5/24。
「熱田神宮」を参拝したので、そこから北に少し行った「高座結御子(たかくらむすびみこ)神社」へ。
◯こちら===>>>
高座結御子神社 | 初えびす 七五三 お宮参り お祓い 名古屋 | 熱田神宮
神社の裏手が公園になっていて、弥生時代の遺跡があるそうです。
変なところに駐車したので、裏手から神社正面に回ります。
「高座結御子神社
俗に高蔵の森、高座さまといわれ、子育ての神として信仰を集めている。
祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)を祀る熱田神宮の摂社で延喜式内社である。
社伝によれば、織田信長が本殿を造営し、のちに蜂須賀氏が修造を加えたとある。
末社である御井(みい)社の「高座井戸のぞき」の神事は、毎年六月一日に行われ、子供の虫封じに霊験があるとして評判が高い。」
どうやら「子育ての神様」として有名らしく、「子預け祈願」という、子供を「十五才まで神様にお預けし、お守りをいただき、満期十五才になったら御礼参りをするという信仰」があるそうです。
日本には元々、「子供と老人は神様に近い」という考えがありまして。
いえ、日本だけではないのですが。
「神様に近い」というより、
「向こう側(あの世)に近い」
んですね。
子供がこちら側の住人になるように、各地でいろいろな方法がとられていることと思います(民俗学の範囲でしょうか)。
似たような考え方で、「子供は悪霊・悪魔に狙われやすい」というのもありまして。
これらは厳密に分けられないほど入り交じっていると思いますが。
例えば、「仮の名前」をつける、というものだったり。
悪霊や悪魔に「本当の名前」を知られると、連れ去られてしまうんです。
または、敢えて「悪い名前」をつけて、悪霊や悪魔に「うちの子供はこんなひどい名前なんだ」と伝え、連れ去られないようにしたり。
幼名、というのはもともとそういった考え方があったのだと思います。
また、「神様に近い」ので、いろいろな神事にかり出されたり、超人的な力を発揮するのではないかと思われたり。
「日本武尊」が出立に際してわざわざ童子の姿をとったのはこういう理由ではないか、と言われることもあります。
おとぎ話の主人公に「太郎」という子供が多いのも、同じように説明される、と言われたりもします。
拝殿。
お祭の準備が行われていました。
本殿が見えるかな、と思いましたが、はっきり写らず。
ご神木……だと思います。
「鉾取社」。
「新宮社」。
「御神井」。
「井戸のぞき」神事の場所です。
「尾張浜主の歌碑
翁とて侘びやは居らむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ
浜主は熱田宮の伶人。
承和十二年(845)正月八日、仁明天皇の御前で、百十三歳の老齢を以って、自作の「和風長寿楽」を見事に舞い、大極殿に居並ぶ人々を驚嘆させた当代における舞楽の大家である」
数えでも、百十一歳とか百十二歳とかですか……舞えますかね?
