べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「神田明神」

「伊勢妄想」は少しおいておきまして。

12/28。

年の瀬も押し迫って、よんどころない事情がありまして上京。

本当は、安房国一宮に行ってみたかったのですが、遠い。

よって、都内を巡ることにしました。

神田明神からスタート。

 

◯こちら===>>>

神田明神|東京都千代田区外神田2-16-2

 

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これは、秋葉原方面からの登り口。

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とりあえず正面の楼門に廻ります。

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いやいや、豪勢です。

こちらの楼門、というか「随神門」は昭和51年の建立です。

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神田神社御由緒

祭神

一の宮 大己貴命(だいこく様)

二の宮 少彦名命(えびす様)

三の宮 平将門命(まさかど様)

 

正式名称・神田神社。東京都心108町会の総氏神様で、神田・日本橋秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地氏神様として、青果市場・魚市場の人々からもあつく崇敬されています。(略)

当社は、天平二年(730)のご創建で、江戸東京の中で最も歴史ある神社のひとつです。はじめは現在の千代田区大手町・将門塚周辺に鎮座していましたが、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城が拡張された時、江戸城から表鬼門にあたる現在の地へ遷座いたしました。それ以降、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府から江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。さらに、明治に入り、准勅祭社・東京府社に列格し皇居・東京の守護神と仰がれ、明治天皇も親しくご参拝になられました。(以下略)」

 

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社殿は文化財登録されておりますが、なんと「鉄骨鉄筋コンクリート」で、東京大空襲にも耐えた、という。

 

将門恐るべし。

 

いや、日本の技術か……。

 

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緑青の屋根や権現造に朱塗りが鮮やかで、絢爛という言葉がぴったり。

狛犬も、なかなか力強い造形です。

さて、ひとまずお参りをしまして、ここから、社殿の左脇を通って、ぐるりと廻ります。

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「魚河岸水神社(うおがしすいじんじゃ)

祭神 弥都波能売命(みづはのめのみこと)

 

日本橋魚河岸水神社は、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願する為、魚河岸の先人により武蔵国豊嶋郡柴崎村神田神社境内(今の千代田区大手町)に鎮座された。

元和連関(1615〜)神田神社と共に此の地に遷り、大市場交易神と称されその後、水神社と改称し更に明治二十四年(1891)魚河岸水神社と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されている。なお、日本橋より築地に移った築地中央卸売市場内には、当社の遥拝所が建てられ、市場に関わる人々の篤い信仰により支えられている。(以下略)」

 

祭神「弥都波能売命」となっていますが、元々が「大市場交易神」を祀る神社だったはずなので、後から乗っけられたんじゃないかと思います。

大漁祈願で、基本的には淡水の神様である「弥都波能売命」を祀る、というのもちょっとなぁ……という感じですし。

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「桶工水溜講」と彫られた碑があります。

裏面まで読んでませんが、多分、「桶工」さん達の同業者組合的なものだったのではないかと。

年の瀬、午前中、表の社殿はすでに賑わっておりましたが、裏までくる観光客さんはそれほどおらず、静かなものです。

しかし、こちらにも参拝されている方がいらっしゃいました。

日本人が無宗教、というのが……どうにも信じられなくなりますな……。

 

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「小舟町八雲神社

祭神 建速須佐之男命

 

この神社は江戸城吹上御苑より神田神社と共にこの地に遷座された。小舟町(貞享年間(1684〜)までは小伝馬町)お仮屋を有し神輿が渡御されたことから小舟町の天王と称された。(以下略)」

 

というわけで、本来は「牛頭天王」を祀った神社ということですな。

「八坂神社」ではなく「八雲神社」にしたところに、若干のセンスを感じます。

 

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天水桶の紹介。

昔の雨水タンクですな。

火事の多い江戸の町には、なくてはならないものだった、のでしょうか。

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天水桶、というよりその奥の垣が、波の模様。

 

 

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「大伝馬町八雲神社

祭神 建速須佐之男命

 

この神社は江戸時代以前に祀られていたと伝えられる。三天王の二の宮の天王祭は、六月五日明神境内を発輿し、氏子中を神幸し大伝馬町の御仮屋へ渡御して八日に遷輿していた。このことから大伝馬町天王と称されていた。(以下略)」

 

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またしても天水桶。

こちらを読むと、当社がもともと「祇園牛頭天王社」と呼ばれていたことがわかります。

そして、「当地に祀られていた地主神でした」とあります。

 

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力石と句碑。

 

 

 

 

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「角田竹冷の句碑

 

白うおや はばかりながら 江戸の水」

 

そんな人、寡聞にして知りませんでした。

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「江戸神社

祭神 建速須佐之男命

大寶二年(702)武蔵国豊嶋郡江戸の地(今の皇居の内)に創建された大江戸最古の地主の神であります。古くは江戸大明神あるいは江戸の天王と称された。

鎌倉時代には、江戸氏の氏神として崇敬され、その後江戸氏が多摩郡喜多見村に移住の後、太田道灌築城してより、上杉氏・北条氏等引き続き城地に祀ったが慶長八年(1603)江戸城の拡張により、神田神社と共に神田台に遷り、更に元和二年(1616)に当地に遷座された。(以下略)」

