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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「金剛山常楽寺」

9/23。

安楽寺」の参拝を済ませ、なかなかの素敵ポイントであることを実感している別所温泉

続いて、「三楽寺」の常楽寺へ向います。

 

◯こちら===>>>


常楽寺

 

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安楽寺」からの道すがら、見つけました。

地理がさっぱり苦手な私にはさっぱりわかりませんが、浅間山の方角ですか?

 

坂道と階段を上っていくと、

 

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天台宗別格本山」の石柱が。

 

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「この本堂は、寄棟造、茅葺の建物で、正面中央に唐破風の向拝を付けています。間取りは、前側に細長く広縁をとり、中央に外陣・内陣があり、その両脇に部屋を配置する構成で、内陣の左脇の部屋が「上段の間」となっています。この間取りは当初からのもので、ほとんど改造されていません。また、間口が十間(約18m)あり、長野県内の江戸中期後半の天台真言系本堂として屈指の規模を持っています。

寺の「分限帳」によれば、客殿(本堂)・本尊・庫裏の建立は四十六世翁玄の代(1710〜38在住)で、本尊の妙観察智阿弥陀如来坐像には享保十年(1732年)の墨書があり、本堂の再建も本尊入仏と同じ享保十七年頃であったと考えられます。建物の様式をみても、虹梁の絵様・組物・欄間などのように十七世紀後期の比較的古い様式を示す部分と、柱が一間ごとに立たないという十八世紀中期以降の特色が混在しており、享保末期〜元文期(1730年代)の建築と考えられます。ただし、庫裏破風の向拝部分は、様式が本堂と若干異なっており、後に付け加えられたとみられます。

本堂の意匠は彫刻的な装飾は少なめですが、これは江戸中期に属する本堂の特色で、常楽寺本堂は江戸中期後半の特色をよく示した貴重な建築といえます。」

 

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常楽寺

この寺は天台宗金剛山照明院常楽寺といい北向観音の本坊で、本尊は妙観察智阿弥陀如来、開山は慈覚大師と伝えられている。京都南禅寺の開祖大明国司が正応5年(1292)に信濃の国塩田別所常楽寺十不二門文心解を書写した文献があり古くから学問寺として名高く創建当時より名僧高僧がここに錫をとどめている。いまの本堂は江戸中期の享保年間(1716=36)に建立されたもので別所三楽寺(常楽、安楽、長楽(焼失))の一寺として多くの信仰をあつめている。」

 

十不二門文心解」というのは、お経の名前なのでしょうけれども、さっぱりわかりません……仏教は本当に膨大です。

 

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突然目の前に登場したのがこちら本堂。

安楽寺」もそうだったのですが、

 

「え? お寺?」

 

と思わずつぶやいてしまいそうになる素朴さ(平成十五年の修復時に、旧来の姿に戻したそうなので、少し前までは瓦葺きだったのかもしれません)。

ただし、間口十間ですから、相当に大きな構造物です。

解説にもありましたが、唐破風の向拝が独特のフォルムを与えていて、「豪農の屋敷」とは一線を画している気がします。

享保年間、ということは、江戸でも倹約が説かれた頃ですが、権現造の大流行は沈静化した、ということでしょうか。

茅葺なのは、長野県であることと関係があるのでしょうか(瓦屋根より、雪に耐える、のでしょうか)。

密教系の寺院はどうしても高野山比叡山のイメージで、

 

ザ・豪華

 

と思っていたものですから、意表をつかれたといいますか。

 

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破風と扁額。

何といいますか、禅寺にふさわしい様子に思えます(密教に禅がないわけではないですが)。

 

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裏に回ってみました。

やはり、相当に大きな構造物です。

まばらに緑の載る茅葺屋根がまた素敵です。

 

本堂の脇を通って奥に進んでいくと、

 

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常楽寺石造多宝塔」があります。

 

「銘文によれば、天長二年(825)、火焔の中から北向観音がこの地に出現した。そこで、木造の宝塔を建立したが、寿永年間(1182〜84)に焼失した。弘長二年(1268)本塔を造立し、金銀泥で書かれた一切経一部を奉納したとある。

石造多宝塔の類例は全国的に見ても少なく、特に重要文化財指定となると、本塔と滋賀県の小菩提寺の二基にすぎない。さらに本塔は、笠や裳階が鎌倉時代の多宝塔の典型を示しており、全国的に見てもたいへん貴重な遺例である。」

 

常楽寺石造多層塔

大正十三年(1924)、別所温泉大鳥屋旅館裏で水道工事を行っていた際、地中からたくさんの多宝塔・多層塔・五輪塔・宝篋印塔が散乱状態で発見された。この石塔群はその後散逸してしまっていたが、当地の篤学者が関西の旧家にあるのをつきとめ、懇願して昭和五六年、故郷の当地に再建された。