ご神木。
西には「高座稲荷社」があります。
どうやら「太閤出世稲荷」と呼ばれており、「太閤秀吉が幼き頃、母に手をひかれお参りされたとの言い伝え」があるそうです。
お稲荷さんはどこでも人気ですね。
西側の鳥居。
「当神社は昔から「高座」さまといわれこの地方開発の祖神として仰がれています。また、子育ての神様として信仰が篤く、幼児の成育と虫封じとを祈願■、十五才までの期間子預けをし、お子様の無事成長を祈る習慣が、愛知県はもとより、東海地方一帯に広く知られています。
境内の末社
鉾取社 鉾取神(ほことりのかみ)
新宮社 素戔嗚尊
稲荷社 宇迦之御魂神」
何とか読めました。
「鉾取神」って何でしょうね。
以前、
◯こちら===>>>
「小國神社」 - べにーのGinger Booker Club
↑「小國神社」でも、「鉾執社」をお参りしました。
こちらは祭事等に従事した神人の魂をお祀りしたところ、でしたが。
「高座結御子神社」の場合はどうなんでしょうか。
「鉾取神」とある以上、何らかの神格化がなされているのか……。
「御井神」は、汎的な名称なのでしょうが、「記紀神話」にも登場しています。
「……故、八上比賣は、先の期の如くみとあたはしつ。故、その八上比賣をば率て来ましつれども、その嫡妻須世理比賣を畏みて、その生める子をば、木の俣に刺し挟みて返りき。故、その子を名づけて木俣神と云ひ、亦の名を御井神と謂ふ」
↑『古事記』で、「大国主命」が根の国から戻ってきた後のところです。
元々、「八上比賣」という媛神に、「大国主命」の兄弟神達は求婚していたのですが、「八上比賣」は「大国主命」と結婚する、と考えていました。
で、「大国主命」は様々な苦難にあって、最終的に根の国に行って、「素戔嗚尊」からその力を継承するわけですが、そのときに「須勢理比賣」という「素戔嗚尊」の娘と結婚するんです(結婚したから、「素戔嗚尊」から後継者と認められた、という見方もあります)。
で、根の国から戻って、一夫一妻制でもないわけですから、「八上比賣」とも結婚します。
ところが、「須勢理比賣」という媛神、どうやらかなり嫉妬深いようで。
「素戔嗚尊」の娘ですから、分かる気もしますが。
「八上比賣」は子供を残して国(稲羽)に帰ってしまったようです。
……なんで「木俣神=御井神」なのか、一切説明がありませんが、どうやらこの神は、諸処の井戸を掘ったらしいです。
というか、元々「井戸の神」様というのは、井戸毎にいらっしゃったはずです。
その大元の神を説明する為に、無理矢理「木俣神=御井神」としたのでしょうか。
あるいは、『古事記』編纂の時代には、何らかの伝承が残っていたけれども、亡くなってしまったのか(「木俣神=御井神」が当たり前との認識があったのか)。
よくわかりません。
さて、
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑こちらの254から、「高座結御子神社」の記事があります(以下、引用部分は旧字を改めた箇所あり/判読不明字は■で代用)。
「高座結御子神社
新はたや町東なる田野にあり。社地甚広く古木繁茂し、遠望するにもいと尊く神さびたり。熱田摂社七社の一社なり。高蔵宮と称す。[延喜神名式]に高座結御子神社(名神大)、[本国神明帳]に正二位高座結御子名神としるし、[続日本後紀]承和二年十二月壬午の記に『尾張国(中略)高座結御子神奉預名神並熱田大神御兒神也』と見えたり。
拝殿
水門神(みとのかみ)祠 祭神速秋津神
新宮祠 祭神素戔嗚尊。ともに境内にあり。其他小祠多く、又廃祠もすくなからず。本地堂に毘沙門天を安置せしも、今は社人の家に納む。しかれども例年正月三日には、当社の神供所にて此像を開扉し、諸人に拝せしむ。神像は弘法大師の彫刻なり。又此日神前にて、きざみたばこ、或は飴にて作りし小判を商ふ。俗に御福といひて必ずもとめかへる事なり。
抑当社は熱田大宮に続ける大社にして、凄然たる森林・鳥聲・風籟まで耳に異なり。さながらいみじくぞ覚ゆる。
麦畑へ風の端やるしげりかな」
255コマには図絵があり、そこには今はない祠がいくつか書き込まれており、また小山の上に稲荷社も見えます。
現在の様子とそれほど異なる感じはしません。
また、「井」も、現在地に相当する場所に見えますので、当時から「御井社」はあったものと思われます。
「[続日本後紀]承和二年十二月壬午の記に『尾張国(中略)高座結御子神奉預名神並熱田大神御兒神也』と見えたり。」とあります。
◯こちら===>>>
↑では、該当箇所の全文が見られます。
「尾張国日割御子神。孫若御子神。高座結御子神。惣三前奉レ預二名神一。並熱田大神御児神也。」
