べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「別所神社」

9/23。

常楽寺」の参拝を終えて、駐車場へ戻る途中で見つけたのが「別所神社」

 

◯こちら===>>>

別所神社本殿 | 上田市文化財マップ

 

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扁額には、「本朝縁結大神」と書かれています。

 

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鳥居のすぐわきに、「猿田彦大神」の石碑。

道祖神にしては、かなり大きいと思います。

 

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狛犬さん。

スケール感が可愛らしいです。

 

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なかなか趣深い参道です。

 

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木造の鳥居。

 

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皇大神宮」とあるので、伊勢の「内宮」、「天照大神」のお社です。

 

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村の鎮守の〜、という雰囲気。

 

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その近くにあったお社。

祭神などは、ここではよくわかりません。

 

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小さい祠。

 

今までのはいわゆる境内摂社で、「別所神社」の本殿は……正面から撮影するのを忘れました……。

↑のHPに写真があるのでご確認ください。

 

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「本殿内には享保九年(1724)から明治一一年(1878)まで二〇枚の棟札があり、このうち、現在の本殿に対応すると考えられるのは、天明八年(1788)の「奉再造営熊野大権現御神殿」で、大工棟梁は末野庄兵衛安定となっています。

末野家は、別所温泉安楽寺山門や前山の塩野神社本殿及び拝殿(上田市指定文化財)を建てた当地方随一の棟梁です。この頃、諏訪地方では立川富棟や柴宮長左衛門らが新興してきましたが、末野家は江戸時代初期からの伝統的な棟梁で、このためその作風も彼らと比較するとやや古風です。

建物の形式は、「一間社隅木入り春日造」と呼ばれ、この形式は、紀州和歌山県)の熊野神社本殿や県内の熊野神社に多く用いられています。建物を飾る彫刻も華やかで、特に、背面の妻の部分の「波と蛙股」は他に例を見ません。また、桟瓦葺きとなっている屋根は、瓦の下に杮の軒付けが残っており、当初は杮葺きであったと推定されます。

この本殿は、一八世紀の神社本殿としては規模が大きく、建築の軸部の?式も装飾も充実し、建築作品として優秀なもので、保存状態も当初の様式をよく残しています。」

 

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当初から白木だったのかはよくわかりませんが、素朴な味わいの中に豪華な装飾、という雰囲気は近代的ですらあります。

「波と蛙股」が……二枚目の本殿写真に写っている部分だと思うのですが、よく考えると「背面の妻部分」にあるようなので、残念ながら……↑↑のHPで確認してください。

廂部分の梁が微妙にカーブを描いているのがセクシーです(いえ、神社本殿の廂って、なかなか見られるものではないので、私が知らないだけでどこでもこういうものなのかもしれません)。

 

本殿すぐ脇に、何と呼べばいいのか、神楽殿でもなく、劇を演じるような舞台風の建物がありました。

 

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中に入ると、別所温泉を見下ろす眺望がなかなかです。

 

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神棚がありました。

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それよりも目を引かれたのは、

 

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この梁、です。

自然なカーブを活かしたのか、それともこのように造形したのか、いずれにしても編み込まれたような天井の梁の構造に、構造物ラブな私はしばし見入ってしまいました。

それにしても、何の建物なのか……案内板でも置いてくれればいいのに。

どうも「別所神社」は、「北向観音」等と異なり、地元の氏神様のようで、観光客は相手にしていないようです。

 

◯こちら===>>>


別所神社(上田市別所温泉2338)- おみやさんcom

 

↑いいサイトを発見。

先ほどの建物は、やはり「神楽殿」だったようです。

以下、このサイトより引用。

 

「社殿の後ろには3つの祠があり、これは縁結びの神を祀ったものとされているが、本殿より遅れて祀られたと考えられている。」

「祠に男石、女石、子宝石が祀られていることから、縁結びの御利益があると言われ、後の時代に、鳥居の額には「本朝縁結大神」の文字が書かれたという。」

 

……全く気づきませんでした。

そんなのあったかなぁ……あるんでしょうね……。

それより、本殿横にあった、

 

