さてさてさてさてさて。
妄想考察も5回目です。
ここまで長くなるとは正直思っていましたが、モチベーションを下げずに頑張りたいと思います。
というわけで、「ミシャグチ神」です。
導入として最適な、柳田国男の『石神問答』を探したのですが手元になく(柳田国男の著作はいくつか持っているんですが、さすがに網羅はしていません)、しかたないので、
↑こちらから又引きをさせていただきます(引用に際しては旧字を改めた箇所あり/判読不能文字は■に置き換える)。
P138より。
「文字はあて字にて度々書改めあてにもなるまじく候へ共、新編武蔵風土記稿には小生の勘定では二十五箇所のシャグジ有之候処、石神と書くもの六、石居神(しゃごじん)一、石神井社二(他に石上と称するもの三社有之候)、残り十六のシャグジは、釈護子、遮軍神、遮愚儞、蛇口神、社宮司などとかき申候。御地の駿河志料には九十五のシャグジを挙げたる中に、石神とあるもの僅に十、其他は社宮司、佐口司など最も多く又、山護神、左久神、射軍神などとも有之、石護神と云うのも一所見え申候。尾張志には六十六のシャグジを挙げたる中に、石神とあるは唯三つにて、其他の多くは仮名にてシャグジ又はサグジと有之候。」(『石神問答』柳田国男)
『石神問答』は「しゃくじんもんどう」と読みます。
同じく『諏訪の神』のP142から、今井野菊という方の調査から、
・全国で二千三百ヶ所以上で祀られているが、祭神として神社本庁へ登録されているのは24社
・その表記は、「御産子神」「御射宮司神」「御社宮司神」「佐軍神」「佐口神」「左口神」「斜口宮神」「社宮司神」「社具地大神」「社護神」「社口神」「尺地神」「美佐久地神」
と書かれています。
また、
↑こちらには(P59から)、「ミシャグチ神」の呼称として、
・『ミシャグチ』『ミサグジ』『サングージン』『シャクジン』『オサモジン』など
漢字表記として、
が掲載されています。
↑の【社宮司神】の項目には、
・「社宮司神」「左宮司」、「社宮神」、「左久神」、「作神」、「左口神」、「社口神」、「社子の神」、「佐護神」、「石神」、「釈護神」、「 遮愚儞」、「三宮神」、「三狐神」、「山護神」、「山護氏」、「射軍子」、「杓子」、「赤口神」、「蛇口神」など(『石神問答』より抜粋)
とあります。
柳田国男が言っているように、漢字は全部「当て字」です。
分布域は、「武蔵、相模、伊豆、甲斐、信濃、遠江、飛騨、志摩、伊勢、尾張、三河」で、「滋賀県以西、埼玉県以東には見られない」そうです(『日本の神様読み解き事典』)。
現在、これらの地域に伝わっている「ミシャグチ神」は、その属性が様々に付与・変化しています。
「石の神」(道祖神の類)だったり、「お杓文字様」(咳、喉の神様)だったり、「稲荷と同体」(「三狐神」)だったり、日蓮宗の「蛇苦止(じゃくし)明神」(鎌倉の妙本寺が本山。鎌倉二代将軍頼家の側室、讃岐局が、北条氏の娘に取り憑いて大蛇となったため、それを鎮めるために祀った。どうも荼吉尼天からの転化らしい)だったり、いろいろです。
本来の意味は忘れられているのだと思います。
「ミシャグチ神」の「ミ」は、接頭語だとして、では「チ」は「霊」を意味する言葉なのか(「ミズチ」「オロチ」「イカズチ」)。
となると、「シャク」しか残らず、そんな大和言葉は私は知りません……が、「シャク」が「サク」だとすると、「サクチ」……「裂霊」でしょうか。
記紀神話では、「伊弉諾神」が、「軻遇突智神」を切った際に、十拳剣の先についた血が岩について生まれた「磐裂神」「根裂神」がいます。
これらは「岩の神」か、あるいは雷(のような剣)が岩や木の根を引き裂く様子から「雷の神」か、と考えられています。
「黄泉大神」となった「伊弉冉命」の体にくっついている「八雷神」の中に、「裂雷(さくみかずち)」という方もいらっしゃるので、「雷の神」の属性の一つに「裂く」があるのかもしれません。
