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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「諏訪大社・下社春宮」

(※年末年始にかけて、当ブログを(それまでと比較して)たくさんの方に観ていただいているようです。ありがとうございます。おめでたい時節、この駄文を読んでいただいたら、是非地元の氏神様にご参拝されますよう。みなさまの地元にも、面白い、不思議な神社がたくさんあるのではないか、と思います。私はといえば……ああ、まだ氏神様にはお参りしてません……ああ……それでは、今後もご愛顧のほどを。※)

 

9/24。

行楽シーズンの狭間の諏訪湖は、沿岸のホテルもそれなりの価格で泊まれました。

大浴場付きのホテルです(ビジネスホテルとか、見つからなかっただけですが)。

そもそも、湯船に入るのが嫌いな私ですが、久々に脚を伸ばしてゆっくりお風呂に入ると、たまにはいいな、と思いました。

諏訪の夏、といえば花火大会でしょうか。

かくいう一度だけ、私も出かけたことがあります。

もちろん一人ではなく(誘っていただかないと、基本引きこもりの私は出かけやしません)。

一見の価値有り、でした(いい場所を確保するのは大変ですけれども)。

その頃すでにいい年でしたが、何といいますか、輝いていた頃だったのかな、と妙に感慨深く。

少しだけ感傷的になりながら、気持ちのいい目覚めとともに、長野県巡礼の旅後半戦です。

もちろん、諏訪大社なのです。

 

◯こちら===>>>


諏訪大社 | 信濃國一之宮 諏訪大社(公式サイト)

 

まずは、ホテルから近めの「下社春宮」から。

 

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下諏訪の案内板。

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鳥居遠景。

昨日とは違っての曇り空。

諏訪の大神のお怒りをかうようなことをしたようです。

 

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紅葉が始まっています。

秋にはまた美しい風景なのでしょうね。

もちろん冬もです。

来られませんけどね、冬(寒いの苦手なので)。

 

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鳥居の辺りから振り返ると、橋が見えます。

公式HPから引用しますと、

 

「御手洗川に架る下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折に神輿はこの橋を渡ります。」

 

とのこと。

下社の「遷座祭」は、御祭神に「春宮」と「秋宮」を移動していただくもの、です(多分)。

その際、神輿が橋を渡るのだそうです。

この橋が残されたのは、もちろん古い建築物だったからでしょうが。

「神輿に橋を渡ってもらわないと困る」からでもあると思います。

川は境界、此岸と彼岸の間に流れる隔絶の象徴です。

そこを「渡す」ということは、どういう意味なのか。

 

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朝、比較的早いのに、同好の士はいらっしゃいました。

神社仏閣巡りは朝早く、夕方終了、ですから。

 

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「結びの杉」。

二股にわかれています。

 

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境内。

手前は蕃塀ではなく、神楽殿です。

太い注連縄が特徴的です。

 

「相当なものを封印している 」

 

のかも知れません。

 

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「弊拝殿

この建物は御幣を奉ずる幣殿と拝殿が一体となったもので弊拝殿と呼ばれている。

建築様式は二重楼門造りで全体に見事な彫刻が施されている。

棟梁は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門で秋宮と同じ絵図面で秋宮弊拝殿より一年早い安永九年(1780)に完成した。

春秋両宮は社殿構造は同じで当時は双方で技術が競われた。」

 

江戸中期の建築物です。

現代では、緑や雪の白に映える、赤茶けた様相ですが、朱塗りだったにしろ白木だったにしろ、当時は輝いて見えたことでしょう。

 

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彫刻が多いのは、流行した権現造の流れかと思われます。

 

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「左右片拝殿

片拝殿とよばれる建物は弊拝殿と同じ安永九年(1780)地元の大工柴宮(伊藤)長左衛門により造営されたものである。

秋宮に比べて幅が短く屋根は片切りになっている。」

 

回廊のように正面弊拝殿から両翼に広がる部分のことのようです。

昔はどういう形だったのかがわかりませんが、何というのか、厳重ですよね。

 

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弊拝殿向って左に「第二之御柱」が屹立しています。

 

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弊拝殿から向って左にパンしてのパノラマ。

御柱の向こうに写っているのが、

 

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「子安社(末社

祭神 高志沼河姫命

例祭日 六月二十二日

お諏訪さまの御母神である高志沼河姫命をお祀りする 昔からお産の守り神として親しまれ底の抜けた柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである。」

 

「子安社」の左手に、

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「筒粥殿

下社特殊神事の一つである筒粥神事の神粥炊上げが行なわれる建物で毎年一月十四日夜から十五日早朝にかけて神職がいろりを囲み一晩中葦筒を米と小豆の粥に入れて炊込み葦筒四十四本のうち四十三本は作物の豊凶を残り一本は世の中を占う。

土間中央のいろりは江戸時代初期のものである。」

 

公式HPによれば、

 

「春宮の筒粥殿で米と小豆と葦の筒を大釜に入れて一晩中粥を炊き、十五日未明に筒を割り中の粥の状態で豊凶を占います。現在は四十四本の筒で農作物四十三種と世の中全般を見ます。占いの正確なこと神占正に誤りなしと七不思議の一つです。」 

 

とのことです。

「釜茹で」ってことですか。

「現在は四十四本」ということは、昔は違っていたんでしょうか。

 

