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神社仏閣ラブ(弛め)

伊勢妄想4

さてさてさて。

 

QED 伊勢の曙光 (講談社ノベルス)

QED 伊勢の曙光 (講談社ノベルス)

 

 

神宮を巡る妄想はいくつか浮かんでいるのですが、『QED 伊勢の曙光』を読んでいただくと、なるほど納得、な結論を得るものもあり、得ないものもあり。

で、今回の妄想は、前々回の記事で書いた、『QED 伊勢の曙光』にある神宮30の謎にはないものを。

 

(?)外宮の神は、太陽神か?

 

外宮に祭られている「豊受大神」は、丹波の国からやってきたそうです。

といっても、それは外宮の神官等がまとめた『斗由気宮儀式帳』が最初のようです。

丹波国風土記」が残っていないので……と思っていると、「丹後国風土記逸文」にですね、

 

「豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)」

 

についてのものが残っているのでした。

作為っ的〜ですらありますな……。

ともかく「丹後国風土記逸文」の「奈具の社」を要約すると、

 

「丹後の国丹波(たには)の郡の西北、比治山の頂上に「真奈井」という井戸がある(今は沼になっている)。そこに天女が八人降りてきて水浴びをしていた。ある老夫婦が、天女の衣を一つ隠してしまった。一人の天女だけが天に帰れなかった。老人は「私には子どもがいないので、子どもになってくれ」と言った。天女は拒んだが、衣をとられているので子どもになることにした(ちなみに、衣は返されている)。約束を守って、天女は老夫婦の子どもとして十年あまりを過ごした。天女の作る酒は大変なもので、老夫婦の家は富んだ。すると、老夫婦は「お前は私達の子どもではないので出ていけ」と追い出した。天女は、荒塩の村、哭木の村、そして竹野の郡・舟木の里・奈具の村へと到り、「ここに来て私の心は奈具志久(なぐしく/平穏に)なった」といって、住んだ。これが、豊宇賀能売命である

 

という内容です。

 

 

爺いと婆あ、ひどいな。

 

 

これがお伽噺なら、明らかに老夫婦には罰が当たるのですが、そこまで書かれていないとなると、天女はいいように使われただけ、ってことになります。

ま、その話はともかく。

どうやら、ここから「豊受大神」を引っ張ってきたのではないか、と思われます。

あんまり太陽神の要素がないですよねぇ……。

ところがですね、これが一発で疑いもなく、「恐らく太陽神だろう」と思われる証拠があったりします。

 

まず、内宮に祭られているのは、とりあえず「天照大神」だということにしておいてください。

太陽神です。

そして、その別宮として、「月讀宮」に「月讀尊」が祭られています。

「大神宮儀式帳」(延暦二十三年(806)提出)によると、「月讀宮一院、正殿四区」と記されているそうです(「月讀宮以下四別宮参拝のしおり」より)。

宮号がかなり古くからあった、ということは重要視されていたということになります。

 

一方の外宮ですが、別宮には「月夜見宮」に「月夜見宮」が祭られています。

元々は摂社首位だったそうですが、承元四年(1210)に、別宮に昇格した、とのことです(「月夜見宮参拝のしおり」より)。

摂社の中でも首位だったので、やはりこちらも重要だったのでしょう。

 

内宮(太陽神):別宮「月讀宮

外宮( ? ):別宮「月夜見宮

 

「太陽と月」のセットですよ?

天照大神」と「月讀尊」は姉弟ですから、内宮の別宮に祭られていても不思議ではないでしょう。

で、外宮に太陽神がいないのなら、何でわざわざ、弟神でもない「月夜見尊」をお祀りせにゃならんのです?

 

 

どう考えたって、外宮にも太陽神が祭られていないとおかしいでしょう?

 

 

 

以上で証明終了(QED)です。

 

 

 

ただまぁ、外宮のどの神が太陽神なのか、ということはわかりませんけれどもね……。

というわけで、妄想「別宮」編はここまで〜。

 

風土記 (平凡社ライブラリー)

風土記 (平凡社ライブラリー)