さてさてさて。
神宮を巡る妄想はいくつか浮かんでいるのですが、『QED 伊勢の曙光』を読んでいただくと、なるほど納得、な結論を得るものもあり、得ないものもあり。
で、今回の妄想は、前々回の記事で書いた、『QED 伊勢の曙光』にある神宮30の謎にはないものを。
(?)外宮の神は、太陽神か?
外宮に祭られている「豊受大神」は、丹波の国からやってきたそうです。
といっても、それは外宮の神官等がまとめた『斗由気宮儀式帳』が最初のようです。
「丹波国風土記」が残っていないので……と思っていると、「丹後国風土記逸文」にですね、
「豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)」
についてのものが残っているのでした。
作為っ的〜ですらありますな……。
「丹後の国丹波(たには)の郡の西北、比治山の頂上に「真奈井」という井戸がある(今は沼になっている)。そこに天女が八人降りてきて水浴びをしていた。ある老夫婦が、天女の衣を一つ隠してしまった。一人の天女だけが天に帰れなかった。老人は「私には子どもがいないので、子どもになってくれ」と言った。天女は拒んだが、衣をとられているので子どもになることにした(ちなみに、衣は返されている)。約束を守って、天女は老夫婦の子どもとして十年あまりを過ごした。天女の作る酒は大変なもので、老夫婦の家は富んだ。すると、老夫婦は「お前は私達の子どもではないので出ていけ」と追い出した。天女は、荒塩の村、哭木の村、そして竹野の郡・舟木の里・奈具の村へと到り、「ここに来て私の心は奈具志久(なぐしく/平穏に)なった」といって、住んだ。これが、豊宇賀能売命である」
という内容です。
爺いと婆あ、ひどいな。
これがお伽噺なら、明らかに老夫婦には罰が当たるのですが、そこまで書かれていないとなると、天女はいいように使われただけ、ってことになります。
ま、その話はともかく。
どうやら、ここから「豊受大神」を引っ張ってきたのではないか、と思われます。
あんまり太陽神の要素がないですよねぇ……。
ところがですね、これが一発で疑いもなく、「恐らく太陽神だろう」と思われる証拠があったりします。
まず、内宮に祭られているのは、とりあえず「天照大神」だということにしておいてください。
太陽神です。
そして、その別宮として、「月讀宮」に「月讀尊」が祭られています。
「大神宮儀式帳」(延暦二十三年(806)提出)によると、「月讀宮一院、正殿四区」と記されているそうです(「月讀宮以下四別宮参拝のしおり」より)。
宮号がかなり古くからあった、ということは重要視されていたということになります。
一方の外宮ですが、別宮には「月夜見宮」に「月夜見宮」が祭られています。
元々は摂社首位だったそうですが、承元四年(1210)に、別宮に昇格した、とのことです(「月夜見宮参拝のしおり」より)。
摂社の中でも首位だったので、やはりこちらも重要だったのでしょう。
内宮(太陽神):別宮「月讀宮」
外宮( ? ):別宮「月夜見宮」
「太陽と月」のセットですよ?
「天照大神」と「月讀尊」は姉弟ですから、内宮の別宮に祭られていても不思議ではないでしょう。
で、外宮に太陽神がいないのなら、何でわざわざ、弟神でもない「月夜見尊」をお祀りせにゃならんのです?
どう考えたって、外宮にも太陽神が祭られていないとおかしいでしょう?
以上で証明終了(QED)です。
ただまぁ、外宮のどの神が太陽神なのか、ということはわかりませんけれどもね……。
というわけで、妄想「別宮」編はここまで〜。