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神社仏閣ラブ(弛め)

「春日大社」(4)〜奈良めぐり

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯 第3編

 

↑『大和名所図会』の32コマから引用します(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「春日野 は大鳥居よりひがし、春日社までをいふ。ここを春日と名づくる事は、神代のむかし、天照大神邪神七億九千万を征討げ、正心にかへるゆゑ、萬民もやすくなるを以て、天照大神の御こころ清浄と和平ぎまします事、春の日の長閑なる御ここ地にて、春日と御歓びたまひ、その所の里をも春日となづけられ、又児興登産霊命(天津児屋根)の翁にも、此春日森を賜はりて、春日殿と賞し、三笠山の下津岩根に宮ばしらふとしく、かの四柱の神殿壮麗にして、常に詣人のたえまもなく、霊験日々に新なり。」

 

天照大神邪神七億九千万を征討げ」……

 

……してないしてない

 

我らがwikipediaで「春日」を調べると、「枕詞から出た」もののようで、

 

「もとは「はるひ」と読み霞にかかるとされる。後に「滓鹿(かすが)」または「霞処(かずみが)」との枕詞によって、「かすが」と読まれるようになったと言われている。」 

 

だそうです。

 

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春日 - Wikipedia

 

また、

 

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春日氏 - Wikipedia

 

↑では、

 

孝霊天皇の皇子・天足彦国押人命を祖とする和珥氏(和珥臣)の支族。姓は臣。和珥氏一族の一部が大和国添上郡の春日に移住し、その地名を姓として名乗る。春日姓を称し始めた時期は明らかでないが、雄略朝以降と考えられている。なお、枕詞として「ハルヒ(春日)のカスガ」という言い回しがあり、転じて「かすが」に「春日」の漢字を当てるようになったとされる。」

 

といったことも書かれており、「春日大社」の辺りは、元々は春日氏の勢力範囲だったようです。

 

「春日大宮四社大明神 三笠山の麓に御鎮座あり。帝都より行程十一里。[延喜式神名帳曰、春日祭神四座。

 

続古今 春日大明神御歌

我をしれ釈迦牟尼仏の世にいでてさやけき月の世をてらすとは

 