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諏訪大社下社春宮

諏訪大社は建御名方富命と八坂刀売命を祀り、上社は建御名方富命(彦神)を、下社は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。下社の祭神は二月から七月まで、春宮に鎮座し、八月一日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌二月一日に春宮に帰座される。

下社の中心となる建築は、正面中央にあり拝殿と門を兼ねたような形式の弊拝殿、その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある、東西宝殿からなる。東西の宝殿は茅葺・切妻造・平入の簡素で古風な形式をもち、甲寅の七年ごとに新築する式年遷宮制度がとられている。右のような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、またその弊拝殿と左右片拝殿に似た形式は長野県内の諏訪神を祀るいくつかの神社でも用いられている。

現在の本宮の弊拝殿は安永八年(1779)に完成したと考えられる。大工棟梁は高島藩に仕えた大工棟梁伊藤儀左衛門の弟である柴宮(当時は村田姓)長左衛門矩重(1747〜1800)であった。弊拝殿は、間口の柱間が一間、奥行が二間で、背後の壁面に扉口を設ける。二階は四方がふきはなちで、屋根は切妻造・平入の銅板葺(元は桧皮葺)で、正面は軒唐破風をつける。左右の片拝殿は、梁行の柱間が一間・桁行が五間で、屋根は片流れの銅板葺である。弊拝殿の建築様式の特徴は、各所につけられた建築彫刻の数の多さと、その躍動感にあふれた表現である。正面の腰羽目の波、虹梁の上の牡丹、唐獅子・唐破風内部の飛竜・一階内部の小壁の牡丹・唐獅子扉脇の竹・鶏で名作が多く建築彫刻の名手である柴宮長左衛門の腕がよくうかがえる。」

 

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弊拝殿から向って右方向へパンしてパノラマ。

右手のお社は、

 

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「若宮車(摂社

祭神

建御名方彦神別命

伊豆早雄命(いずはやをのみこと)・妻科比賣命・池生神(いけのおのかみ)・須波若彦神(すわわかひこのかみ)・片倉辺命・蓼科神・八杵命(やきねのみこと)・内県神・外県神・大県神・意岐萩命(おきはぎのみこと)・妻岐萩命(つまきはぎのみこと)

例祭日 七月一日 毎月一日

お諏訪さまの御子神十三柱をお祀りしている」

 

建御名方彦神別命」は、「善光寺」の記事でも出てきました。

 

◯こちら===>>>

善光寺(4) - べにーのGinger Booker Club

 

うーん……この御祭神、何かおかしいですよね、名前が。

いや、親の名前を取り込んだ神名がないわけではないんですが。

素直に読むと、「建御名方の彦神(子ども、という程度の意味)の別命」なんでしょうか。

「別」という言葉は、ある時期流行した名前のようですが、記紀編纂の頃にでっちあげられたのかもしれないです。

文字は当て字の可能性があるので、「別ける」という意味を持っているのかどうか、私の知識ではなんとも。

「親」から「別れた」から「子ども」、だと考えれば、「別ける」という意味で使っていてもおかしくはないのかもしれないですい。

「◯◯ワケ」とつく名前の場合、「ワケ」の前が親の名前なのか、氏族の名前なのか、氏族の根拠地の名前なのか、そういったルーツを表すものなのかもしれないな、とふと思ったりしました。

 

 

 

 

違うと思いますけど。

 

 

 

 

他の御子神の名前は、何となく地名っぽいので、御子神という設定自体が「後付け」で、それぞれの地域の地主神だったのではないか、と思います。

 

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こちらは「上諏訪社(末社)」。

遥拝所的な役割でしょうか。

言っても上社まではそれほど遠くないので、足を運べばいいような気がします。

 

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こちら弊拝殿右手にある、「一之御柱」。

 

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御柱(おんばしら)

御柱は寅年と申年の七年目毎に御宝殿の造営と共に建替えられる御神木で社殿の四隅に建立されています。この春宮一之御柱は長さ十七米余、直径一米余 の樅(もみ)の樹で霧ヶ峰高原に続く東俣国有林に於いて伐採され数千人の氏子の奉仕により曳行されました。

御柱祭は天下の奇祭として有名であり次回は平成二十八年丙申年に行なわれます。」

 

「三」「四」の御柱は、普通に参拝していては発見出来ません。

社殿の背後のほうにあるはずなのです。

四隅に何かを立てて四角形を描いて囲む、というのも結界の一種です。

問題は、「外から入ってくる力から内側を守っているのか」「内側から出ていこうとする何かを閉じ込めているのか」、です。

 

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境内にある謎の囲い。

多分、ここに何か碑か御神木が立っていた跡なのだと思います。

あと、完全に見落としていますが、

 

「神楽殿の西の建物が筒粥殿、その西の清流は砥川です。川の中にある島は浮島と言い、どんな大水にも流れず下社七不思議の一つです。お社は浮島社と言い、清め祓いの神を祀り六月三十日の大祓式、夏越の祓いはここで行ないます。」

というポイントがあったりします(公式HPより)。

岡本太郎氏が惚れ込んだという、

 

◯こちら===>>>

万治の石仏(まんじのせきぶつ) 歴史・文化|下諏訪観光協会

 

も近くにありますが、今回は割愛。

何しろ「諏訪大社」ですので、あと三社まわらなければなりません。

引用やら考察やらは、またまとめて行なうとしまして、とりあえず「春宮」はこの辺りにて。

 

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