あ、↑の「この色の部分」は、単なる妄想です。
ともかく、名称の本義を知ることは難しい神、ということです。
「古い神」、という言い方ができるかもしれません(が、ひょっとするとそれもなんらかの罠かもしれません)。
で、この神、前回紹介した「上社」の神長官だった守矢氏が、その敷地内に祀っていることで知られています。
「御頭御社宮司総社」と呼ばれています。
○こちら===>>>
↑のサイトは全部読むと、かなり諏訪に詳しくなると思いますが、妄想家はそこだけに頼らずいろいろ悶々としてみます。
とりあえず、「御頭御社宮司総社」の写真が掲載されていますので、ご参考に。
さて、この「ミシャグチ神」は、「建御名方神」と同じなのか。
それとも、神長官・守矢氏の祖先である「洩矢神」、あるいは下社の武居祝の祖先である「武居大伴主神」と同じなのか。
それとも、全然違うのか。
まず、「ミシャグチ神」=「建御名方神」説ですが、多分違うと思います。
というか、「建御名方神」の正体がわからないので、一緒もくそもない、というだけですが。
『古事記』の国譲り神話、あるいは「伊勢風土記逸文」の「伊勢津彦」が信濃に去ったという記述、「諏訪明神」と「洩矢神」の争い等に、ある程度の真実があると仮定すると。
「建御名方神」は、ある時期に外から来た神、ということになります。
後世にそれが「ミシャグチ神」と同体だ、とされた可能性はありますが、「建御名方神」は土着の神ではなかったらしい、と。
次に、「ミシャグチ神」=「洩矢神」・「武居大伴主神」です。
これも後世に習合したかもしれませんが、「洩矢神」、「武居大伴主神」ともに、ある氏族の祖先神です。
ということは、「ミシャグチ神」などという別の名前を持ち出す必要性がない、というかしっかり「洩矢神」という名前が残っているのですから、新たに「ミシャグチ神」という名前をつけなくてもいいと思うのです。
「洩矢神」や「武居大伴主神」は、守矢氏、武居氏の祖先神で、その祖先神がさらに祀っていた神が「ミシャグチ神」なのではないか、という説が、どことなくしっくりきます(しっくりくることが罠かもしれませんが)。
で、以前どこかで書きましたが、信仰の対象を段階的に示すと、
(1)自然崇拝(アニミズム)
(2)祖霊崇拝(トーテミズム)
(3)祖先崇拝
という順番ではないか、と私は考えています(いえ、神話学とか宗教学の一般的な考え方だとしたらすいません)。
守矢氏が「洩矢神」を祀るのは、(3)の祖先崇拝の段階です。
しかし、また別に「ミシャグチ神」を祀っているということになると、「洩矢神」=「ミシャグチ神」になってしまうのではないでしょうか。
ところで、「上社前宮」の記事で、「御室社」の案内板を紹介しました。
○こちら===>>>
「諏訪大社・上社前宮」 - べにーのGinger Booker Club
その中に、
「……現人神の大祝や神長官以下の神官が参籠し、蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに「穴巣始」といって、冬ごもりをした遺跡地である。……」
という一文がありました。
これは、明らかに「自然崇拝(アニミズム)」あるいは「祖霊崇拝(トーテミズム)」の名残のある神事です。
「蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神」とあるからには、穴の中に持ち込めるような大きさのものだった、と考えられます。
それぞれの氏族が祀っていた「ミシャグチ神」の「形代」(分身)だったのかもしれないです。
また、篭って何をするのか、については、すでに消失した神事ですので探るのが難しいですが。
「祖霊をその身に下ろす(宿す)ことによって力を得る」
あるいは
「蛇体の神特有の擬似的な死と再生(冬眠/あるいは脱皮)」
