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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「萬頂山高岩寺」

4/26。

20周年のよんどころない宴がつづがなく終了し翌日。

 

○こちら===>>>

「大正大学すがも鴨台観音堂」 - べにーのGinger Booker Club

 

大正大学の「さざえ堂」を拝観したあと、徒歩でトボトボと巣鴨方面へ。

とげぬき地蔵」こと「萬頂山高岩寺」を目指します。

 

○こちら===>>>

とげぬき地蔵尊 高岩寺 | 巣鴨地蔵通り商店街

 

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本堂。

 

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「小僧稲荷」。

 

写真はこれだけです……。

 

さて、お寺でいただいた縁起書によれば、

 

「当寺曹洞宗萬頂山高岩寺は、今を去る約400年前(慶長元年=1596年)江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移る。明治24年、区画整理のため、当地(北豊島郡巣鴨町)に移転、今日に至る。御本尊はもとより霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵菩薩である。」

 

とのことです。

 

○こちら===>>>

http://www.rikkyo.ne.jp/web/z5000002/p1000/05-ensyuu/05-ensyuu04/0504-1.html

 

↑こちらのHPに、「巣鴨地蔵通り商店街」の歴史が簡単に記されています。

もともと巣鴨には、「江戸六地蔵」の一つに数えられる「真性寺」というお寺があります。

明治になって、「高岩寺」が移転してきたことで、二つの地蔵尊のお寺が並び立つことになりました。

「地蔵通り」の地蔵がどちらなのか、あるいは両方なのか。

 

とげぬき地蔵」の由来は、HPによれば、

 

「正徳3年(1713年)5月のこと、江戸小石川に住む田付という人の妻は、常に地蔵尊を信仰していました。一人の男の子を出産して後重い病に見舞われ床に臥し、手足は「細き竹のごとく」にやせ細ってしまいました。諸々の医者が手を尽くしましたが、一向によくならず、遂に婦人は臨終を覚悟し、「私の家には怨霊があって、女はみな25歳までしか生きられないと父母から聞いております。姉も25歳で亡くなりました。」といいだすしまつでありました。田付氏は悲歎にくれつつも、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかないと、毎日一心に病気平癒の祈願を続けました。

ある日のこと、田付氏は不思議な夢をみました。黒衣に袈裟をかけた一人の僧が現われ、「私の像(かたち)を一寸三分に彫刻して川に浮かべなさい」という。田付氏は、それは急には成し難いことを答えると、「ではあなたに印像を与えよう」といわれ、夢からさめました。不思議な夢と、ふと枕元をみると、何か木のふしのようなものが置いてありました。よくみるとそれは「彫ったものでも書いたものでもない」不思議な地蔵菩薩の御影なのでした。田付氏は命の通り、これを印肉にせしめて、宝号を唱えつつ一万体の御影をつくり、両国橋へ行き、一心に祈願しながらこれを河水に浮かべました。さて、その翌日朝またぎ、田付氏は病床の夫人の呼ぶ声に急いで行ってみると、夫人は「今、枕元に死魔が現われましたが、錫杖(しゃくじょう)をもった黒衣のお坊さんが、錫杖を使って外にドンと突き出してしまわれるのを見ました」と告げました。田付氏は霊験にわれを忘れていましたが、あれほど重かった夫人の病は日一日と快方に向かい、その年の11月には床を離れることが出来、以後夫人は無病になったといいます。

_田付氏がこの霊験の話を山高という人の家でしていると、一座の中に毛利家に出入りする西順という僧がいて、ぜひその御影を頂戴したいといいました。田付氏は持っていた2枚を与えました。正徳5年のある日、この毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまいました。女は苦しみもがくが医者も手の施しようがありませんでした。そこに西順が来たり、「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい。」といって、一枚を水で飲ませました。すると、間もなく女中は腹の中のものを吐き、きれいな水で洗っていると、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いてでてきたといいます。

こちらは、この田付又四郎氏が享保13年(1728年)7月17日、自ら記して、高岩寺に献納された霊験記の一部です。」

 

ということです。

 

○こちら===>>>

http://www.kotobuki-p.co.jp/kensaku/data/10ko02.htm

 

↑こういったHPでも、簡単に由来が記されており、私はリンクを貼るだけでさも知ったかぶりができる、というわけです(ダメダメ)。

 

また、

 

○こちら===>>>

map.goo.ne.jp

 

↑で、上野周辺をクリックしていただけると(うまく出ない人は、「現代」のタブをクリックして、上野駅周辺に移動させてから、「江戸」のタブをクリックしてください)、どこかに「高岩寺」が見つかります。

いや、これはいいサイトです。

 