千早振神代のむかし、天津彦天皇はじめて葦原中國に入り給ひし時、邪神支へ奉りしかば、経津主命(香取明神)、武甕槌命(鹿島明神)追討使として國を治むる矛を奉り、天岩戸をおしひらき、常闇を照して萬民の愁をやすんじ、即天照大神天津児屋根命合体の御契ふかくして、御裳濯川のながれたえせず、三笠山の春風長閑に、示現利生の垂迹は、國を康んじ王法を輔け給ふ。まづ社頭を見揚ぐれば、二階の楼門・三つの回廊、夜燈のほかげは煌々として、四つの社壇整々たり。東第一の神殿は、武甕槌神を祭る。又の御名武雷神・建布都神・豊布都神とも申す。此御神は伊弉諾尊火神かぐつちをきり給ふ其つるぎのつばより、血したたりそそぎてなり給ふ神なり[日本紀]。初は陸奥國鹽竈浦に天降り給ひ、邪神を征し、常陸國鹿島に影向し、神護景雲元年六月二十一日鹿島を出でさせ、同年十二月七日薦生の中山につかせ給ふ。供奉の随身は時風・秀行の両人なり。(時風の末は神宮の預、秀行の末は遣宮の預)舎人には乙野丸(禰宜の祖梅木氏)を召しつれ給ふ。其時時風・秀行供御を獻るに、邊にありし栗をささげしかば、神咸ましまして、植栗の姓をぞ賜ひける。時風・秀行の末葉、中臣の姓の下に植栗氏をあらはすの濫觴なり。同二年正月九日、大和國安部山にうつり、同年十一月九日、三笠山に跡を垂れ給ふ。(已上[春日古記]大意。又[公事根源]の説とはたがふ所もあり。又[盛衰記]に曰く、明神白き鹿にめして、鞍の上に榊をたて、其の上に五色の雲覆へり。雲の上に五ツの神鏡あらはれ、照りかがやきて三笠山にうつり給ふとなり。)第二の神殿は経津主命。又の御名斎主神、又齋之大人ともいふ。伊弉諾尊火の神をきりたまふ劔の刃よりしたたる血、化してなり給ふ神なり、出雲國五十田狭の小汀に天降り、此國の邪神を鎮め給ふ。(已上[日本紀])下総國香取明神是なり。神護景雲二年に三笠山に遷り給ふ。([春日古記])第三の神殿は天児屋根命。中臣祖神なり。又の御名津速魂尊・児市千魂尊・児興登魂尊(已上[旧事紀])興台産神の児ともいふ。([日本紀])此神天照大神天の岩戸に閉籠り給ひて、四海常闇になりければ、太玉命と共に天香山の五百筒真坂樹をねこじにして、上つえには八尺瓊の五百筒御統をかけ、中つえには八咫のかがみをかけ、下つえには青和幣・白和幣をかけ、もろ神達と相共にいのり給へば、其時岩戸ひらき給ふより、つひに常闇の雲はれ、夜昼をわかてり。([日本紀])河内國平岡明神なり。御鎮座は人皇三十七代孝徳天皇四年十一月戊申の日、三神に先だちて三笠山に遷り給ふ。(已上[春日社記]に見えたり。[公事根源]には、神護景雲二年四社明神と共に御鎮座のよりをかけり。)第四の神殿は姫大神。又の御名大日靈貴、又天照大日靈尊ともいふ。即伊勢国五十鈴川の内宮、天照大神にてまします。(已上[春日社記])又一説に天照大神の分神とも、又或説には第四姫大神武甕槌命の姫君にして、天児屋根の御妻女なり。故に平岡明神の相殿にまします。[続日本紀]に曰く嘉祥三年九月、参議藤原助を遣して勅命あり、建御賀豆智命・伊波比主の二柱の大神には正一位天児屋根命には従一位、比賣神には正四位上を崇め奉るといふ。此位階によるときは、御妻女の説も可ならんか。

中院小社六座 瑞牆の外を中院といふ。

岩本祠 本社の坤にあり。住吉明神を祭る。

神護寺 東の方にあり。

青榊祠 神護寺の南にあり。青和幣。

辛榊祠 青榊の南にあり。白和幣。

穴栗祠 辛榊の南にあり。穴次神。

井栗祠 穴栗の南にあり。高魂尊。

内院小社二座 瑞牆の裏を内院といふ。

手力男神 南の一座。

飛来天神 北の一座。天御中主尊。」

 

休憩〜。

「まづ社頭を見揚ぐれば、二階の楼門・三つの回廊、夜燈のほかげは煌々として、四つの社壇整々たり。」という景色は現代と変わっていませんね(『大和名所図会』の成立は、Wikipediaによれば1791年です)。

「其時時風・秀行供御を獻るに、邊にありし栗をささげしかば、神咸ましまして、植栗の姓をぞ賜ひける。」という伝承から、穴栗祠 辛榊の南にあり。穴次神。」「井栗祠 穴栗の南にあり。高魂尊。」が祀られたのでしょうか。

 その後の摂社末社のラインナップを見ると、どうも「天岩戸神話」と関係が深いように思うのですが。

 

日本書紀〈1〉 (岩波文庫)

日本書紀〈1〉 (岩波文庫)

 

 

↑の「天岩戸」の段では、↑↑での引用の通り「青和幣・白和幣」が登場していますが、一書(第二)では、

 

「亦唾を以て白和幣とし、洟を以て青和幣とし、此を用て解除へ竟りて、遂に神逐の理を以て逐ふ。」

 

とあり、「天照大神」に狼藉を働いた「素戔嗚尊」の唾や洟(よだれ)を使った呪術で、「素戔嗚尊」を追放したことになっています。

 

古語拾遺 (岩波文庫 黄 35-1)

古語拾遺 (岩波文庫 黄 35-1)

 

 

