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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「成海神社」(名古屋市緑区)

3/28。

天気がいい。

そういえばお花見にも出かけていないので(出かける連れはいませんが)、ふらっと「成海神社」へ。

 

○こちら===>>>

名古屋市:鳴海周辺のみどころ一覧1(緑区)

 

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ううむ、車でなければうろうろしたいところです。

 

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「成海神社

平安時代初期の宮中の年中行事や制度などを記した『延喜式』に載る「愛智郡成海神社」にあたるとされる格式の高い神社である。朱鳥元年(686)の創建といわれ、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命祭神とする。はじめ天神山(根古屋)に在ったが、応永(1394〜1428)のころ安原宗範が鳴海城(根古屋城ともいう)を築くにあたり、この地に移された。

現本殿は棟札にあるように延宝五年(1677)の建立と見られる。」

 

愛智郡の式内社は、「日本武尊」絡みの神社が多いですよね。

 

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参道を行くと、右に折れて二の鳥居。

 

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「だるま塚」。

珍しいですね、だるまの塚なんて。

 

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かなり押し出しの強い、立派な拝殿です。

人気(ひとけ)のない神社とは思えないほど。

 

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狛犬さん。

 

境内摂社がたくさんありまして。

まとめられてしまっているのですが。

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この頃から、iPhoneのカバーの不具合で、全体的にぼやけています。

左から「■■社」「北野社」「風神社」「愛宕社」「今宮社」「住吉社」「八劔社」「八幡社」「氷上源太夫社」。

 

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さらに、「■■社」「御井社」「道祖枝島社」「山神社」「白山社」「宝田社」「熊野日向社」「神明社」。

これらが全て小祠でも社殿を持っていたらもう、ワンダーランドでしたのに。

 

お隣には「東宮稲荷社」があります。

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こちらは「成海神社」側の入り口。

 

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境内の池。

 

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手水場の岩。

 

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南鳥居の跡。

 

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それほど数のない桜が、逆に存在感を放っています。

それにしても、ピントがまるであっていない写真で申し訳ないです。

 

神社暦をいただきまして、そこに由緒が書かれていました。

 

「成海神社は天武天皇の朱鳥元年(686年)熱田神宮神剣飛鳥の都より御遷座のときの創立と伝えられています。是は社伝「成海神社故実聞書」のみでなく、奈良朝末期、天応元年(781年)に書かれた「熱田大神宮御鎮座次第本記」に「成海神社は天武の朝、日本武尊御東征の縁に依る祭神」と見えることでも肯けます。ナルミの地は日本武尊の御縁故地として特筆すべき所で、その御東征のとき尾張国の長官であった建稲種命はヒタカ(火高、今の大高)の丘に館を構えてここにお迎えし、妹の宮簀媛命は尊の姤になられました。寛平二年(890年)の記録である「熱田大神縁起」の中には鳴海に関する日本武尊の御歌が四首ありますが、その一つ「ナルミラ(鳴海浦)を見やれば遠しヒタカチ(火高地)にこの夕汐に渡らへむかも」は尊が古の鳴海潟の岸辺で口ずさまれたもので、成海神社は是を縁起としてその故地に創立されたのでした。

その場所は現今「城」と呼ぶ鳴海駅北の高台で太古は波打際でした。鳴海潟が干拓となって室町初期、応永の代(約600年前)安原氏がここに築城した際、神社は現在の乙子山の地に御遷し申したもので、今も祭礼の日扇川畔で「御船流」の神事が行われるのも尊の御東征の遺意に依るものです。当社が古来「東宮大明神」「東宮さま」の神号でこの地方に広く敬仰されたのも熱田神宮東宮として創立当初から神宮とは格別の縁故が有ったからで、延喜の制では国幣小社として神名帳に登録せられ平安時代以来国家の待遇に与かり来った外、今川義元始め戦国武将尊崇の記録数々蔵し、尾張名神大社として古地誌にも喧伝され、戦前は県社に列格されていました。

昭和六十一年神社創始千参百年を寿ぎ、その記念事業としての拝殿・参集殿・直会殿等新築の上式年大祭は盛大に斎行され、宿願の社殿造営と社頭整備の工、ここに竣成し、いやちこに高き神威を敬仰する人夥しい。」

 

熱田神宮神剣飛鳥の都より御遷座……これは、『日本書紀』の天武紀朱鳥元年六月の条にあります。

 

日本書紀〈5〉 (岩波文庫)

日本書紀〈5〉 (岩波文庫)

 

 

「(略)戊寅に、天皇の病を卜ふに、草薙剣に祟れり。即日に、尾張国の熱田社に送り置く。(略)」

 

で、なぜこうなったのかは、天智紀七年の条に、

 

「是歳、沙門道行、草薙剣を盗みて、新羅に逃げ向く。而して中路に風雨にあひて、荒迷ひて帰る。」

 

