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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「手長神社」

9/24。

 

諏訪大社」は?

 

というもっともな疑問は置き去りに、「手長神社」です。

 

◯こちら===>>>

さわやか信州旅.net:長野県公式観光Webサイト

 

公式HPではありませんが。

 

「下社秋宮」から、「上社」へ向おうと思って地図を検索していたら発見してしまったもので。

「手長」と来たら「手長足長」、行かないわけにはまいりません。

諏訪駅近くの駐車場に車を入れ、徒歩で20分程。

スマートフォンのナビを頼りに行ってみました。

 

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旧県社です。

ゆうパック」の幟が、神社の物かと思ってしまいます。

 

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ここを進めと。

石灯籠もかなりの大きさです(車との比較)。

 

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えっ……と……。

昨日の寺巡りで、結構な筋肉痛なんですけど?

上りますよ、ええ上ります。

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まだまだ……。

というか、学校ですか?

すぐ隣に、上諏訪中学校があるようです。

 

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到着……(汗)……。

いや、これは、一見して素晴らしい。

ワンダーランドの予感が。

 

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「下桑原鎮守 手長神社 御由緒

手長神社は中世には下桑原鎮守と知られ、近世には高嶋の浮城の鬼門鎮護の神と崇敬された。古く手長宮と称し、御祭神手摩乳命(てなづちのみこと)と申しあげる。氏子は手長さまと親しみ、諏訪大神の曾祖母様と言い伝える。

早くも中世には辰野町羽場に分社が勧請され、崇敬は重厚にして広大。

匠事芸事全般を守護され子育て万物育成に霊験あらたかにして、奇稲田姫との御神縁から稲を愛される。

神域の手長の森は市天然記念物、拝殿は立川和四郎冨棟作で、旧本殿と共に市文化財。境内に神氣横溢。

八朔祭 夕祭 九月十四日

例祭 九月十五日

二の祭 九月十六日

式年造営御柱祭

寅と申の年毎に御柱曳き建て造営を執行」

 

「手摩乳命は、いわゆる「八岐大蛇退治」で登場する、「奇稲田姫命」の母神です。

ですから、「建御名方神」即ち諏訪大神の曾祖母様」となるわけです。

実際のところ、「大国主神」は、「素戔嗚尊」の御子神かどうか、については諸説ありますが。

「立川和四郎」という名前は、「諏訪大社・下社」でも出てきました。

こちらは何代目なのかがわかりませんが。

 

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いい感じの寂びた鳥居。

 

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一段上がった右手に神楽殿。

その奥に中学校が見えますが……この日は平日、あやしいおっさんが神社をうろついているので、通報されたらどうしようかと思いました。

 

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まだ上れと……(苦)。

しかし、ここに神社を置いた人は、見せ方をよく心得ていたものと思います。

いい絵です。

 

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左手。

奥には社務所等。

 

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どーんと拝殿。

いや、弊拝殿でしょうか。

様式は「諏訪大社下社」と同様のように思われます。

 

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「手長宮」の扁額。

 

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向って右手から撮影。

片拝殿も含めた造形は、やはり強固な感じがします。

 

ここから末社ワンダーランドの開幕です。

向って右手に進んでいくと、

 

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真ん中は「弥栄神社」。

「手長神社」の旧社殿と伝わっているようです。

向って右は「松尾神社」でした。

 

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「龍神社」。

 

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小さな祠。

 

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「御頭御社宮司社」。

読み方がわかりませんでしたが、「おんとうみしゃぐじしゃ」ではないかと思われます。

「ミシャグチ神」は、諏訪の大地主神と考えられています。

 

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祠、祠、祠。

 

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「大國主大神」の碑。

 

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「冨士浅間大神」の碑。

 

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「伊雑皇太神」の碑。

「伊勢」じゃなくて「伊雑」なのは、何か意味があるのでしょうか。

 

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祠〜。

 

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金毘羅社」と「御頭御社宮司社」。

 

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祠〜。

 

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「白山宮」。

 

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「鹽竃大明神」。

 

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「高尾穂見神社」。

いやあ、くらくらします。

よく集めた、という感じです。

神社でいただいた『てながの杜』という機関紙によれば、

 

「手長神社の境内には四十余の末社がある。その多くは明治三十九年の神社合祀令により、同四十一年ころ境内に遷された祠である。左片拝殿右側の脇に氏子区域内、和泉町区の「神明社」がある。続いて「彌栄神社」(旧手長神社本殿・諏訪市文化財)、諏訪酒造組合の「松尾社」、龍神講の「龍神社」、そこから一段下がった所に赤羽根区の「大国神社」、精進湯の石祠、榊町区の「御頭御社宮司社」、上町・中町両区の「高尾穂見神社」「塩釜社」、中村区の「白山社」、以下いくつかの祝神、柳町区の「御頭御社宮司社」をはじめ、今となっては社名や祭神名、祭り主のわからない小祠が並んでいる。その中でも小さいながらも立派な四本の御柱が建っているものは、祀る主体としての氏族や祭祀組織の存在を察することができるが、把握できているものは少ない。」(p2)

 

ということです。

 

◯こちら===>>>

自然災害の歴史;琵琶湖西岸断層

 

↑のページで、「神社合祀令」の簡潔なまとめが書かれています。

江戸末期の『〜名所図会』などの図絵を見ていただければわかると思いますが、大きな神社や寺の境内には、小さな社や祠が祀られています。

その他、街角の小祠なども含めれば、そこら中に神社があった、ということが想像できます。

その多くを廃して統合しよう、という動きがあったわけです。

「市民革命」→「国民国家」というのは、基本的(表面的)には特権階級を排除する方向へ進みます。

貴族もいましたが、「教会の免税特権を奪うこと」も重要でした(中世以来、教会、大司教座教会などは、宗教権威というだけでなく、実際に有力な封建領主でもありました)。

日本の明治維新は、侍が自分たちの身分を「殺す」ことになる、という非常に奇妙な形の近代化運動です。

当然、「宗教をどうするか」という方向に進みます。

結果、「神仏分離」「廃仏毀釈」ときて、「神社合祀」(突き進めば「共産主義」「全体主義」の宗教権威の抹殺まで行きますが、多くの国では、ロシアでさえ、そこまではいきませんでした)。

現代から見れば、何て乱暴な、と思いますが、「近代国家」を叩き上げるには必要なことだったのかもしれません。

 

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拝殿左手の回廊。

 

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向って左手からの撮影。

弊拝殿の左に少しだけ神明造っぽい建物が見えます。

どうやら本殿のようです。

 

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御柱と、杉の木と。

 

さて、結構堪能しながら、スマートフォンGoogleマップを見ると近くに「聖徳神社」があるらしいけれどどこだろうなどと思いつつ、社務所にて御朱印をいただきました。

 

神職さんが、「他の二つのお社の御朱印もこちらで受け付けていますが、ご参拝されますか?」とおっしゃいまして。

 

他の二つ?

 

もちろん知りませんでしたが、もちろん「参拝する予定です」とお答えして、三ついただいてしまいました。

さあ、お参りしないわけにはまいりません。

というわけで、「諏訪大社」から横道にそれることに相成りました。

行き当たりばったりの旅です。

 

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