中臣憎し斎部広成おじいさまがお書きになられたこちらでは、「天岩戸」の部分で、

 

長白羽神伊勢国の麻績が祖なり。今の俗に、衣服を白羽と謂ふは、此の縁なり。)をして麻を種ゑて、青和幣(略)と為さしむ。 天日鷲神と津咋見神とをして穀の木を種殖ゑて、白和幣(是は木綿なり已上の二つの物は、一夜に蕃茂れり。)を作らしむ。」

 

とあります。

 

(……そういえば、「穀」といえば、「諏訪明神」の神紋なわけですが……「天日鷲神」は「伊勢国風土記逸文で、伊勢の王だった「伊勢津彦」を信濃に追放した「天日別命」と同じではないかと妄想したわけですが……ひょっとして、「穀」を神紋にしたのって、この辺りに理由があるんですかね……かつては一緒に活動していたのに、片方が何故か天つ神側についている、というこの構造は「長髄彦」=「饒速日命」に似ています……ああ妄想が……)

 

手力男神」も「天岩戸」で活躍していますし(ここしか活躍してませんが)、「高魂尊」が「高皇産霊神」だとすれば、天神の裏でいろいろ画策しているわけですし。

「穴次神」は……何なんでしょうね……「天御中主尊」も唐突に出てきた感じがします。

いずれにしろ、「天児屋根命」の活躍した「天岩戸神話」と関連した神を持ってきて有り難みを増す、という効果を狙ったのではないか、と思われます。

じゃ「武甕槌神」と「経津主神」はなんなのか、というと……なんなんでしょう。

 

再び『大和名所図会』より。

 

「御手洗川 回廊の間に少しき流をいふ。春日祭の日勅使此所にて手洗あり。

一位橋 楼門の奥の橋をいふ。

二位橋 楼門のまへの橋をいふ。

(略)

一鳥居 [宝永記]に曰く、此門を涅槃門と号す。又紫門ともいふなり。

聖の床 回廊の内にあり。[寛文記]に曰く、地神経をよむ琵琶法師の籠る所なり。

(略)

南門 楼門といふ。[寛文記]に曰く、むかしは鳥居にて、額ありしが、宝亀三年夏雷火す。其後二階の楼門となる。藤原光頼造建すともいふ。

影向石 南門の南にあり。赤童子の影向石なり。

如意石 影向石の南にあり。康保四年此所に底のかぎりもなき穴あきける程に、神主祐任、大般若経一部萬座の祓を納めし所とぞいふ。

(略)

酒殿 回廊の西にあり。祭酒を造る所なり。酒殿祠・竈殿祠の二座あり。

(略)

三笠山 [顕注密勘]に曰く、春日山に御笠山とてひき下りてちひさき山に、春日の社おはします。春日山は惣名なり。三笠山は別なり。

(略)

祓戸神祠 は祭る所瀬織津比咩なり。[宝永記]熊野権現ともいふ。祓戸神前の石燈籠世に名高し。惣高さ六尺一寸五分。灯袋六角。

(略)

榎本祠 は此ひがしにあり。春日山の地主といへり。祭る所猿田彦神なり。青瀧青瀧橋は榎本の前にあり。中間道・かたらひの橋は、若宮へ詣づるほそ道なり。

(略)

外院の小社八座 歩廊の外を外院といふ。

忠隆金剛童子祠 内侍門を入りて北頬にあり。伊弉諾尊を祭る。

椿本祠 忠隆のひがしにあり。三見宿禰命を祭る。

風神祠 椿本の南にあり。立田明神を祭る。

椙本祠 瑞牆のもとにあり。大山咋命を祭る。

佐軍祠 椙本のひがしにあり。田心姫を祭る。

栗辛祠 同所にあり。火酢芹尊を祭る。

海本祠 栗辛祠の南にあり。大物主命を祭る。

八雷神祠 海本の東にあり。いづれも[春日古記]に見えたり。」

 

