后紀」に挿入されているが、これはいわゆる「魏志倭人伝」からきちんと引用しているので齟齬はない)。檀君神話の元となるような神話伝説はあったのかもしれないが、少なくとも檀君神話というものは『三国遺事』が初見であり、比較的新しい段階で作られたものだと考えるのが妥当である。

 

(1)檀君神話

桓因の息子である桓雄が天下を志して人の世を欲しがると、桓因がその気持ちを汲んで、彼に天符印三つを授けて、人の世に下りて治めるようにした。

桓雄は群れ三千を導いて太白山の神檀樹の下に降りて、その場所を神市と呼び桓雄天王となった。彼は雨・風・雲神を従えて人事を主管しながら人世を治めた。(『三国遺事』より/『古代朝鮮神話の実像』p25)

このとき、熊と虎が人間になることを願い出た。桓雄は一把のヨモギと二〇のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように、と告げる。熊は日光を避けて37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は耐えられず人間にはなれなかった。桓雄は熊女を娶り、檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ。

檀君平壌城に都を定め朝鮮を建国、都を白岳山の阿斯達(アサダル)に遷して1500年間統治した。しかし、周の武王が箕子を朝鮮王に封じたため、檀君は都を蔵唐京に遷し、阿斯達に戻って山神となった。(『古代朝鮮神話の実像』より抜粋、まとめ)

 

○扶余族系

扶余族は、黒龍江上流域のモンゴル系遊牧狩猟民族で、大陸東北のツングース系諸族を征服、扶余国を建てた。

高句麗は、ツングース系の濊族の建国。

扶余国が滅びたあと(4世紀)、朝鮮半島に移住した後に馬韓朝鮮半島南西部)を統一して百済を建国。

 

(2)扶余族の神話

北夷の王様が出かけていると、その侍女が妊娠。戻ってきた王様がこれを殺そうとすると、「天上に気があって、その大きさは鶏子(卵)のようで、それが降ってきたのを見たら妊娠していました」と言う。男子が生まれたので、王様はこれを豚小屋に入れたが、豚がこの子を息であたためて死なないようにした。馬小屋に入れても同じだった。王様は「これは神だ」と考えて、「東明」と名付けた。「東明」は大きくなると弓を射ることがうまかった(善射)。王様は「東明」の勇猛なのを恐れてまた殺そうとした。「東明」は逃げて水辺に至った。弓で水を撃つと、魚や亀(鼈)がみんな浮かんできた。「東明」はこれを渡って、扶余に至った(扶余の始祖となった)。

 

(3)高句麗の神話

朱蒙の母は河伯の娘(柳花)だった。夫余王(金蛙)は女に話を聞くと、「天帝の子、解慕漱(ヘモス)と密かに通じたので、父母が起こって太白山の麓の優渤水に捨てていった」と言った。王は女を部屋の中に閉じ込めた。日が差し込んできて女を追った。すると妊娠して、卵を産んだ。夫余王は卵を犬に与えたが食べず、豚に与えても食べない。道に捨てれば牛馬はこれを避けていく。野に捨てれば野鳥が温める。夫余王は卵を割ろうとしたが叶わないので。母に戻した。やがて生まれた男児を「朱蒙」といい、その意味は「善く弓を射る」である。夫余の人々は、「朱蒙」の異常なところを恐れて排除しようとしたが、王は「朱蒙」に馬を養うことを命じた。「朱蒙」は馬の良し悪しを見抜いて、良い馬は餌を減らし、悪い馬には餌をたくさん与えた。結果、王はよく肥えた悪い馬を自分のものとし、痩せた良い馬は「朱蒙」に与えた。また、狩りのとき、「朱蒙」には矢を一本与えるだけだったが、たくさんの獣を倒した。夫余の人々はやはり「朱蒙」を殺そうと考えた。「朱蒙」の母はそのことを知り、逃げるように告げる。「朱蒙」は二人の従者と逃げ、東南に向かった。水辺にいたって、渡ろうとしたが橋はない。追っ手が迫っているので「朱蒙」は、「私は太陽の息子で、河伯(河の神)の孫である。追っ手が迫っている、どうやったらここを渡れるのか」と水に告げると、魚や亀(鼈)が浮かんできて橋になった。渡りきると、魚や亀はいなくなってしまい、追っ手は渡ることができなかった。その後、逃げた先で高句麗を建てた。

 

(4)百済の神話

(前段はほぼ「扶余族の神話」と同じ)。

「東明」のあとに、「仇台」という人がいた。帯方郡の進出したところ、漢(の遼東太守)の公孫度は、自分の娘を「仇台」に嫁がせた。これによって、東夷(東方の野蛮な国)の強国となり、はじめは百家が済(たす)けたので、国の名前を百済とした。

 

