さてさて。
「春日大社」の社伝なんかそうそう見つかるまい……と思っていましたが、『大和名所図会』でも引用されているものが揃っている文献がありました。
○こちら===>>>
↑こちらから引用((引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
303コマより、
「春日社記
二御殿 齋主命。香取。 下総国。
四御殿。姫太神。太神宮。 伊勢国。」
『春日社記』によれば、御祭神は↑のようになっているそうです。
やはり「姫太神」は「天照大御神」という認識があったようです。
ところどころ飛ばしていきますが、続いて、
「榎本殿。巨瀬姫大明神。」
なるほど、この資料で「巨瀬姫大明神」となっていたのですね。
正体はわかりませんが。
今の「水谷神社」のことですね。
「南海天女」というのは、「牛頭天王」の妻である「婆利采女」を指しているものと思われます(「牛頭天王」説話には、「婆利采女」を南海の龍王の娘だとしているものがあります)。
「祓戸社。道祖神。」
おやま、「瀬織津姫」が「道祖神」になっています……となると、むしろこちらが「猿田彦大神」ではないかと(『大和名所図会』では、「榎本祠」を「猿田彦神」としていました)。
「風御神。風神卜申。」
ま、こちらはいじりようもなく。
おっと、これはまた。
あまり「一言主神」とは関係なさそうですが、まあ本地垂跡ですからね……。
「氷室明神。内ニ陳那菩薩。」
これは、
○こちら===>>>
「氷室神社」〜奈良めぐり - べにーのGinger Booker Club
↑のことでしょう。
「愛宕権現。内ニ三所辨才天。勝軍地蔵。天神。
十三重塔。内ニ浮雲明神。」
こちらは、私、写真を撮っていませんが、「水谷神社」の近くにある「天神社」「愛宕神社」「聖明神社」「浮雲神社」のことではないかと思います。
「多賀社。内に金剛童子。」
こちらは今も「多賀神社」、『大和名所図会」では「忠隆金剛童子祠」となっているところです。
「椿本角根明神。戸口。」
『大和名所図会』では「三見宿禰命」が御祭神となっていましたが、「角根明神」ってなんでしょうね……。
304コマから、もう少し詳しく書かれています。
「内院。太刀辛雄明神。飛来天神。八龍神是也。 海本門。隼明神是也。 栗辛明神。 椙本明神。天夜叉神是也。 佐軍神。
中院。 椿明神。角振明神是也。 青榊明神。 辛榊神。 金剛童子明神。 岩本明神。住吉明神是也。 風御子明神。金命是也。
外院。 水屋明神。牛頭天王是也。 榎本明神。巨瀬大明神也。 祓戸明神。 舟戸明神。道祖神是也。 一言主明神。 率川明神。」
おや、「八雷神社」は「八龍神」でしたか。
神仏習合以前は「八雷神」だったんでしょうか。
「天夜叉神」……なんか、ドフラ○ンゴ(by『ワンピ○ス』)みたいな人がいますな。
「椿明神。角振明神是也。」……ありましたありました。
この方の逸話が、同じ『群書類従』の中の、『春日権現験記』にありまして(279コマ)。
「知足院殿東三條におはしましける比。御夢のうちに或貴き僧をめして密教をうけさせたまひけるに。その傍にしらぬ法し二三人すすみまいりてゐたり。なに物ぞと御覧ずるに。その僧の口に鳥のはしつきたり。天狗にこそありけれと思食て。いかにこの東三條の中などに斯様の物はまいるぞ。角振の明神はおはせ侍ぬかと仰せられたりければ。その御聲につきて春日神主時盛まいりて候けり。これをみて天狗法師ども皆々逃げうせにけり。角振はやふさの明神は春日の御眷属にて御社におはします■。」
「知足院殿」というのは、藤原忠実のようです。
○こちら===>>>
天狗を追い払った神、ということですね。
○こちら===>>>
↑Wikipediaでは、
春日大社末社として本宮椿本神社、また奈良市角振町の隼神社に祀られる。
角振神・隼神はともに攘災神とされる。隼神は『中外抄』に「春日王子」・「春日任者」とする。江戸時代中期に村井古道によって著された『奈良坊目拙解』には、「角振神は、火酢芹命の御子なり、隼神は父なり、父子二座を祀る。少祠なく、柿の大木があり、神木と号す。」と書かれている。春日大社中院に鎮座している椿本神社の説明書には、角振神は「勇猛果敢な大宮の脊属神に坐し、天魔退散・攘災の神様」とされている。