各部位のバランスや形は、古様をよくとどめ、鎌倉時代の作になるものと思われる。」

 

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時間帯が微妙だったのか、翳りの中に佇む様子しか撮影できませんでした。

もう少し陽光が差し込んでいると、苔生した石造りの塔が神秘的に浮かび上がったのではないかと思います。

 

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遠景。

ここに千手観音が降り立った、といわれると、そうかも知れないなと思ってしまいそうです。

 

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「石造多宝塔」から戻ってきて、休憩スペースの近くに石像群が。

こちらは、足下に猿が見えるので、「青面金剛」でしょうか。

 

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その他、「文殊菩薩」や「普賢菩薩」(獅子に乗っているのが「文殊」、象に乗っているのが「普賢」)、あとは……すみませんわかりません。

 

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左の碑には「大日如来」とあります。

確かに智拳印を結んでいるようにも見えますが……。

 

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そして、完全にゆるキャラ化しているお地蔵様。

御朱印ガールか、寺ガールかわかりませんが、若い女性達が、仏像を見て何やらはしゃいでおりました。

ここで、

 

「この仏様はですね……」

 

と博学を披露できればナンパの一つも成功するのかもしれませんが(罰をかぶりますか)、何しろそこまでは知識がないので……。

せめて、仏像を見て、メジャー所の神仏くらいは当てられるようにならないと……いけないような、そんな必要はないような(本があればいい気がします)。

 

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いい感じの石灯籠がありました。

 

さて。

前回の「安楽寺」でも引用しました、

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 別所温泉誌

 

↑の22コマからの記事を(引用にあたって旧字をあらためた箇所有り/判読不能文字は■に置き換える)。

 

金剛山照明院常楽寺

本堂東向、本尊は妙観察智弥陀如来天台宗山門派にしてもと上州世良田の長楽寺末なりしが明治二年十月本山比叡山延暦寺末に復す北向山大悲殿の別当たり境内東西五十間餘南北三十間

……(略)……

常楽寺は宝治年間堅者性算を以て大悲殿別当中興とす性算大勧進をなし一切経を書写せしを弘長二年中興二世阿闍梨頼真、観音薬師出現の火坑に納め石宝塔を建立す足利義満の時更に海野氏に命じて両大寺を始め諸堂坊を再造せしむ天文永禄の間甲越戦争数度の兵火に寺坊諸祠概ね焼亡傾廃し独り八角塔のみを残せり

……(略)……

常楽寺は重宝として浄土曼荼羅一幅を蔵す奇世の名品たり其詳かなるは左の記に依りて知るべし

……(略)……」

 

といったところです(前回「安楽寺」と合せてお読みください)。

 

また、

 

◯こちら===>>>

信州デジくら | 善光寺道名所図会 巻之5

 

↑前回も紹介した「信州デジくら」というサイトで発見した『善光寺道名所図会』巻之5の15コマに、「金剛山常楽寺」の記事があります(※活字じゃないので、かなり読めない部分が多いかも知れません)。

図絵として、「石像多宝塔」が、かなり詳細に描かれているので、是非一度ご覧下さい。

 

金剛山常楽寺

照明院と號■天台宗属東叡山三楽時の其一なり 本尊弥陀如来 大悲殿別当所なり

(略)

或ヶ曰別所常楽寺裏の沢より出現の薬師如来を今三州鳳来寺峯の薬師是なり其由縁ハ天長六己酉諸国疫癘流行して就中三河國も国中大小煩ひ臥し死■■者麻と乱■づ如し国乃守護職帝都小奏■■依之安部両家へ天災■■■勅■あり両家奏して曰是を除んには信州小縣郡出浦に出現の薬師仏を暫く彼国に移し給はば安隠ならんと勅■■則三河の国府へ移し何方に安置せんと郡司として改しむ爰に尊き霊地■此山は昔利修仙人山居せし■場なればとて假殿を建て安置せり一七日の間法華経薬師経種々大法会修行有れば次第に時疫減じ諸民大に悦ぶ是に依て如来を暫く借■■■よしの告文と■■■に因て出浦の高望■へ綸命下りて三楽四院へ奉借證文三河の守護より越さる此證文正徳二年に本堂焼失■■内■■納有し■其外宝物■■■時悉く焼亡す依て三品■て山と平ら■■寺院を開き堂を建薬師如来を移し奉るさる因縁に依て北風吹時は■濃風と唱へ御扉を開く依て風来寺峯の薬師と称し■験今に■し梺に町屋軒を並へて建連ねたり 但右の古證文焼失せし後は三州■■鳳来寺と號を有し■■」

 

えー……思ったよりも読めませんでしたが、大意はつかめました。

 