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この祠連続帯の説明を誰かしてくれないかな……よく集めたな。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 別所温泉誌

 

↑の19コマから「別所神社」の記事があります(引用にあたって旧字を改めた箇所あり/判読不能文字は■に置き換える)。

 

「別所神社

相染川のほとりに在り縁結びの神と称し男女結縁を祈るもの多し本村の産土神にして祭る所伊弉諾尊伊弉冉尊、速玉之男命、泉津事解男命、相殿素戔嗚尊なり建久年間(※1190〜1199)紀州熊野より分祀し永享年間(※1429〜1441)本殿を再建すもと熊野権現社と称したるを明治十一年別所神社と改む神木の松は大木にして周囲一丈二尺三寸高さ八間半外に夫婦松あり祭日四月十六日、九月廿八日、境内摂社神明社金刀比羅社あり」

 

なるほど、何の社かわからなかったのは「金刀比羅社」でしたか。

その続きに、

 

「飛宮社

祭神天太玉命天児屋根命、大雷命、永享元年の創立といふ祭日十月二十九日明治三十二年本社を別所神社境内に移したり」

 

ともありまして……あれ、こっちなのかな。

この『別所温泉誌』、なかなか面白い本でして、例えば「別所十八景と称して伝わっているものがあるが、概ね見るに足らない。筆者が独自に別所八景を選んだ。十八景に比べれば、いささか優れている」(要約)とか書いてあるんです。

ちなみに「別所八景」は、

 

男神岳暮雲 大悲閣晩鐘 維茂塚夜雨 西行橋夕照

幕宮池落雁 安楽寺紅葉 金剛山秋月 藍染川流蛍

 

だそうです。

何ともロマンチックな感じが微笑ましいといいますか。

ついでと言ってはなんですが、

 

「(附記)平維茂に関る俗説

維茂は上総介平兼忠の子にして貞盛の養子たり 

其第十五子に当るを以て餘五と称す 

帯刀従五位上鎮守府将軍に拝し出羽介に任ず 

依て世に餘五将軍といふ 

相伝ふ冷泉院安和二年七月信濃守に任じ戸隠山の妖賊紅葉という鬼女を退治すべき勅命を受く 

当時当国府は小縣郡出浦庄に在り 

維茂家臣金剛兵衛利綱、茨菰次郎勝秀、帯刀太郎、柏木左衛門以下五千餘騎を帥ひ先づ国府に着し

北向堂観世音に祈請し八幡大神及び観世音の加護に依り賊の幻術を挫き

同年十月廿五日遂に賊魁紅葉及び其夫柏木を斬り之を殲す功を以て甲斐越後両国守に兼任す 

乃ち此地の諸堂舎を再建し其旧観を復し舘を塩田郷前山村の山麓に構へ此に住し深く北向堂に帰依す 

其後八年を経て天延四年国守の任満ち京に帰るといふ 

此地に維茂の墳墓其外維茂の古跡と称する所多し 

按ずるに大日本史註に 曰世伝維茂嘗過信濃戸隠山有群盗■作婦人、粧誑維茂又著夜叉仮面■之維茂撃殺之口碑所戴不■于此 

また維茂歴任諸書無所考定蓋在一條、三條、後一條之朝 

蓋し維茂の女賊を誅せしとは古くより伝へたる小説なるを紅葉狩の謡曲に作りしより愈々其事を誇張附会したるものなるべし 

紅葉狩の謡に維茂少しも騒ぎ給はず南無や八幡大菩薩と心に念じ剣をぬいて待かけ給へばと有りて観世音を念じたるとは見らざれ共、其仏法を尊信せしとは後拾遺往生伝などに見えたれば是等の伝説も起りしならん 