「榎本祠 は此ひがしにあり。春日山の地主といへり。祭る所猿田彦神なり。」……おや、これはまた、気づかなかったです。

「榎本神社」は、公式HPを見ていただくとわかりますが、現在は南回廊に内蔵されているようになっています。

Wikipediaによれば、

 

祭神猿田彦大神 - 祭神は当地の地主神であり、元々この地で祀られていた神であるとされる。中世までは巨勢姫明神とされていた。

 

とのことです。

 

○こちら===>>>

春日大社 - Wikipedia

 

地主神の本来の名前は失われている、と考えるべきなのか、それとも「猿田彦大神」で正しいのか、中世までの「巨瀬姫明神」(謎です)なのか。

謎謎。

 

噂の「後殿」の各社も、以下のように記されていますね。

「外院の小社八座 歩廊の外を外院といふ。忠隆金剛童子祠 内侍門を入りて北頬にあり。伊弉諾尊を祭る。」……これは、現在は「多賀神社」と呼ばれているところでしょう。

「椿本祠 忠隆のひがしにあり。三見宿禰命を祭る。」……こちら、今も「後殿御門」の脇にある神社ですが、「三見宿禰命」に何となく覚えがあったので検索したら、

 

○こちら===>>>

「鳳凰山甚目寺」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑「甚目寺」の隣にある「漆部神社(ぬりべじんじゃ)」の御祭神でした。

 

祭神は「三見宿祢命(みつみのすくねのみこと)」、漆部の祖先神です。

「部」がついていますので、職能集団でした。

漆を栽培・採取して、漆器を作る集団です。

先代旧事本紀』によれば、「三見宿祢命」は「漆部連の祖」とされ、「饒速日命」(尾張国の祖先である火明命)の五世孫のようです。

饒速日命」がこの辺りに勢力を持っていたようですので、多分それにくっついてきた集団が、自分の祖先を「饒速日命」だと言っちゃったんでしょう。

 

自分の記事からの引用です。

漆部の祖、であることに意味があるのか、「饒速日命」の子孫であることに意味があるのか。

これも謎謎です。

 

「風神祠 椿本の南にあり。立田明神を祭る。」……これは、「風宮神社」。

「椙本祠 瑞牆のもとにあり。大山咋命を祭る。」……これはそのまま「杉本神社」。

「佐軍祠 椙本のひがしにあり。田心姫を祭る。」……これもそのままで「佐軍神社」なんですが、「田心姫」は、天安河原で、「天照大御神」と「須佐之男命」が誓約をして生まれた、いわゆる「宗像三女神」の一柱です。

「奥津島比売命」「多紀理毘売命」と呼ばれることが多いでしょうか。

「佐軍」というのは、「軍を助(佐)ける」という意味なんでしょうか……「宗像三女神」には、あまり軍神のイメージはないのですけれども……うーん、謎謎。

 

「栗辛祠 同所にあり。火酢芹尊を祭る。」……これもそのまま「栗柄神社」です。

祭神は「火酢芹尊」とありますが、うーん……この方がもし「火須勢理命」だとするならば、記紀神話的には活躍のない方なんですよね。

この方の兄が「火照命」でいわゆる「海幸彦」、弟が「火遠理命」でいわゆる「山幸彦」。

で、火須勢理命」は名前しか出てこないんですよね。

うーん、と思って、「栗柄(くりから)神社」ということを思い出しました。

これは、倶利伽羅で、不動明王のことなのではないか、と。

……洒落?

 

「海本祠 栗辛祠の南にあり。大物主命を祭る。」……そのまま「海本神社」です。

ここまでくると、なぜ「大物主命」なのかについては、思いつきません。

確かに、「大己貴神」のところに、海上からやってきたのが「大物主神」ではあるのですが……謎謎。

 

「八雷神祠 海本の東にあり。」……これも「八雷神社」でそのままなのですが、ええきっとそのままなのでしょうが……なんでまたここに?

 

もっと古い記録を当たらないといけませんね……でも、そこまで詳しく載っているとすると、社伝しかないですよね……ネットで探すのが大変。 

 とりあえず、今回はここまでで〜。