↑とあります(出典に注意、ということのようですが)。
「隼別皇子」(『古事記』では「速総別王」)といえば、「仁徳天皇」の時代、天皇が欲した「雌鳥皇女」(『古事記」では「女鳥王」)を横取りしちゃったので殺されちゃった人ですが、「角振隼総明神」とは関係なさそう……なのかな。
「角」と「隼」という属性がミスマッチですし。
「角」で、「天魔退散・攘災の神様」っていったら……「牛頭天王」でしょうか。
でも「水屋明神」があるしなぁ……。
「風御子明神。金命是也。 」はよくわかりません。
「祓戸明神。 舟戸明神。道祖神是也。」……ああ、ようやくわかりました。「祓戸明神」と「舟戸明神」は別だったんですね。
「舟戸明神」は「岐(くなど)神」とも言われて、いわゆる境界の神ですから、「道祖神」とされたこともうなずけます。
さてさて、『群書類従』にはもう一つ、『春日大明神垂跡小社記』という文献も収められています。
305コマより。
「(略)
御寳殿。辰巳。太刀辛雄明神。其北裏。飛来天神。其北并。八龍神王。
内殿。後。梅本明神。亦者海本トモ申ス。其北。栗辛明神。所謂隼明神。
四御殿。後。椙本明神。其北。佐軍神。所謂天夜叉神是也。
中院乾方脇戸本。椿本明神。亦角振明神是也。
四御殿。其西方。風御子明神。金命是也。其西座。忠隆。金剛童子明神是也。
内殿坤方座。岩本明神。住吉明神是也。
舞殿東方。神宮寺座。所謂不開殿是也。其次青榊明神。次辛榊明神已上。鎮座。次穴栗明神。次井栗明神。此両小神新勧請也。
外院。水屋明神三所。所謂牛頭天王是也。自本社乾二町去御座。
福擁主。榎本明神。所謂女神。號巨瀬大明神。自本社坤座。
祓戸明神。所謂瀬織津姫明神。自榎本一町西座。
船戸明神。亦岐神。所謂道祖神。自本社一町西。
廻廊西竈殿。
(中略)
柏子神。修圓大威徳明王之化現也。
野神。牽牛淑女也。(略)」
「梅本明神。亦者海本トモ申ス。其北。栗辛明神。所謂隼明神。」……をを、そうそう、どうして「海本明神」なのかと思っていたんですが、これが「梅本明神」なら、なんとなく納得ができます。
なにしろ、「木」にまつわる神社名が多いので。
でも、公式HPやパンフレットでは「海本神社」なのですよね……。
で、「栗辛明神」か「海本明神」か、どっちが「隼明神」なのか……。
あとは大体『春日社記』と同じ内容ですが、「次穴栗明神。次井栗明神。此両小神新勧請也。」が気になります。
ふと気になって検索してみると、『延喜式』式内社、「春日大社」と同じ添上郡に、「穴次(吹)神社」というのがあることがわかりました。
○こちら===>>>
↑の162コマより、
「穴次神社
(略)○祭神猿田彦命 (略)今穴栗明神と称す。(略)又一説に、春日の末社穴栗社を、社記に穴次神也とあるを以て当社の事と思へるは違へり、こは古市村なるぞ正しかりける、当社を穴栗明神といふは、春日の末社に祀りて後、其號の移りたるならん。(略)」
↑とありました。
古市村にあった「穴次神社」が、「春日大社」の末社に祀った(遷座したわけではないので、勧請したものと思われます)、ということのようです。
というわけで、他にもないかと探ってみました。
「宇奈太理坐高御魂神社 (略)今楊梅天神と称す(略)」
↑やはり添上郡にある神社です。
「井栗明神」の御祭神は「高魂尊」(『大和名所図会』)となっており、また「飛来天神社」というのが容易に「天神」つまり「菅原道真」の「飛梅伝説」を想起させることから、「宇奈太理坐高御魂神社」が勧請されて「井栗明神」、「飛来天神社」になったのではないでしょうか(なぜ、二社になったのかはよくわかりませんが)。
とすると、「春日大社」の、由来のよくわからなくなっている摂社末社というのは、大和国に広範囲に点在していたいくつかの神社が勧請され、その後勧請元の神社の存在が確認できなくなっていったのではないか、と妄想できます。
それだけ「春日大社」の、あるいはその創建に関わった藤原氏の勢力が強大だった、ということなのかもしれません。
ふぅ……国会図書館デジタルコレクションがメンテナンスしてたりして、この記事を書くのに時間がかかりました……そして、まだ続いたりするのでした(爆)。