べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「大神神社」(続)摂社→「狭井神社」〜奈良・京都めぐり〜

さて。

参集殿と祈祷殿の間を抜けて、北へ向かいます(南側の摂社は諦めます<涙)。

時間的にですね……ちょっと無理かなと。

 

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最初にあるのが「活日神社」。

 

「御祭神 高橋活日命

御例祭 四月四日

(御由緒)

祭神の高橋活日命は崇神天皇に命じられ、大物主大神に供える神酒を醸した掌酒(さかひと)で、杜氏の祖神として酒造関係者から篤く信仰されています。

一夜にして美味しい酒を造ったことから、古くは「一夜酒社」とも呼ばれていました。

酒まつり等で舞われる神楽「うま酒みわの舞」は活日命が詠んだ歌で作曲作舞されたものです。」

 

 

日本書紀〈1〉 (岩波文庫)

日本書紀〈1〉 (岩波文庫)

 

 

↑の崇神紀八年の条に、

 

「八年の夏四月の庚子の朔乙卯に、高橋邑の人活日を以て、大神の掌酒(略)とす。

冬十二月の丙申の乙卯に、天皇大田田根子を以て、大神を祭らしむ。是の日に、活日自ら神酒(みわ)を挙げて、天皇に献る。仍りて歌して曰はく、

此の神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭成す 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久

如此歌して、神宮に宴す。即ち宴竟りて、諸大夫等歌して曰はく、

味酒(うまさけ) 三輪の殿の 朝門にも 出でて行かな 三輪の殿門を

茲に、天皇歌して曰はく、

味酒 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪の殿門を

即ち神宮の門を開きて、幸行す。所謂大田田根子は、今の三輪君等が始祖なり。」

 

↑とあります。

大神神社」がお酒の神様となっているのも、この方のおかげ、ということになります。

性別がわかりませんが、多分男性でしょう。

 

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山の辺の道の案内板。

 

「「山の辺の道」は、大和盆地をとりかこむ山々の、東側の山麓を縫うように、三輪から奈良に通じる日本最古の道です。これより後、七世紀に入ると、大和国原を南北に走る「上ツ道」「中ツ道」「下ツ道」の三つの官道が造られます。

上ツ道の更に東にあって、歌垣で有名な海柘榴市から、大神神社、景行陵、崇神陵、長岳寺を経て、石上神宮に至る約15キロが、一日のハイキングには最高の道のりとなります。

この道は、古代の面影をよく残し、万葉びとの息づかいが今に伝わり、古社寺、古墳、万葉歌碑をはじめ、多彩な伝承の舞台が展開し、歩く者を古代の世界へと誘ってくれます。

一年を通して、「古代」に思いを馳せ、たくさんの人々がこの道を散策します。山の辺の道を歩けば、木々のささやきが聞こえ、遠い昔の神々が姿を現し、吹いてくる風にまで古代が今なお息づいているのが実感出来ます。」

 

むむむ……時間が許せば、それこそ「石上神宮」まで歩いていきたいくらいなのですが、何しろ何しろ……はぁ、もうちょっと調べておけばなぁ……。

ともかくまずは、「狭井神社」を目指して歩きます。

 

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思ったよりたくさんの方が歩いていらっしゃいます。

天気もよいです、少し歩くとじんわり汗が滲んできます。

そこはかとなく涼しくもあり、絶好のハイキング日和ですね。

 

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続いては、「磐座神社」。

 

「御祭神 少彦名神

御例祭 十月十一日

(御由緒)

祭神少彦名神は大物主大神と共に国土を開拓し、人間生活の基礎を築かれると共に、医薬治病の方法を定められた薬の神様として信仰されています。

三輪山の麓には辺津磐座と呼ばれる、神様が鎮まる岩が点在し、この神社もその一つです。社殿がなく、磐座を神座とする形が原始の神道の姿を伝えています。」

 

あまりまじまじと写真に撮ることは遠慮しました。

磐座に「少彦名神」をお祀りしたのは比較的新しいことなのだと思います。

それまでがどんな神の顕現だったのか、今となっては知る由もありません。

点在するすべての磐座に神が祀られていたとしたら、それぞれがどんな神だったのか是非知りたいところです。

残念ながら、記憶も、記録も失われていきます。

 

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5分ほどで到着「狭井神社」。

 

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入ってすぐの池には「市杵島姫神社」があるのですが、現在修繕工事中。

「鎮女池」が、かつては「沈め池」という人身御供の場所だったのではないか、という妄想はいけません(<お前だ)。

 