古い文献を探っても、上で紹介した縁起以外にはなかなか見つからないので、ちょっと趣向を変えて。

明治〜昭和期の小説家・白石実三の書いた「とげぬき地蔵」という文章があります。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 武蔵野から大東京へ

 

そこからちょっと引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

70コマです。

 

「明治のユーモリスト、一代の博識、洒落漫談の大先達だつた和田垣博士は、かういふ話を雑誌に口授されては、その話料で、江戸川邊のおでんやで飲まれたのである。

一名借金博士の名があつて、この話をされた時は、雑司ヶ谷の裏長屋にひつそくされてゐた。私が記者として稿料をもつてゆくと、ひどく喜ばれて、上の珍劇の話を一くさり口授されたあと、

『散歩しようか?』と、誘はれる。

巣鴨のとげぬき地蔵をたづねたのは、その時がはじめてだつた。

『うん、これは面白さうな寺だ、一風變つてゐる。』

老博士は、何を感じたか、寺の様子をじろじろ見廻されて、

『この寺の感じは普通の流行佛祠ではないぞ・・・・様子が變つてゐるぞ!』

變つてゐるはずだ。その寺が、今では新東京一のお賽銭のあがる寺になつた。前に書いた文明の板碑のごときも、實はこのとげぬき地蔵のものだつたのだ。

 

(略※ブログ筆者注:地蔵尊の縁起が書かれている

 

寺の縁起にさうあるが、今でも指や掌にとげが刺さつて、切開手術をしなければならない場合、ここの小さなお札を頂いて貼ると、不思議にとげが抜けると確信されてゐる。

とげばかりではない、厄除、方除、悪病除、安産、開運、蟲封じ、迷子、家内安全祈禱の何にでもお守りを出す。信者は廣く日本全國にわたつて、遠く臺灣、北海道、關東州あたりからもお札を乞うて来る。お守りの發送係りは、眼のまはるやうな忙しさだ。

『東京には、志貴山や生駒聖天のやうな金儲けの流行佛祠はない、せいぜい酉の市ぐらゐのものかな。』

これも和田垣博士の話だつたが、天才の直觀は、ぴたり的中して、今では、とげぬき地蔵は、寺で言つてゐるやうに、まさしく日本唯一日の出の勢ひだ。

小石川の大黒天をも凌ぐ隆盛だ。縁日には、堂の前に焚く香や線香が、高さ一二丈の焔となつてえんえんと燃えあがつて、消防夫が出張してゐるのである。大東京で、山の手線が增發する縁日は、このとげぬき地蔵一つだけだといふ繁昌ぶりだ。

平日でも、線香を賣る窓口には、銅貨や銀貨の山を築いてゐる。銅製の大きなお賽銭箱は、そのまま金庫のやうな仕掛けになつてゐて、何十分ごとに徒弟が、鍵であけて、金を取出す。あとからあとからと、お賽銭が雨霰を降る。本堂前の畳の上にも、ばらばらと降る。

徒弟たちは、やはり、何十分おきかに、手提げ金庫を持つてお賽銭を集めて歩くのだが、あつちでもこつちでも、チャリンチャリンと景気のよい金の音だ。銀行の窓口で、枡ではかる金の音。ちゃうどあれだ。寺そのものが、銀行としか思へない。

『せめて、この寺の五分間の身入りがあつたら、和田垣博士も好きな葉巻に事を欠かなかつたらうに、あの時、欲しがつてゐた露西亜帽(シヤリヤアバー)も買へたらうに。』と、私はまたしても、あの偉大な憂鬱の涙のユーモリストを憶ひ起したのであつた。

とげぬき地蔵は、高岩寺といひ、明治二十一年、下谷車坂から今の巣鴨へ移転して来たが、当時、郊外へ移つた最初の寺なのである。文明の古碑は、下谷にあつた頃、寺の後の池から出たもの、本尊秘佛は一寸三分。」

 

↑この版の発行は昭和13年ですが、ネットで検索してみると他の出版社から昭和8年発行のものもありました。

今のように、おばあちゃんの原宿とは(もちろん)書かれていません。

当時の縁日といえば、最大級の娯楽だったでしょうから、老若男女集まったのだと思います。

それにしては、すさまじく持ち上げた書き方です(皮肉でしょうか)。

私、巣鴨に住んでいたことがありますので、「とげぬき地蔵の縁日」の人出の凄まじさはよく知っております。

普段は駅まで15分もかからないのに、縁日の日は倍以上。

しかも、ほとんどがシルバーエイジなので、歩く方も気を使います(とてもゆっくりな方が多いのです)。

「とげぬき」のご利益自体は、和裁洋裁の衰退とともに失われていったのでしょうけれど、まだしばらくは「高岩寺」の繁栄は続くような気がします。

 

 

巣鴨、恐るべし。

 

 

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