「日割御子神」「孫若御子神」と共に、「熱田大神御兒神也」なんですね。
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 東海道名所図会. 上冊
江戸〜明治期に書かれた「名所図会」にはいろいろありまして、その中に『東海道名所図会』があります。
↑の112コマから巻の三が始まっており、そこに「熱田大神宮」の記事があります。
新訂 東海道名所図会〈中〉尾張・三河・遠江・駿河編 (新訂 日本名所図会集)
- 作者: 秋里籬島,粕谷宏紀
- 出版社/メーカー: ぺりかん社
- 発売日: 2001/07
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログを見る
↑と本にもなっているので、こちらから引用を。
「熱田大神宮
(略)
【式内】高蔵神社 大宮より北の方五町ばかり、畑村にあり。『神名帳』にいわく、「高座結御子神社(名神大)」。祭神仲哀天皇」
「仲哀天皇」は、「日本武尊」の子供で、母は「布多遅能伊理毘賣命(ふたぢのいりびめのみこと)」です。
「布多遅能伊理毘賣命」は、「垂仁天皇」の娘です。
「日本武尊」は、「垂仁天皇」の息子である「景行天皇」の子です。
「景行天皇」と「布多遅能伊理毘賣命」は異母兄妹ですので、「日本武尊」との血縁としては、それほど近くはない、ということでしょうか。
「日本武尊」が一人ではない、という話もありますので、どの「日本武尊」との結婚だったのかまでは、文献上からたどることはできません。
ともかく、「熱田神宮」の御祭神「日本武尊」の子供である「仲哀天皇」がお祀りされていることから、「高座結御子神社」と呼ばれているのでしょう。
「熱田大神御兒神也」ってことですね。
さてさて、最初の方で掲載してある、名古屋市教育委員会の案内札では、御祭神は「高倉下命(たかくらじのみこと)」となっています。
「神武天皇」東征の際に、紀伊の国の熊野辺りで、大きな熊(神の化身)の出現して、一軍共に倒れてしまうのですが、そのとき地元の神である「高倉下命」が高天原から下された剣を持って現われると、みな回復した、という話があります。
この方、よくわからない神なんです。
唐突に登場して、結構重要な役割を果たしているんですが。
『先代旧事本紀』によれば、天孫に先立って降臨していた「饒速日命」という、物部氏系の祖神がいるのですが、その子供ということになっているそうです。
で、「高倉下命」、別の名前は「天香山命(あめのかやまのみこと)」で、熊野に住んでいたんですが、尾張連の祖先神ということになっています。
また、「天香山命」は、「天火明命(あめのほあかりのみこと)」の子供だそうです。
「天火明命」といえば、天孫「瓊瓊杵命」の兄弟神であり(異説あり)、共に天から降りてきたそうです。
で、「天火明命」の母神が、「万幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきづしひめのみこと)」で、この方が「高木神(高御産霊日神(たかみむすびのかみ))」という、日本神話ではかなり神格が高く描かれる神です。
こう、かなりぐちゃぐちゃとなってしまっていて、何が何だかよくわかりませんが。
元々「仲哀天皇」が御祭神だったと思われる「高座結御子神社」に、「高倉下命」が祀られるようになった理由を何となく推察すると。
1)「高座結御子神社」と「高倉下命」で、名前が似ている。
2)「高倉下命」は、「高木神(高御産霊日神(たかみむすびのかみ))」の子孫だ。
3)「高倉下命」は、尾張連の祖先だ。
↓
だから、御祭神を変えました、と。
ん〜……。
「高座結御子神社」の御祭神が「仲哀天皇」だったのは、「熱田神宮」の御祭神が「日本武尊」だったからなんですが。
しかし、「熱田神宮」の主な御祭神が、実際には何だったのかわからないのです。
起源は、「宮簀媛命」が、「草薙剣」をお祀りしたことから始まっているわけですが。
そして、それが「日本武尊」の「形代」だったのですが。
現に今でも、「熱田大神」は「天照大神」と同じだ、ということにもなっています。
すると、「高座結御子神社」の御祭神は、「天照大神」の子供でなければならず、となると……あれ、そうすると、「高倉下命」であってもまずいですね。
うーん……いや、ともかくですね、「仲哀天皇」を御祭神とする、という話よりも前に、「高倉下命」を御祭神としており、それがいつの間にやら「仲哀天皇」になって、どこかのタイミング(恐らく明治になってしばらくしてからか、終戦の頃か)で元に戻した、ということではないかと思います。
すっきりしませんが。