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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「生國魂神社」(補々)〜大阪めぐり

さてさて。

 

○こちら===>>>

「生國魂神社」(補)〜大阪めぐり - べにーのGinger Booker Club

 

前回の記事を中途半端なところで終わらせましたが(単に長くなったから、というだけですが)。

ディアゴスティーニからタイミングよく届いた『日本の神社』第68号

 

 

↑これでばっちり独特の本殿様式が見られます(ジェーン台風で壊れたので、今はコンクリート製、だそうです)。

この中で紹介されている古図がありましたので、検索してみると、

 

○こちら===>>>

難波之古図

 

↑こちらであることがわかりました。

右端に書かれた「康正二年(1456)」が正しければ、室町時代ということになります。

中央部分に「生玉社」と書かれています。

年代が正しければ、「大阪城」も、もちろん「本願寺」もなかった時代です。

 

○こちら===>>>

航空レーザ測量

 

↑こちらでは、大阪の標高地形図を見ることができます。

今の「大阪城」の部分の標高が高くなっているのがわかります(というか、台地になっているんですね)。

ということは、「生國魂神社」もその台地の上に乗っかっていた、と。

『難波之古図』と、標高地形図を見比べてみると、川の様子などが現代とでは全然異なっているのがわかります。

前回の、

 

八百万神をめぐる 古代王権の謎 (新人物文庫)

八百万神をめぐる 古代王権の謎 (新人物文庫)

 

 

↑から引用した「難波の海浜では新しい島が続々と生成を繰り返しているのが観察されるのである。」という表現が、ひょっとしたらここからきているのかもしれない、と思わせます。

大河は幾度となく氾濫を繰り返し、そのたびに島の様子が変化する様。

もしその頃、「伊弉諾神」「伊弉冉神」による国生み神話の原型が存在したとしたら、それはまさに「アメノヌボコ」でぐ〜るぐると大海原をかき混ぜているように見えたことでしょう……か?

そんな感じもしますね、というくらいにしておきましょうか(「アメノヌボコ」でぐ〜るぐる、は鳴門の渦潮とか、いろんなものに重ねられますからね)。

似たような光景は日本全国にあったのでしょう(「生島足島神社」のある長野県にも当然)。

では、なぜ難波の「八十島」が、「大八洲之霊」に選ばれたのでしょうか。

 

 

はい、わかりません。

 

 

「河内王朝説」を持ち出すことも可能なのかもしれないです(「河内王朝説」についてはWikipediaなどを参照してください)。

日本には「聖地」がいくつもあります。

「伊勢」「出雲」「熊野」……その中に、恐らくは「難波」も入っていたのではないでしょうか。

瀬戸内海の入り口(出口)、明らかに機内から西を特別扱いしている日本神話において、そこが「聖地」でなかったはずはないと思います。

ところが、「聖地」が「聖地」であり続けることの難しさ、というものもあるようで。

交通の要衝でもあったがために、「難波」は「聖地」として残らなかったのかもしれません。

ちょっと不思議だな、と思うのは、日本海側で似たようなお話があって、でもそちらは何故か「八岐大蛇」なんですよね。

氾濫する斐伊川の様子が、あちらでは「蛇」、こちらでは「島が生まれる」と表現された、というのは何か意味があるのでしょうか。

蛇神崇拝は大和でもあったはずなんですけれども。

うーん……宿題かな……。

 

 

 

ま、小難しい話はこの辺りにしまして。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 官幣大社生国魂神社誌

 

↑にですね、摂末社が並べられている部分があります(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「第十四 摂末社

現に本社の末社として公簿に登載せられたるもの九社あり、而して之を古来の沿革に顧るに古くは之を徴するに由なしと雖も、曾て摂社として奉祀し来りしものにして現に末社に列せるあり、又各社の間多少の出入なきに非ず、次に掲ぐるは江戸時代以降に於ける沿革の大要と現今の状勢とに係る


(略)

 

【御神名記】(※祭神名略)
摂社皇祖大神宮
天照皇大神宮 
春日明神社
八幡宮
若宮
天神社
地神社
爪ノ神社
御崎之社
津麻社
住吉社
道師社
大玉社
湊神社
厳島
少彦名社
花神
山口神社
荒魂神社
御井
川崎社
(略)

 

【御伝略記】

摂社 城方向八幡宮
末社 春日社 太神社 天神社 八幡宮 住吉社 厳島社 天満宮 稲荷社 鞴社 家造祖神社 広峰社 産多社 猨田彦社 石丸社(※広峰社以下「当時無之」の表記あり)

 

