べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「洲崎神社」(名古屋市中区)

3/15。

「羊神社」の初詣から二ヶ月空いております……いかんいかん。

ともかく、久々ということで気合を入れ直し、「洲崎神社」へ。

 

○こちら===>>>

nk.xtone.jp

 

 

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名古屋駅から鶴舞公園に抜ける道沿い、堀川の側にあります。

 

 

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「素戔嗚命 五男三女神 稲田姫命

相殿 石神 布都御魂 道祖神 猿田彦命 天鈿女命

由緒

当神社は昔広井天王牛頭天王社と呼ばれ西南海に面し、その洲崎に鎮座ということから社名となつた。名古屋築城以前は栄一丁目全域が境内地であり堀川西八角堂前に広井天王御手洗の石柱があつた宝永六年(1709年)藩主徳川綱誠卿より神輿が奉納され享保十六年(1731年)名古屋の繁栄を願い藩主徳川宗春の命により盛大になり堀川には桟敷をかけ当時の城下二大祭として非常な賑わいで明治初年迄続けられた

祭禮 

七月十三日・十四日

提灯祭

七月第三土曜日・翌日曜日」

 

というわけで、もともとは「牛頭天王社」だった、と。

今の「栄一丁目全域」Googleマップで見てみると、南北は広小路通から若宮通、東西は堀川から伏見通でした。

今の名城公園の2/3くらいの大きさです(とんでもない大きさ)。

それが今や、ワンブロックくらいしか境内地がないとは……。

清洲越」の前のことですので、土地も余っていたのでしょうか。

 

 

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石碑には「洲崎神社」「石神社」。

 

 

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狛犬さん。

 

 

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手水場の奥の石碑を撮影したのですが、全く読めず……。

 

 

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手水場。

 

 

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とりあえず、参道を奥へ向かいます。

地元の歴史散策ツアーか何かなのか、ぼちぼち人がいました。

 

 

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拝殿。

 

向かって右手には「白龍龍寿大神」が祀られています。

 

 

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その手前に、「石神」。

 

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猿田彦命」がお祀りされています。

 

iPhoneのカバーの具合が悪く、写真が全体的にぼけています)。

 

拝殿向かって左側には、

 

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……えーと、なんだったかな……「英霊社」かな。

すみません、忘れました。

 

少し戻って、鳥居の近くには、

 

 

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えんむすびの神として「道祖神」が祀られています。

「絆」と書かれた看板は、えんむすびのご利益を受けるためのお参りの方法が書かれています。

そこには、↑の方で掲載した「石神社」の手前の小さな鳥居をくぐれ、とあります。

 

くぐれない人はアウト、ってことですね。

 

サイズ的に私もアウトっぽいです……。

縁ってやつは……。

 

境内社は他にも、

 

 

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「稲荷社」と「秋葉社」。

 

 

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「弥五郎社」と「泰産社」。

 

 

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「大物主大神」と……右側が読めない。

「なで牛」があるのですが、普通考えられる「天神様(菅原道真公)」ではなく、「牛頭天王」の「なで牛」のようです。

なかなか珍しいことをします。

いや、だって、「牛頭天王」って、よく考えなくても、

 

蘇民将来の血族以外を皆殺しにした疫病神

 

ですよ?

触っちゃいけないでしょう(まぁ、ご本人でないからいいのかもしれないですが)。

 

他にも、

 

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……もうね、木札に社名が書かれているんですが、全く読めません。

由緒書……あ、もらっていた……けれど境内の案内図はない、と。

というわけで、どなたなのかわかりません。

Wikipediaによれば、おそらく、「住吉社」と「船玉社」だと思うのですが。

 

○こちら===>>>

洲崎神社 (名古屋市) - Wikipedia

 

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近くの石灯籠に社名が刻んであるじゃないか、と思って撮影しているのに、葉っぱが邪魔で見えないとか。

はぁ……。

 

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「石神神社」……「石神社」のことです。

「石神」という概念と、「神社」という概念を並置すると、普通「石神社」になるはずなんですが、多分「石神」のイメージが強すぎたんでしょう。

「せきしんじんじゃ」か「しゃくじんじんじゃ」か「いしがみじんじゃ」かどれでしょう。

「いしがみじんじゃ」がしっくりきますね、読みとしては。

 

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かつては「三霊神社」があったそうです。

 

 

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……反射が地獄のようです……。

 