 

江戸の人、牛頭天王がお好きなんですね。

あるいは、よほど疫病が多かったのか。

とはいえ、「牛頭天王社」は、実に日本中に無数にありましたので(今、「須佐之男命」を御祭神としている神社は、昔は「天王社」だったと疑ってもいいと思います)、まぁ珍しくはないかな。

こちらの神社が珍しいのは、新しく作られているのですが、

 

御神輿が、御神座として祀られている

 

ことです。

普通、神輿というのは、お祭りのとき以外は「神輿殿」なんかにしまわれているものですが。

いっそ、それを神の座として拝んでしまおう、というこの発想。

 

お祭りの有り難さが台なしですが。

 

まぁ、さもありなんでしょうか。

「秘してこそ花」では、客は呼べないのかもしれません。

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「浦安稲荷神社」。

明治維新及びその後の戦火災に依り復興できぬ内神田稲荷社五社を合祀して今日に至っている」

とありますが、「その後の戦火災」ってのは、「戊辰戦争」ですかね?

 

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「鳳輦神輿奉安庫」。

全体が撮影できなかったのですが、まぁ普通、神輿はこういったところにしまわれております。

横書きが左→右なので、新しいものですな。

 

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三宿稲荷神社」と「金刀比羅神社」。

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「水盤」。

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「末広稲荷神社」。

さすが江戸、

 

稲荷ばっかりだな。

 

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「籠祖神社御縁起

祭神 猨田彦大神 塩土翁神

猨田彦大神は天孫ににぎの尊降臨の時日向の高千穂の峰に御先導申し上げた神で営業の方向や土地の方位等に霊験あらたかな神として崇められて居ります。

塩土翁神は竹工の神又船の神として古事記に、山幸彦(火遠理命)が兄海彦(火照命)から借りた釣針を失いお困りの時無間勝間の小舟(すき間なく編んだ竹籠の舟)を造り与え海神の宮に渡り給えと教えられた神で器物を産み造る始祖として古くから崇め祀られて居ります。

籠祖神社は古く寛政七卯年五月亀井組(現小伝馬町)の籠職及びつづら職の人々斯業の祖神として神田明神境内に鎮座されたのが始まりで商売繁昌招福開運の御利益を願い祖神講を設けて今日迄百六十六年の間絶ゆる事なく毎年十一月五日に盛大な御祭祀を致して居ります。

籠工商祖神講

 

昭和五十六年十一月吉日」

 

神社の場合、その由来は「由緒」というのですが、こちらでは「縁起」となっていますね。

「縁」という発想は、仏教が持ち込まれてからのものですので(原始信仰には、もちろんですが似たようなものがあったでしょうけれども)、神仏を区別しようとする人達にとっては、神社が「縁起」では都合が悪いのですね。

 

まぁ、そんなめくじら立てんでも。

 

「猨田彦大神」と「塩土翁神」を一緒に祀る神社はなかなか少ないのではないでしょうか。

記紀神話を見ていただくと、嚮導の神として、似たような役割を果たしていることがわかります。

この辺りの話は、関裕二氏が得意なので、興味のある方は読んでくださいね〜。

 

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戦災などで社殿を失った「籠祖神社、八幡神社、富士神社、天神社、大鳥神社天祖神社諏訪神社」を合祀しております。

「天神社」に、菅原道真公と一緒に柿本人麻呂を祀っているのも珍しいかと(比較的、近代の話のようですが)。

 

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こちらは「祖霊社」。

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うーん、反射で読みづらいですが、国学がどうしたこうしたと書かれています。

 

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銭形平次」と「がらっ八」の碑。

当たり前ですが、

 

 

銭形平次』はフィクションです。

 

 

しかし、碑が経つくらいです、とても愛された証拠だと思います。

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「石獅子」は、「獅子が我が子を千尋の谷に落とす」という、アレを立体で再現したもののようです。

 

……こんな山にいるんだから、普通のライオンではないんでしょうねぇ。

中国の奥地にしかいない獅子というライオンではないもののことを指しているのだと思います。

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表の参道から。

12/28で、既に初詣の準備。

いや、込み合うんでしょうなぁ……。

 

さて、神社でいただける由緒書によれば、

 

「延慶二年(1309)に平将門公をご祭神としてお祭りしました」

 

とあります。現在の将門の首塚付近に鎮座していたのは確かなようですが、平将門公が死んだのは天慶三年(940)ですから、そもそもの御祭神が何だったのか……。

社伝通り、「大己貴命」と「少彦名命」だとすると、これらの神と平将門公の関係はいかに、というところですな。

で、平将門公の死後300年近く経ってから御祭神としたのはなんででしょうね……。

ま、詳しくはwikipediaを見ていただくとしまして。

徳川家康が、江戸の鬼門に神田明神を遷したのは、他に置くところがなかったからじゃないですかね。

ほら、征夷大将軍ですから。

源氏の棟梁ですから。

平家は鬼門に置くくらいしかないでしょう。

 

 

 

 

 

 

な〜んてね。

 

 

というわけで、今回の年の瀬東京放浪の旅は「将門公縁の神社巡り」に決定〜。

 

 

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