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山懐に抱かれる社殿。

神妙な気持ちにさせます(そうでない人たちは賑やかでした)。

 

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「狭井坐大神荒魂神社(狭井神社)

主祭神 大神荒魂神

配祀神 大物主神

    姫蹈鞴五十鈴姫命

    勢夜多々良姫命

    事代主神

当神社は、第十一代垂仁天皇の御世(約二千年前)に創祠せられ、ご本社大神神社大物主神の「和魂」をお祀りしているのに対して、「荒魂」をお祀りしています。

「荒魂」とは進取的で活動的なおはたらきの神霊で、災時などに顕著なおはたらきをされます。特に身心に関係する篤い祈りに霊験あらたかな御神威をくだされ、多くの人々から病気平癒の神様として崇められています。

今「くすり祭り」と知られる鎮花祭は、西暦八三三年成立の「令義解」に「春花飛散する時に在りて、疫神分散して癘を行ふ。その鎮遏の為必ず此の祭あり。故に鎮花(はなしずめ)といふ也。」と記され、万民の無病息災を祈る重要な国家の祭りとして定められています。

予って、別名華鎮社、しづめの宮と称されています。

又、御社名の「狭井」とは神聖な井戸・泉・水源を意味し、そこに湧き出る霊泉は太古より「くすり水」として信仰の対象になっています。(略)」

 

「姫蹈鞴五十鈴姫命」は「大物主神」の姫神で、「神武天皇」の皇后となられるかたです。

「勢夜多々良姫命」は「大物主神」の妻で、「三島溝咋(みしまのみぞくい)」の娘。

事代主神 」は、「大己貴神」の御子神で、国譲りのときに海に沈み、やがて「えびす様」と習合された方ですが、『日本書紀』によれば「玉櫛姫」のところに「八尋熊鰐」の姿となって通い、その姫神が「姫蹈鞴五十鈴姫命」とされています(神代紀第八段)。

姫神お二人とも「タタラ」という言葉が入っていますが、これが製鉄の際の「踏鞴」を表すのか、何かを「立てる」という意味なのかは諸説あるようです。

いくつかの伝承が混ざり合って混乱しているのではないかと思われますが、陰謀論好きーにとっては、ここにも何か『日本書紀』編者の遠慮深謀が隠されていると見るのが妥当です(?)。

それが何かは……わかりません。

「狭井」は「神の井戸」という意味なんですが、どうして「神井」と書いて「さい」と読ませなかったのか、という疑問があります。

「春花飛散する時に在りて、疫神分散して癘を行ふ。その鎮遏の為必ず此の祭あり。故に鎮花(はなしずめ)といふ也。」……花を鎮めるお祭りではなくて、花が咲く頃に行う鎮めの祭、という意味なんですね。

疫病に対して「花を鎮めて」なんの効果があるのか、と今まで思っていました。

疫病の神というのは、だいたいが「外からやってくるもの」だと認識されていました(「牛頭天王」がいい例ですね)。

よって、境界で食い止めなければならないのですが、その境界というのが古代においては川であることが多く(洋の東西を問わず、現世と幽世との間に川が流れているという神話伝承があるのは、この意識があるからだと考えられます)、まさしく水際作戦だったのです。

川の急流に遮られて疫病神が渡ってこられない、という思想があったのではないかと思います。

または、川の流れが穢れを祓うのか。

西洋の吸血鬼が「流れる水を渡れない」という弱点を持っている、というのを思い出します。

 

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拝殿の脇から奥に行くと、今も御神水を汲むことができます。

こうした清水があったから、「活日命」が酒を醸すことができたのかもしれません。

 

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本殿。

 

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「狭井神社」には、登山口が設けられており、申請すれば頂上までいくことができます。

頂上には「高宮神社」が鎮座まします。

私ですか?

もちろん、登りませんでした。

標高は467メートルと、それほど高い山ではないのですが、脚力に全く自信のない私は、まだ歩かなければいけないものですから……いえ、今日が「大神神社」だけで終わるのであれば登りたかったともですとも。

ああ……もうちょっと日程も考えておけば……。

 

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境内には、皇后陛下の歌碑もありました。

 

「狭井神社」といえば、奈良市の「率川神社」と関係があるといわれています。

 

○こちら===>>>

「率川神社」〜奈良めぐり - べにーのGinger Booker Club

 

↑妄想していますが、あまり気にせず。

 

 

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登山はごかんべんいただきまして、続いて「山の辺の道」を「檜原神社」へと向かうのです(続)。

 

 

 

 

あ、こちらでも御朱印がいただけますので、お忘れなく〜。