常楽寺の沢から出現した薬師如来は、今の三河国鳳来寺の薬師である。天長六年(829)、疫病が大流行した。都の安部のものが言うには、信州小縣郡出浦に現れた薬師如来を、しばらくこの国(三河)に移せば安心だろうということで、三河の国府に移した。どこに安置するのがいいか、といえば、この山は昔、利修仙人が住んだ霊場なので、假殿を建てて安置した。十七日の間、法華経薬師経等の大法会を修行すると、次第に疫病は収まっていって諸民は悦んだ。このため薬師如来をしばらく借り置くという告文が出浦に届き、三楽寺四院に証文が送られた。そして、山を平らげて寺院を開き、お堂を建てて薬師如来を安置した。この因縁のため、北風が吹くときは「■濃風」(?)と唱えて扉が開くので、この如来を「風来寺峯の薬師」と称して、霊験は今もあらたかで、麓には町屋が軒を並べて建てられた。ただし、この証文が焼失した後は、この寺は「鳳来寺」と號するようになった」

 

……だいたい、ですよだいたい。

いや、まさかこんなところで「鳳来寺」の話に出会えるとは思いませんでした。

 

◯こちら===>>>

鳳来寺 - Wikipedia

 

↑行ったことはあるのですが、詳しくは探っていないんですよね……とはいえ、『善光寺道名所図会』で紹介されている伝説はまぁ、牽強付会な感じがします。

 

ところで。

不勉強な私は、ずっと「多宝塔」の何が「多宝」なのかわからなかったのですが、

 

 

密教辞典

密教辞典

 

 

↑で「多宝塔」を引いてみると、

 

「宝塔に裳階を付けて重層にしたから、外観の上層は円形の平面であるが、下層は三間か五間の方形となって根本大塔と同じ構造である。重層宝塔の意を多宝と称して、法華経に説く多宝如来から説者釈尊との二仏並坐の意味の多宝塔と解釈されている。中国以来の例でも、多宝塔の名称が形式的な制約でなく、長谷寺の法華説相図では三層塔であり、多くは宝塔形状が多い。多宝塔の名称と形式が一致するのは後のことで、比叡山東塔に821(弘仁12)建立の多宝塔には胎蔵界五仏を安置している。現存の多宝塔も多くは密教的な内容で、最古の遺構は石山寺の1194(建久5)建立のものである。上奏の円と下層の方との継目を亀腹(饅頭形)で埋めた木造建築中でも変化のある姿が歓ばれたと共に密教の隆盛に伴って、大塔の形式が法華経の名目に重って混乱したものであろう。」

 

とありました。

多宝如来」が何なのかは、申し訳ありませんが追い切れず……「宝勝如来」、「宝生仏」とも同体とされるようです。

 

◯こちら===>>>

多宝塔 - Wikipedia

 

↑でご確認ください。

 

◯こちら===>>>


根本大塔 [高野山周辺]の観光 徹底ガイド - フォートラベル

 

↑が、高野山の根本大塔です。

密教辞典』にもありましたが、饅頭型の描き出すカーブが何ともいえずキュートで、流行するのもわかる気がします。

で、古墳「上円下方墳」というのがありますよね。

上が「◯」で、下が「□(◇)」の多層式の古墳です。

ここからは、確か明石散人氏がどこかで書いていた話を思い出して書いてみるんですが。

中国では、「天は丸、地は四角」という思想があったのではないか、と言われているそうです。

「上円下方墳」の形には、それなりの意味がある、と(明石氏によれば、「前方後円墳」は、日本人が「上円下方」を勘違いしたからではないか、ということなんですが、そこまでは私には踏み込めません……)。

そして、「多宝塔」なんですが、これも「下が四角」で「上が丸」、なんですよね。

天地を表現しているのではないか……とちょっと思ったんですが。

もっと近いものが実はありまして。

そう、「五輪塔」というやつですね。

 

◯こちら===>>>

五輪塔 - Wikipedia

 

「多宝塔」「五輪塔」といった様式は、どうやら日本独特のものらしく。

「多宝塔」が、思想的にどうしてあんなキュートな形になったのか。

「地が四角」、「天が丸(半球)」、さらにその上に相輪ということはそこが「須弥山」なのではないか……と適当なことを妄想してみました。

基本的に私は、「人のふんどしでしか相撲がとれません」もので……人の説を都合よく解釈して妄想するのが精一杯です。

 

 

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品のいいご婦人に書いていただきました。

「妙観察智弥陀如来」というのも、あまり聞かないなぁと『密教辞典』を引いたところ、「五智」の一つで、「第六意識から転生した智。衆生をよく観察して誤らない。西方阿弥陀仏の智で、説法の徳で転法輪智。」とありました。

……よくわかりませんが、とにかくよく観ていてくださるようです。