「三霊神社遺跡

文久二年(1862年)藩主徳川慶勝卿、植松茂岳、佐々政■に命じて洲崎神社境内に三霊神社を建立、中央楠正成、左和気清麿、右物部守屋 湊川神社をはじめ全国別格官幣社創建の先駆となつた

(以下略)」

 

徳川慶勝といえば、幕末の尾張藩主ですね。

日米修好通商条約を結んだ井伊直弼に抗議するため、江戸城に不時登城してしまい、結果安政の大獄で蟄居を命じられてしまいます。

会津藩主・松平容保桑名藩主・松平定敬の兄弟、つまり戊辰戦争では旧幕派として戦ってもおかしくないんですが。

尾張藩には尊皇思想が受け継がれていたといわれていて、そのため尾張藩の立場というのが私にはよくわかりません。

ただ、「青松葉事件」を考えると、慶勝は佐幕派を(結果的に)弾圧していますから、新政府側に立っていたということですね。

徳川御三家が新政府側について、さて明治になって、尾張の名はどの辺りに轟いたのでしょうか。

え〜、ちなみに財政難で「金鯱を売っ払おう」としたことがあります(あれ、「徳川慶勝」じゃなかったかな?)。

近現代史の知識は乏しいのでこのあたりにしておきまして、 「植松茂岳」を検索したら、

 

○こちら===>>>

植松茂岳

 

↑がヒットしました。

名古屋周辺には「明倫ゼミナール」という塾チェーンがありますが、その元ネタ(?)は尾張藩の藩校である明倫堂です。

そこで教えていたのがこの人だったようです。

いやぁ、郷土の偉人を知らないこと知らないこと……お恥ずかしい。

かつての「明倫堂」の地には、現在、

 

○こちら===>>>

「那古野神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑「那古野神社」があります。

 

ええと……そうそう「三霊神社」でした。

「中央楠正成、左和気清麿、右物部守屋

をお祀りしていた、ということは、「尊皇思想」と「神道の復古」を意味していたのでしょう。

楠木正成」、「和気清麻呂」は、私には未知の領域ですが(をい)、「物部守屋」といえば、「排仏派」の筆頭で、悪者扱いされた蘇我一族に殺されてしまう悲劇のヒーローなんですね、見方を変えれば。

大陸の思想である「仏教」を崇めれば八百万の神が祟ると言ったような人ですから、江戸末期に広がった「国学」の学徒にしてみれば1000年以上前に唐様を排除しようとした先見の明を持つ賢者、とさえ捉えられます。

徳川慶勝」の思想がありありと浮かんできますね。

今は残っていないのが残念ですが……戦火に散ったのでしょうか(それならそれで、象徴的でさえありますが)。

 

他にもまだまだあります。

写真を見ていて気づかれたかと思いますが、ちょいちょい「十二支」の像がありました。

「洲崎神社」では、「十二支まいり」ができてしまうんですね。

それでは、まだ出てきていない「十二支」をどうぞ。

 

 

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全部見つかりましたか?

 

あとは、見どころではありませんが、面白そうなものを。

 

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河内国赤坂 楠公誕生地 久須乃岐」と書かれています。

「三霊神社」の名残でしょうか。

 

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遥拝所。

時代ですね……特に「橿原神宮」というのが。

 

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参道の脇道で発見。

「国威宣揚」って、うちのMacじゃ一発変換できませんでした(愛国心がないのか?<ないない)。

 

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遺跡案内。

 

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「七福」と「七貧」について書かれています。

「七貧」ってなんでしょう……うーん、よく読めないのが残念。

七つの大罪みたいなもんでしょうか(あ、マガジンでやってる漫画の方じゃないですよ)。

むむむ……。

七福神」がいるなら、「七貧神」がいてもおかしくないですよね?

誰かそんな漫画を描いてないでしょうか……描いてなかったら、このネタは私のもの、ということで(?)。

 

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最後に出てきました、教育委員会の案内板。

「貞観年中(859〜)の創建といわれ、同社文書には、「洲崎神社往昔出雲国稲田宮の神を移し祭りて洲崎の鎮たりと云」とある。

明治以前は、廣井天王、牛頭天王社、天王崎神社ともいい、昔は海に面した洲崎にご鎮座の社という。祭神は、中央に須佐之男命、左に五男三女神、右は稲田姫命のちに布都御魂命を合祀した。

(略)」

 

ふう。

というわけで、今回はここまで〜。