新羅

もともとは辰韓朝鮮半島の南東部)で、その成立には諸説がある。建国者は、秦の末裔だったり、百済馬韓)からの亡命者だったり、と言われている。ある文献(『三国史記』)によれば、22代王の頃でも国名は定まっておらず、「斯羅(サラ)」、「斯盧(サロ)」だったり、「新羅(シルラ)」だったりした。新羅の王家には、朴、昔、金の三氏があった。これを一系として伝えているが、実際には三氏並立の時代が長かったのではないか、との説もある。

 

(5)新羅(昔氏系)の神話

国王が娶った女性が妊娠して7年経ち、卵を産んだ。王は「あやしい」と卵を捨てるように言うが、母は捨てるに忍びず、布で卵と宝物を包み、箱に入れて海に流した。最初は金官国の海辺に流れ着いたが、国の人々は怪しんで取り上げなかった。ついで辰韓の阿珍浦口に流れ着き、老婆がこれを引き上げて開いてみると、男児がいた。成長すると長駆にして聡明になった。姓を知らなかったので、箱が流れ着いたときに鵲(かささぎ)が鳴いていたことから、昔氏と名乗った。また、箱から解かれて出たので、名前は「脱解(ダヘ)」とした。

 

(6)新羅(朴氏系)の神話

高墟(コフオ)村の長の蘇伐(ソブル)公が、楊山の麓にきたところ、林の中に馬がいなないていた。行ってみると馬は見えなくなり、大きな卵があった。これを割ると赤ん坊がいた。成長すると立派になったので、その地の六村(現在の慶州地方、高墟はその一つ)の人々は彼を君主に仰いだ。辰人は瓠(ひさご/ひょうたん)を朴といった。卵は瓠のようだったので、朴という姓になった。名前は「赫居世(パルコセ)」。

 

(7)新羅(金氏系)の神話

王は夜、城の西方の始林で鶏の鳴く声を聞く。夜が明けてから「瓠公(ホゴン/新羅初期の最高官吏となった人物)」を派遣すると、金色の箱が木の枝にかけてあり、白い鶏がその下で鳴いていた。「瓠公」は戻ってきて王に告げると、王は人を遣わして箱を開けさせた。中には男児がいた。王は「これは、天が私に遣わして後継にしろとの思し召しだと喜んだ。成長すると聡明になり、「閼智(アルジ)」と名付けた。金の箱から生まれたので姓を金氏とした。また、始林を改めて「雞林(ケリム)」とし、国号とした。

 

○駕洛(カラ)

駕洛は、加羅伽耶とも表記され、六伽耶から構成されていたと考えられている。弁韓朝鮮半島南端部)のことで、中心となる伽耶が金官国とも呼ばれていたので、「金官」と総称することもある。

 

(8)駕洛の神話

三月、北方の亀旨(クイジ)に、いつもと違う声がするので、人々が2〜300人集まった。人の声のようで、「ここに人ありや否や」と言っている。九人の族長たちが「吾が徒あり」と答えると、「吾が在る所は何となすや」と言うので、「亀旨なり」と答えた。また、「皇天が我に命ずる所以は、この処に御し、ただ家邦を君后のために新たにす。これをなす故に降りる。儞ら須らく峯の頂を掘り、土を撮り、これを歌いていう『亀いずこ亀いずこ、首それ現わすや、若しくは現わさざるや、燔灼して喫するや』。之を以て蹈舞すべし。すなわちこれは大王を迎え、歓喜勇躍するものなり」と。族長らは言う通りにした。

こののち、紫の縄が天から垂れてきた。その下にいってみると、紅の布で包まれた金の箱があった。開いてみると、太陽のように丸い金の卵が六つ入っていた。衣で包んで持ち帰ってみると、翌朝には卵は孵化して童子が生まれた。容貌は魁偉で、人々は恭しく育てた。日に日に大きくなっていき、その月の満月の日には即位した。最初に現れたので諱を「首露(スロ)」と名付け、国の名前を大駕洛、または伽耶国とした。これは六伽耶の一つである。他の五人もそれぞれが、伽耶の王となった。 

 

 

さて、ざーっとまとめて書いてみましたが、特徴的なものの一つが「卵生神話」というやつですね。

で、「檀君神話」というやつが、他の神話と懸け離れた内容だということもわかると思います。

檀君神話」の元となる口承されてきた伝承があっても別にいいのですが、あまり当てにはしないようにしましょう。

高麗の人々が『日本書紀』を知っていたのかどうかは知りませんが、天孫降臨に似ている部分も多いのですよね……これをもって、「天孫降臨神話は半島の檀君神話からきている」と言ってしまいたくなる気持ちもわかるのですが、『日本書紀』から『三国遺事』まで400年近くの時が経っていますから、「檀君神話は天孫降臨神話を元にしている」と言うことだってできてしまいますね。

ということで「檀君神話」はとりあえず無視します。

 

 

あ、今日はこの辺りでお開きに〜。

まだ続きますよ〜。