べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「築土神社」〜「筑土八幡」

12/28。

心無しか、東京の街も静かでした。

とはいえ、ある地域では萌え上がったりしているのかもしれませんが。

というわけで、「神田明神」にお参りし、湯島聖堂やらニコライ堂はスルーしまして、次に向かったのは。

築土神社

 

◯こちら===>>>

築土神社/平将門を祭る武道の神様

 

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千代田区九段北にありまして。

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……読みづらい……。

何考えて、こんな案内板建てるんですかね。

読む人間のことを考えているのかいないのか。

ぷりぷりしながら、坂を上っていき……。

 

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……通り過ぎそうになりましたよ。

近代的というか。

 

えらいシュールな絵に見えますな。

 

あれか、ブラジリアの大聖堂を見たような気分でしょうか(見たことないですが)。

まぁ、古ければいい、というものでもないので。

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おそるおそる入ってみると。

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吹き抜けになった境内に、こんな感じの社殿が。

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実は、裏にも回ることができます(というか、敷地内を通り抜けられます)。

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春日造風、ですね……。

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摂社に「世継稲荷」があります。

子宝に恵まれるんでしょうかね。

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小さなお社も。

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総理大臣鳩山一郎

はっきりと読めませんが……。

神社HPによると、「昭和20年、東京大空襲により世継稲荷の社殿が全焼。そのときの宮司である山本氏が、炎の中に飛び込んで焼死。ご神体を胸に抱いていた。1955年、山本氏没後十年祭の折り、当時の総理大臣鳩山一郎氏の協賛で、慰霊碑が建てられた」そうです。

空襲を受けたところでは、そんなことがたくさんあったのでしょう。

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狛犬」は、千代田区の文化財に指定されているようです。

 

「(略)社殿によれば築土神社は、天慶三年(940)平将門の靈を武蔵国豊島郡上平川に祀り津久戸明神と称したことにはじまり、その後飯田町に近い田安に鎮座して田安明神と称しました。元和に年(1616)には牛込門外の築土山(現新宿区築土八幡町二番地)に遷座して築土神社と改称しましたが、以来昭和初期まで牛込に鎮座し続けました。しかし昭和二十年(1945)空襲で社殿などを悉く消失し、二十九年には九段中坂の世継稲荷神社境内、すなわち田安明神の旧地に近い現在地に遷座しました。(略)」

 

とのことです。

祭神は「瓊瓊杵命」「平将門公」「菅原道真公」。

平将門公」は、ご存知の通り「朝敵」の代表格みたいなものだと考えられることが多かったので、ご一新後に御祭神として掲げているのはいささか都合が悪かったようで、「瓊瓊杵命」を主祭神にした模様。

まぁ、歴史上新皇を名乗っちゃったのは、一人だけですからね。

 

さて、次に行ったのは「筑土八幡神社

 

◯こちら===>>>

筑土八幡神社|東京 神楽坂 ガイド

 

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細い階段を上った先にあります。

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「昔、嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に武蔵国豊嶋郡牛込の里に大変熱心に八幡神を信仰する翁がいた。ある時、翁の夢の中に神霊が現われて、「われ、汝が信心に感じ跡をたれん。」と言われたので、翁は不思議に思って、目をさますとすぐに身を清めて拝もうと井戸のそばへ行ったところ、かたわらの一本の松の木の上に細長い旗のような美しい雲がたなびいて、雲の中から白鳩が現われて松の梢にとまった。翁はこのことを里人に語り神霊の現われたもうたことを知り、すぐに注連縄をゆいまわして、その松を祀った。

その後、伝教大師がこの地を訪れた時、この由を聞いて、神像を彫刻して祠に祀った。その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名付けた。

さらにその後、文明年間(今から約五百年前)に江戸の開拓にあたった上杉朝興が社壇を修飾して、この地の産土神とし、また江戸鎮護の神と仰いだ。(以下略)」

 

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当たり前ですが、御祭神は「応神天皇」、それに御両親の「神功皇后」「仲哀天皇」。

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境内に宮比神社」があるらしく、御祭神は「宮比神(みやびのかみ)」。

大宮売命(おおみやのめのみこと)」、「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」ともいわれているそうです。

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「江戸名所図会」より。

よく見えませんが、上の方の社殿が「筑土八幡」、下が「津久戸明神」。

今の「築土神社」と並んでいた頃のものです。

なお、「江戸名所図会」、今は便利な「国会図書館デジタルコンテンツ」で見ることができます(第二巻・コマ番号263-265)。

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階段を見下ろすとこんな感じ。

案外と、小高いです。

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御本殿。

小さくても八幡造。

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宮比神社」。

ひっそりと。

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庚申塔」。

あ、左下のは、iPhoneのレンズカバーが写っちゃっただけなのでお気になさらず。

よく見えませんが、↑で紹介したHPにははっきりした写真があります。

上部に日月が彫られており、また雌雄一対の猿が、それぞれに桃を手にしようとする構図が描かれています。

猿が桃、ということは『桃太郎』なのか、それとも『西遊記』なのか。

いずれにしろ、なかなか珍しい構図のようです。

どうしてこんな構図にしたんでしょうね……。

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「白鷹」なるお酒の紹介。

 

「筑土八幡」に来たのは午後二時頃、日も傾きかけていたのですが、冬の凛とした冷気の中で、容赦のない陽の光が眩しい、なかなかいい時間でした。

喧噪から外れて、静かでしたし。

そもそも、年の瀬だし。

多分、神社関係者の方々にしてみれば、

 

 

新年の準備で忙しいからうろちょろすんな

 

 

と思われたことでしょう。

さもありなん。

 

というわけで、もうちょっと続きます「平将門公」縁の場所巡りツア〜。

 

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あ、「筑土八幡神社」の御朱印はいただけたのかどうなのか……何しろ年の瀬で、お忙しそうだったので。