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天気がいいので……というより、天気がいい日にしかぶらぶらしないので、基本的に残る写真は天気がいいのですが。
あまり行っていなかった地元をぶらっとしてみることに。
まずは、「蝮ヶ池八幡宮」。
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といっても、最初はちょいと離れたところにある、「龍神社」と「弁天社」です。
暗くて碑文が全然読めません……。
小さなお宮っぽいものがあるんですが、亀でも遊ばせていたんでしょうか。
由緒書によれば、
「地下鉄池下駅から東方にかけて、蝮ヶ池という大池がありました。大正十年(1921)に千種耕地整理組合が発足し、翌年からの工事で池がなくなりました。
この埋め立て工事中、交通局職員・関係工事者の事故が相つぎ、工事責任者の矢口眞之助氏が、三日三晩うなされ続く等の事があり水の神である龍神様(池主大神)を現在池の底だった一角に祭ったと伝ります。併せ水に縁のある辯天社(市杵島姫命)が合祀されたのです」
とあります。
ほぼ百年前のことですが、大抵、こういうところで大きな工事をしようと思うと、日本では、
祟り
が起きます。
ま、そもそも、
大きな工事
なんで、事故はつきものですし、それで工事が遅延すれば、責任者がストレスでうなされるくらいのことはあるでしょう。
それを日本は、
神様のせい(おかげ)
にすることで、いろいろなことをくぐり抜けてきたのです。
有り難い話です。
神様のせい(おかげ)にすると、謙虚な気持ちになって、工事も慎重になるでしょうし、責任者の心的負担も軽減されるでしょう。
偽薬(プラシーボ)効果みたいなもんです。
鰯の頭も信心から
なんてことわざもあるくらいですから。
こういったものを、迷信と切り捨てるのは簡単ですが、物事はいつでも両面性のあるものですから。
工事がうまくいったなら、それでいいじゃないですか、と思ったりもします。
さて、「蝮ヶ池八幡宮」ですが。
ちょっと小高い山にくっついて建てられているので、高台と低地、両方に入り口があります。
高台側から下りていきます。
を、何だか思っているより全然立派な建物です。
瓦葺きなのが「惜しい」ですが(?)。
……読めそうで読めない。
由緒書によれば、
「第百九代明正天皇の御代 兼松源蔵(千種区西部、かつての「古井村(こいむら)」辺りの土地を開墾した「名古屋新田」の北方を納めた人物)が石清水八幡宮の分霊を勧請し、当初自邸に近い西八幡社(※飛地境内社の「蝮ヶ池西八幡社」のこと)の地に祭ったのがその始まりと伝えられます。後に現在地に社殿を造営し、名古屋新田の人たちの鎮守としました。
明治四十年(1907)村社に列格し、昭和十五年(1940)ごろ、境内を東へ拡張するなどの改修工事が行なわれました。しかし昭和二十年六月二十六日の空襲で社殿を焼失しました。昭和二十六年十月二十一日、氏子崇敬者の総意により神殿が落成し、盛大な遷座祭が行なわれました。(後略)」
とあります。
戦後に再建されたのであれば、瓦葺きでも致し方ありますまい。
神楽殿。
「村社 八幡社」の碑。
往時は、単に「八幡社」だったんでしょう。
「蝮ヶ池」がまだあったころには、あえてその名を頭につけることなくとも、村の人にとって、「八幡様」といえば、ここのことだったんでしょうなぁ……違うかも。
昔の鳥居でしょうか。
境内末社には、「秋葉社」、「須佐之男社」、「洲原社」が鎮座まします。
前々回の神宮遷宮(昭和四十八年)の際、古殿社を御下賜され、これら三社を創建した、と書かれています。
「津島神社洲原大社秋葉神社」と書かれていますので、「須佐之男社」のイメージは「牛頭天王社」ということになります。
「鎮霊社」。
氏子の戦没者と、千種警察署殉職者慰霊の祠、ということです。
そうか……殉職者も神と祭ることがあるんですねぇ……。
というわけで、低地側の参道入り口にて参拝終了。
「蝮ヶ池」という素敵なネーミングですが、
「蝮ヶ池は万治年間(1658-1680)この地を開拓した人達によって築造された池と伝えられます」
とあるように、新田開墾に伴って造築された、一種のため池だったようです。
「当時はこの池に夏ともなると、蝮がかなり群がっていたので、その名がつけられたといいます。又末盛の真西にあたるので、「眞西が池」がなまって、其の名が起きたともいわれています」
「晴明神社」も、蝮に由来していました。
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よほど蝮が多かったんでしょうねぇ……。
「まむし」って、「真虫」か、「魔虫」か、どちらかだと思います。
「蛇」が「虫扁」なのは、大陸の影響ではありますが、虫の仲間だと考えられていたからで。
列島には大型の蛇はいませんが、毒ではピカイチの奴らがいましたので、
「真の虫=まむし」と読んだのでしょうか?(疑問文?)
地元にありながら、手慰みに見ていたグーグルマップでたまたま発見した、という体たらくで、お詫びの意味も込めて足を運びました。
もうちょっと、地域の歴史とかをちゃんと教えてほしいものです……。
あ、学区が違うわ。
つーか、地元っても、中学からだしな。
名古屋市提供「史跡散策路」にも取り上げられていますので、是非ともご参考に〜。
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本当は御朱印がいただけたのかもしれないのですが、神職さんに連絡が必要のようだったので、お参りだけにしておきました。