という、お決まりのパターンかもしれません。
ここで、「大祝は明神の体」つまり「現人神」、「諏訪明神」=「大祝」ということを思い出されますと。
その「現人神」が、また「ミシャグチ神」という神を祀るのか、という疑問が想起されるかもしれません。
西洋的、一神教的な神の概念では説明できない、日本的な「神が神を祀る」という図式です。
「現人神」は、「神」であると同時に、「神を祀る」存在でもあるのです。
「神」でなければ祀れない「神」がいるのです。
それが「自然」だったり、「祖霊」だったりしたのでしょう。
この考え方から、「神を下ろす」という概念の違いを伺うことができます。
「現人神」となる以上、「祖先崇拝」の神とは「一体化」することができます(というか、そうしないと「神」にはなれません)。
折口信夫だったか、「天皇霊」というものを想起した人がいましたが、「一族」のつながりが断絶されていないうちは、祖先の霊を身に宿すことで、祖先そのものになることができる、と考えられます。
一方で、その祖先たちが祀っていた「神」、「自然」や「祖霊」は、そのものになることはできず、せいぜい力を借りるくらい、なのでしょう。
「ミシャグチ神」が「洩矢神」と「≠」なのは、「洩矢神」が「ミシャグチ神」を祀る存在だったからです。
だから、「現人神」は、「洩矢神」になれたとしても、「ミシャグチ神」になることはできなかったのだと思います。
「自然崇拝」の代表的なものが「神体山・神奈備」信仰です。
「大神神社」の祭神である「大物主神」は「蛇体」の神でしたが、古来「蛇」というのは世界中で崇拝される(あるいは忌み嫌われる)、かなり特別な動物です。
「山」はその形状から「とぐろを巻いた蛇」を連想し、「川」はその形状と運動から「地を這う蛇」を連想し、「雷」はその運動と衝撃から「飛びかかる蛇」を連想し……と、自然現象を全て「蛇」に例えたっていいくらいに、特別です。
「諏訪大社・上社」の「神体山」と考えられている「守屋山」は、「モリヤ」という名前ではありますが、そこにいらっしゃる神は「ミシャグチ神」だったのでしょう。
諏訪の神官たち(多くは土着の有力者の子孫)は「守屋山」を祀り(自然崇拝)、その身に降ろそうとした(祖霊崇拝)のです。
「御室社」の神事で、「大祝以下の神官」がこの神事に参加したのは、彼らがもともと、同じ「ミシャグチ神」を祀る「神」の子孫だったからでしょう。
その中の有力な「神」が、「洩矢神」や「武居大伴主神」だった、というだけなのです。
さて。
「大祝」は「諏訪明神」の「体」、つまり「現人神」なんですが。
この方、「建御名方神」の子孫です。
「洩矢神」他の神ではありません。
「建御名方神」対「洩矢神」・「武居大伴主神」の争いの結果、「ミシャグチ神」を主祭することができる「現人神」となったのは、「建御名方神」の子孫です。
他の「洩矢神」以下の土着の神々(有力者)は、「現人神」にこそなれませんが、「ミシャグチ神」を祀ることは許されましたし(神官として神事に参加)、自分たちの祖先を祀ることも許されました(摂社末社)。
つまり、
○「ミシャグチ神」
↑
↑ 祀る(自然崇拝・祖霊崇拝)
↑
○「現人神」=「洩矢神」以下土着の神々
↑
↑ 祀る(祖先崇拝)
↑
○「洩矢神」以下土着の神々の子孫
このような図式だったのが、
○「ミシャグチ神」← ← ← ← ←
↑ ↑
↑祀る(自然崇拝・祖霊崇拝) ↑祀る(自然崇拝・祖霊崇拝)
↑ ↑
↑ ↑
↑祀る(祖先崇拝) ↑祀る(祖先崇拝)
↑ ↑
○「大祝」=「建御名方神」の子孫 ○「洩矢神」以下土着の神々の子孫
という図式になったと……。
……あれ?
この図式だと、「洩矢神」以下土着の神々の子孫、つまり大部分の諏訪の人たちは、
「建御名方神」を祀っていない
ことになりますね……。
うーん、この図がおかしいのかな……。
さらに頭が痛くなってきましたので、また続きます〜。