【明細図書】
一、本社境内末社之部 但し社格惣て無之
一 住吉神社 一 稲荷神社 一 皇太神宮 一天満神社 一鴨野神社
一、境外附属地末社八幡神社
一 北向八幡神社 一 同社境内鞴神社 一 同末社家造祖神社
一、境外附属地精鎮社
一 精鎮社 一 同分社
(略)
一 鴨野神社
祭神 市寸島比売命 大宮売命 淀姫神
右三座
鎮座 鴨野鎮座年月不相分当社内へ遷座明治十年九月
例祭 二月廿五日
但元大坂城外北地名鴨野に往古より鎮座の處、信仰の者参詣の便利により産地北新町二町目木下七良兵衛より明治十年九月願済の上現今の地へ遷座
(略)
一 北向八幡神社
(元来摂社の處明治十年三月廿九日御達に因り末社と成る)
祭神 神武天皇 応神天皇 比咩大神 神功皇后
右四座
鎮座 往古より神武天皇を斎祀の所、慶長二年豊臣秀臣公の命に依て豊前國宇佐宮之大神を合祀せしより、北向八幡神社と唱と口碑す、又大阪城の守護を祈奉るため、八幡大神を合祭する故に、城方向八幡神社と唱ふとも云り、則本社少し東の方に向ふ、
(略)
一 北向八幡社境内鞴神社
祭神 天目一箇神 石凝抒賣神 二座
鎮座 天保五年十一月
(略)
一 北向八幡社末社家造祖神社
祭神 手置帆負神 彦狭知神
鎮座 天保十五年甲辰四月
(略)
一 精鎮社
祭神 高皇産霊神 神皇産霊神 大物主神 生國魂大神 咲國魂大神
此外神葬祭諸人の霊魂を祀る」

 

「鴫野神社」が全部「鴨野神社」になっていますが……私の目にはそう見えたもので。

この本、大正8年に刊行されているのですが、何故か「浄瑠璃神社」がないんですよね……ちゃんとした摂社末社に数えられていなかったのでしょうか。

喧伝してしかるべきではないか、と思ってしまいますけれども。

今回、予習をしなかったので(毎回)、見逃してしまったのが、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第5編摂津名所図会

 

↑の156コマに図絵のある「生玉真言坂」でして、浮世絵にも描かれる名所だったようです。

徳兵衛とおはつが再会したのも、この「真言坂」だったそうで。

 

曾根崎心中・冥途の飛脚 他五篇 (岩波文庫)

曾根崎心中・冥途の飛脚 他五篇 (岩波文庫)

 

 

↑『曾根崎心中』ですね。

冒頭では大阪の三十三観音廻りが語られ、次の徳兵衛が登場するのが「生玉神社境内」の場面です(社前・蓮池)。

 

「立迷ふ。浮名を余所に。漏らさじと包む心の内本町。焦がるる胸の平野屋に 春を重ねし雛男。一つなる口 桃の酒。柳の髪も徳々と呼ばれて粋の名取川。今は手代と埋木の。生醤油の袖したたるき恋の奴に荷はせて。得意を廻り生玉の社にこそは着きにけれ」

 

という具合に、徳兵衛が「生國魂神社」にやってきたところが描写されています。

何しろ『曾根崎心中』ですから、注目は「曾根崎」に行ってしまい、なかなか「生國魂神社」には目が向かないです(私もですが)。

が、こうして物語の発端になるほどに盛況だったのだ、と往時が偲ばれます。

 

 

超余談ですが、井原西鶴の、

 

新版 好色五人女 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

新版 好色五人女 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

 

↑『好色五人女』の中にも、大阪を舞台とした物語があります。

「情けを入れし樽屋物語」がそれなんですが、その中に、

 

「天満に七つの化物あり。大鏡寺の前の傘火(からかさび)、神明のてなし児(ちご)、曾根崎の逆女、十一丁目の首しめ縄、川崎の泣坊主、池田町の笑ひ猫、鶯塚の燃え唐臼、これ皆、年を重ねし狐・狸の業ぞかし。世に恐ろしきは人間、化けて命を取れり。」

 

という一節があります。

言いたいことは、「化物、狐狸の類より、人間の方が恐ろしい」ということなんですが、これはいわゆる「七不思議」という奴で、ものすごく面白そうなんですけれども、いまひとつ詳細がわからないのが残念で。

で、「情けを入れし樽屋物語」の元となった話は、「曾根崎心中」の元となった話より前のことなんですが。

「曾根崎心中」の頃には、「曾根崎の逆女」はもうお出ましにならなかったんでしょうか……。

超余談でした。

 

 

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京都、奈良に劣らず、やはりワンダーランドですね大阪。

じっくりめぐりたいですけれども……時間もありますので次へ〜。