べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「蝮ヶ池八幡宮」

2/16。

 

天気がいいので……というより、天気がいい日にしかぶらぶらしないので、基本的に残る写真は天気がいいのですが。

あまり行っていなかった地元をぶらっとしてみることに。

まずは、「蝮ヶ池八幡宮

 

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高見学区の名所

 

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といっても、最初はちょいと離れたところにある、「龍神社」と「弁天社」です。

 

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暗くて碑文が全然読めません……。

 

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小さなお宮っぽいものがあるんですが、亀でも遊ばせていたんでしょうか。

 

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由緒書によれば、

 

「地下鉄池下駅から東方にかけて、蝮ヶ池という大池がありました。大正十年(1921)に千種耕地整理組合が発足し、翌年からの工事で池がなくなりました。

この埋め立て工事中、交通局職員・関係工事者の事故が相つぎ、工事責任者の矢口眞之助氏が、三日三晩うなされ続く等の事があり水の神である龍神様(池主大神)を現在池の底だった一角に祭ったと伝ります。併せ水に縁のある辯天社(市杵島姫命)が合祀されたのです」

 

とあります。

ほぼ百年前のことですが、大抵、こういうところで大きな工事をしようと思うと、日本では、

 

祟り

 

が起きます。

ま、そもそも、

 

大きな工事

 

なんで、事故はつきものですし、それで工事が遅延すれば、責任者がストレスでうなされるくらいのことはあるでしょう。

それを日本は、

 

神様のせい(おかげ)

 

にすることで、いろいろなことをくぐり抜けてきたのです。

有り難い話です。

神様のせい(おかげ)にすると、謙虚な気持ちになって、工事も慎重になるでしょうし、責任者の心的負担も軽減されるでしょう。

偽薬(プラシーボ)効果みたいなもんです。

 

鰯の頭も信心から

 

なんてことわざもあるくらいですから。

こういったものを、迷信と切り捨てるのは簡単ですが、物事はいつでも両面性のあるものですから。

工事がうまくいったなら、それでいいじゃないですか、と思ったりもします。

さて、「蝮ヶ池八幡宮」ですが。

ちょっと小高い山にくっついて建てられているので、高台と低地、両方に入り口があります。

 

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高台側から下りていきます。

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を、何だか思っているより全然立派な建物です。

瓦葺きなのが「惜しい」ですが(?)。

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……読めそうで読めない。

祭神「第十五代應神天皇 御名 誉田別命です。

由緒書によれば、

 

「第百九代明正天皇の御代 兼松源蔵千種区西部、かつての「古井村(こいむら)」辺りの土地を開墾した「名古屋新田」の北方を納めた人物)石清水八幡宮の分霊を勧請し、当初自邸に近い西八幡社(※飛地境内社の「蝮ヶ池西八幡社」のこと)の地に祭ったのがその始まりと伝えられます。後に現在地に社殿を造営し、名古屋新田の人たちの鎮守としました。

明治四十年(1907)村社に列格し、昭和十五年(1940)ごろ、境内を東へ拡張するなどの改修工事が行なわれました。しかし昭和二十年六月二十六日の空襲で社殿を焼失しました。昭和二十六年十月二十一日、氏子崇敬者の総意により神殿が落成し、盛大な遷座祭が行なわれました。(後略)」

 

とあります。

戦後に再建されたのであれば、瓦葺きでも致し方ありますまい。

 

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神楽殿。

 

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「村社 八幡社」の碑。

往時は、単に「八幡社」だったんでしょう。

「蝮ヶ池」がまだあったころには、あえてその名を頭につけることなくとも、村の人にとって、「八幡様」といえば、ここのことだったんでしょうなぁ……違うかも。

 

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昔の鳥居でしょうか。

 

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境内末社には、「秋葉社」、「須佐之男社」、「洲原社」が鎮座まします。

 

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前々回の神宮遷宮(昭和四十八年)の際、古殿社を御下賜され、これら三社を創建した、と書かれています。

「津島神社洲原大社秋葉神社」と書かれていますので、「須佐之男社」のイメージは「牛頭天王社」ということになります。

 

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鎮霊社」。

氏子の戦没者と、千種警察署殉職者慰霊の祠、ということです。

そうか……殉職者も神と祭ることがあるんですねぇ……。

 

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というわけで、低地側の参道入り口にて参拝終了。

「蝮ヶ池」という素敵なネーミングですが、

 

「蝮ヶ池は万治年間(1658-1680)この地を開拓した人達によって築造された池と伝えられます」

 

とあるように、新田開墾に伴って造築された、一種のため池だったようです。

 

「当時はこの池に夏ともなると、蝮がかなり群がっていたので、その名がつけられたといいます。又末盛の真西にあたるので、「眞西が池」がなまって、其の名が起きたともいわれています」

 

晴明神社」も、蝮に由来していました。

 

◯こちら====>>>

晴明神社 - べにーのGinger Booker Club

 

よほど蝮が多かったんでしょうねぇ……。

「まむし」って、「真虫」か、「魔虫」か、どちらかだと思います。

「蛇」が「虫扁」なのは、大陸の影響ではありますが、虫の仲間だと考えられていたからで。

列島には大型の蛇はいませんが、毒ではピカイチの奴らがいましたので、

 

「真の虫=まむし」と読んだのでしょうか?(疑問文?)

 

地元にありながら、手慰みに見ていたグーグルマップでたまたま発見した、という体たらくで、お詫びの意味も込めて足を運びました。

もうちょっと、地域の歴史とかをちゃんと教えてほしいものです……。

 

 

 

 

あ、学区が違うわ。

 

 

 

 

つーか、地元っても、中学からだしな。

 

 

名古屋市提供「史跡散策路」にも取り上げられていますので、是非ともご参考に〜。

 

◯こちら===>>>

名古屋市:千種公園とみずのみちめぐり(千種区)

 

 

本当は御朱印がいただけたのかもしれないのですが、神職さんに連絡が必要のようだったので、お参りだけにしておきました。