とあり、このことが、熱田神宮から盗まれた草薙剣が、宮中に入った」と解釈される場合があるから、なのだそうです。

もともと「宮中にあった草薙剣が盗まれた」という説もあります。

天武天皇」に祟った(これは、単に当時の宮中の長、という意味だと思います)、ということは、何かしでかしたことを意味するので、「勝手に宮中の持っていったから祟られたのだ」というのが、「熱田神宮」側の主張ですね。

このときのことを祝って、「熱田神宮」では「酔笑人(えようど)の神事」が伝わっています。

 

○こちら===>>>

www.atsutajingu.or.jp

 

「当社が古来「東宮大明神」「東宮さま」の神号でこの地方に広く敬仰されたのも熱田神宮東宮として創立当初から神宮とは格別の縁故が有った」……この「東宮」がずっと引っかかっています。

というのも、「東宮」というのは普通、「皇太子(あるいはその住居)」を指す言葉です。

ここでいう「東宮」はもちろん、熱田神宮」の「東」にある、という意味なんですが。

何かこう、裏があるような……とはいえ、「熱田神宮」の御祭神は「草薙剣」そのものでもある「熱田大神」で、その東宮が「日本武尊」であるはずはないわけで。

深読み深読み。

 

さて。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 神社覈録. 上編

 

↑の引用から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

489コマ。

 

「成海神社
(略)和名鈔、 郡名部 成海 假字上の如し ○祭神日本武尊、 社伝 ○鳴海庄鳴海駅に在す、俗東宮大明神と称す、集説、府誌、
社記云、日本武尊東征之日留止之地也、仍祭日本武尊
神位
国内神名帳云、従三位成海天神、」

 

特に面白くもなく。

続いて、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑331コマです。

 

「成海神社 鳴海駅中にあり。[延喜式]に愛智郡成海神社、[本国帳]に正二位成海天神としるせり。今東宮大明神と號し、社伝に、天武天皇朱鳥元年六月鎮座 日本武尊を祭れるよしいへり。古の社領は廃して、弘治三年信長公より寄附、また天正十七年山口長次郎寄進せし文書のみ残れり。
例祭 六月二十一日、神輿を扇川の傍なる御旅所へ遷し奉りて、神號をしるせし板をかの川に流す式あり。是を御舟流の神祭といふ。日本武尊東征のみぎり此所より、御舟出ありし故実にて、上古の形勢まのあたり拝する心地して、いと尊く覚ゆる。
神宝 神鏡八面 当所城主安原備中守源宗範の寄進なり。 古額一面 小野道風筆、『東宮日月歩』の五文字を題せり。
矛掛松 当社の西にありしが、近年枯槁して今名のみ残れり。日本武尊東征の時に憩ひたまひ、御矛を樹上にかけ給ひしといひつたへたり。
祠官 牧野氏。」

 

ま、こちらもそれほどの内容はないです。

注目なのは、332コマの図絵でして。

こちらに、今はまとめられている摂社がずらりと並んで描かれています。

広い境内、たくさんの摂社、なるほど「熱田神宮」の「東の宮」と呼ばれるのもうなずける規模です。

 

津田正生『尾張神名帳集説本之訂考』を改題した『尾張国神社考』(ブックショップ「マイタウン」発行)によれば、

 

「正二位成海神社 一本作従二位鳴海天神 名神 [集説云]鳴海駅東宮明神とよぶ是也。社家牧野氏
[倭名抄]愛智郡成海郷 [松平君山曰]此やしろ七月二日神輿を天神の叢祠(カリデン)に遷して、然りとして後井幹の上に安てこれを祭る。また木板一片をもて御船と號て扇川に放つ 以上府志」 [近藤利昌曰]古老の口実に今の海道は後世室町以来の事に旧道は古唱海上野藍原より鳴海山の山中にあり、また如意寺の蛤地蔵も昔は娶ケ茶屋(よめがちゃや)の辺にありしといへり [藍原村人曰]あゐ原村より西一町半ばばかりに宿地とよふ畔名あり。是そのかみの馬次の處也といひ伝へたり [或人曰]古鳴海村八幡の社地は成海天神の旧地にやと [又曰]支村前の菴村にも又八幡宮ありて、社家久野氏あり。此家に蔵むる弘治天正の證状には、東宮八幡と一串に書有といふ。分明ならず、いかさま沿革ある歟といふ。」

 

とのこと。

うーん……あまり妄想する余地がなさそうなのが残念です。

ただ、どうやら鎮座した頃はやはり海辺にあったらしい、と。

 

○こちら===>>>

尾張国古絵図

 

↑を見ていただいてもわかる通り、かつては「熱田神宮」も海辺にありました。

尾張氏は海の民とも言われていますので、海に臨む場所に神社を建てるのも故あることなのかと思います。

 

 

春らしい陽気に包まれて、「成海神社」の参拝だけでは惜しい、と思いながらも、他に行く場所を思いつかなかった私……。

すごすごと帰宅したのでした。

 

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御朱印は、書置きのものをいただきました〜。