彼謡は永正十三年(※1516)に没したる観世小次郎信光の作なれば此小説の東山殿以前より有りたると知るべし 

太平記源頼義戸隠山の鬼を斬ると有るも亦定かならず 

神社考には 多田満中斬信濃国戸隠山之鬼餘五将軍平維茂亦殺戸隠山之鬼 と見ゆ 

今戸隠荒倉山麓に紅葉の住みたる■及び酒宴の場其他の遺跡とて所々に在り 

彼辺はもとより山賊などの住みよき場所なれば往古かかる賊魁の住たることも有りけんかし 

又今昔物語に 近江国安義橋鬼■人話 あり 

元来古き小説なるを種々に取直して遂に紅葉狩の事及び剣巻なる大森彦七が咄などを成せしなるべし 

事の実否を取糺さんは抑も穿鑿に過ぎたれども亦是著者が一癖にて痴人面前夢を説くに等しからんのみ」

 (※改行はブログ筆者)

 

と、平維茂伝説をばっさり斬ったりしています。

 

また、

 

◯こちら===>>>

信州デジくら | 善光寺道名所図会 巻之5

 

↑の8コマには、「常楽寺」の近くに小さく「熊野宮」が描かれています。

また9コマには、

 

「……足利将軍義満公御治世海野氏台命を蒙て諸堂社を再建し又神託に依て両嶽(※別所温泉にある男神岳、女神岳)の里宮結の神社を今の地に遷し熊野三社権現と改め祭る……」

 

とありました。

別の箇所に、男神岳には伊弉諾、女神岳には伊弉冉を祭る」と書かれていましたので、「別所神社」に「伊弉諾尊」「伊弉冉尊」が祭られているとしていた『別所温泉誌』の裏が取れた気がします(が、『〜図会』系の本は、江戸時代の文人趣味が色濃く出ているという批判もあるようなので、どこまで正しい伝承なのかは不明です)。

で、「本朝縁結大神」の起源っぽい結の神社」は何なのか……と思っていたら、↑の文章の少し前に、

 

「……右大将頼朝卿海野氏に台命ありて諸堂社を再建し法橋上人入禅して大悲殿を守らしめ新に祇園社を結の神の摂社に加えらる……」

 

とありまして、さらにその前には(4コマ)

 

「……伊弉諾伊弉冉の二尊影向し玉ひ男女の■を教へ登り給ひし頂■■■を尊聞し■■男神嶽女神嶽と号け社を頂に立玉ふ■二山■各御手洗あり其流の落合川を相染川と呼ぶ両嶽の神祠峯を■■ば是を合せ祀りて結神と名号■■■……」

 

とあり(全然読めないわ……)。

……ん?

是を合せ祀りて結神と名号」?……あ、「男神岳」「女神岳」の頂上にある神社の「里宮」のことを「結びの神」と呼んでいたわけですね。

流れとしては、

 

1)男神岳」「女神岳」にそれぞれ神社が祭られる

2)その麓に、それぞれから流れる川の合流地点があり、そこに「結びの神」が祭られる

3)別で祭っていた「祇園社」が、「結びの神」に合祀される

4)「結びの神」の場所が移され、「熊野三社権現」となる

 

ということですか。

うーん……「熊野権現」の話は複雑で、いずれ参拝したいと考えていますが、まだ不勉強でして……。

伊弉諾尊・速玉之男神」、「伊弉冉尊・事解之男神」、それに「家津美御子大神」を指して、「熊野三所権現」と呼ぶ、らしいのです。

「別所神社」の由来が、↑で述べた通りだとすれば、「家津美御子大神」は明らかに「祇園社」つまり「素戔嗚尊」で、『別所温泉誌』で述べられていた祭神と合致するのですが……。

とすると、「別所神社」本殿の裏手にあるという祠が「本朝縁結大神」として神社成立より後に祭られているのに、実は「熊野社」が成立するはるか昔から「結びの神」は存在していた……?

 

うーん、何か釈然としない。

 

というわけなので、あとは郷土史家のみなさんにお任せするとしましょう。

他にもいろいろと面白い話が別所温泉にはありそうなのですが(「日本武尊」が出てきたり、「七久里温泉」が「七苦離」だったんじゃないか説とか、七つのお湯に「大国主命」由来の名前がついていたらしいとか)、興味のある方はそれぞれ調べてみてください。

別所温泉誌』と『善光寺道名所図会』を読むだけでも面白いです。

 

 

さてさて、いよいよ次は本日のメインイベント、「善光寺」です〜。