べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「諏訪大社・下社秋宮」

9/24。

諏訪大社・下社春宮」をあとにしまして、次に向ったのは同じく「下社」の「秋宮」

 

◯こちら===>>>


諏訪大社 | 信濃國一之宮 諏訪大社(公式サイト)

 

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まだ午前中、比較的早い時間なのですが、すでに観光客を乗せたバスが到着したりしていました。

 

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入口脇のほうにある「千尋社」。

 

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……読めません。

検索しても、あまり情報が出てこないです。

長野県教育委員会は何をしているのか。

 

◯こちら===>>>

長野日報 (Nagano Nippo Web) - ニュース - 千尋講を15年ぶり再結成 下社秋宮近くの千尋社に奉仕

 

↑「長野日報」という新聞の記事が残っていました(2009年10月29日)。

一部引用しますと、

 

「千尋社周辺の千尋池は、諏訪大社下社の宝印で重要文化財「売神祝ノ印(めがみはふりのいん)」が発見されたという伝説がある神池。明治以降は人家の中に埋没したが、地元有志が復興会を組織し、家屋移転などを経て43年に復旧した。]

 

「売神祝ノ印(めがみはふりのいん)」というのは、

 

◯こちら===>>>


売神祝ノ印

 

↑に紹介されていました。

一部引用。

 

「売神祝ノ印(めがみほうりのいん)は諏訪大社下社の宝印で、それを納める印筥(いんばこ)と共に昭和9年1月30日に国宝の指定を受けた。社伝によると大同年間(806~810)平城(へいぜい)天皇(806~809)より下賜されたものといわれ、美しい鋳肌をもった銅印で大和古印の系統をひくものと考えられる。かつていったん失われ、秋宮神池の千尋池(ちひろいけ)から発見されたと伝えられている。」

 

なかなかの逸品のようで。

とにかく、下諏訪町に感謝(?)。

 

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鳥居が黒いです。

一応、銅板なのでしょうか。

 

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やや上り。

 

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「根入りの杉」。

公式HPによれば、「樹齢約800年」だそうです。

 

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拝殿。

確かに「春宮」と同じ造りをしていますね。

 

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「一之御柱」。

 

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中央は摂社の「若宮社」。

祭神は「春宮」と同様の十三柱。

向って右は末社の「稲荷社」。

左は……「皇大神宮社」だったかな。

 

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片拝殿の向こう側に見える、古色な神明造の建物は「宝殿」と呼ばれています。

「春宮」にもあります。

基本的に、「諏訪大社・下社」には、「本殿」と呼ばれるものはないそうです。

「春宮」は背後の山、「秋宮」では神木を御神体としており、「本殿」にお祀りしていません。

これを、神を祀る古い形態だと考える人も多くいます。

 

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「二之御柱」。

 

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末社の、右から「八坂社」、「上下賀茂社」、「子安社」。

「子安社」は、「春宮」と同じ御祭神です。

やはり、底の抜けた柄杓が奉納されています。

「八坂社」はご察しの通りで、「素戔嗚尊」、「奇稲田姫命」、それから八柱の御子神をお祀りしています。

「上下賀茂社」は、京都の「上賀茂神社」、「下鴨神社」です。

諏訪大社」のどの程度関係があるのかはよくわかりません。

あとから付け加えられたんじゃないでしょうか。

 

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「鹿島社」。

祭神はもちろん「武甕槌神」。

古事記』では、「建御名方神」と「壮絶なヴァーリトゥード」を繰り広げた上に諏訪まで追い込んだ方ですが、何故かお祀りされています。

普通の神経なら、境内に祀ったりしないと思うんですが、この辺りのいい加減さが日本っぽい気もします。

あるいは、別の理由があるのかもしれません。

巫女さんが写真に写っているのは偶然です。

ご神域で邪な気持ちなんか起こすわけがないじゃないですか。

 

 

 

 

 

偶然ですから。

 

 

 

 

 

 

 

……偶然ですよ?

 

 

 

 

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「神宮遥拝所」。

 

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「神楽殿

御神前に神楽を奉納するための建物で天保六年(1835)上社本宮弊拝殿を手掛けた立川和四郎二代目富昌棟梁により落成した

三方切妻造と呼ばれる様式で弊拝殿のような彫刻は見られない

正面の大注連縄は御柱祭毎に新しく奉製され重量は約1トンである」

 

公式HPによれば、狛犬さんは「身長1.70m、青銅製では日本一と言われ」ているそうです。

……はて。

狛犬って、普通鳥居の辺りにあったり、本殿周辺にあったりするものだと思うのですが。

何故神楽殿の前なんでしょう?

意味ありげな「太い注連縄」といい、何かありそうな気がしますね。

 

 

同じ敷地内ではありますが、少し離れたところに、

 

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これは……何だっけな、「八幡社」かな。

また、ちょっとこんもりとしたところに、

 

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「秋宮恵比寿社の由来

秋宮恵比寿社は諏訪大神の御父神大國主神と御兄事代主大神を御祀り申し上げております。

この二柱の大神は農漁業の開祭・商工業の発展に誠にあらたかな神様であり又家繁栄の守護神として世に福の神大國様恵比寿様と其の御神徳を称へ申し上げて殊に諏訪大神と非常に御縁故の深い神様でありますので御本社出雲大社美保神社からはるばる御分霊を御受け致しまして昭和二十三年十一月二十日御鎮座祭をいたし当大社の末社として奉斎致しております」

 

古事記』の国譲り神話では、確かに「大国主神」と「事代主神」は、「建御名方神」の父、兄として登場しています。

それなのに、勧請したのが昭和二十三年十一月二十日」で、しかも境内の良地でもない、というところに、「とりあえず臭」がぷんぷん漂います。

もっとも、戦後復興の時代ですから、神徳にすがろうという当時の人々の気持ちもわかりますが。

この扱いで、「建御名方神」、というか「諏訪大神」が何者なのかが少し垣間見えるような気がします。

 

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左義長どんど焼き)の後でしょうか。

それよりも、小さな祠を撮影したかっただけです。

 

 

というわけで、「下社」参拝終了〜。

かなり駆け足でした(いつもですが)。

考察なぞはひっくるめて別の機会に、と思っています。

「同じ様式の社をわざわざ二つも造った理由」とか。

「「春宮」と「秋宮」で、御祭神を移動させる理由」とか。

「「宝殿」って何よ」、とか。

そういったことを、

 

 

先人の研究からつまみ食いしてご紹介

 

 

できたら、と思っています(多分、かなりの文献がありますから/あ、明らかにできるわけではないです、あくまでご紹介)。

諏訪大社」はまだ残っていますので、そちらを先に〜。

 

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