べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「倭姫宮」

12/11。

日も傾いてまいりまして、目標としていた最後の別宮を目指します。

倭姫宮

 

◯こちら===>>>

http://www.isejingu.or.jp/naiku_7.html

 

「内宮」と「外宮」のちょうど真ん中辺り、すぐ近くには「皇学館大学」があります。

「内宮」方面から来た場合は、大鳥居をくぐって左折、そのまま奥まで進むと、大きな駐車場があります。

そこに駐車して、道々戻ります。

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こちらで御祀りされているのは、倭姫命(やまとひめのみこと)」です。

創立は大正12年(1923)といいますから、本当に最近です。

公式HPには、

 

「このように大きなご功績をお示しになられた命の御徳をお慕いして、大正の初年から神宮司庁と宇治山田市(現在の伊勢市)が命をまつるお宮の創立を請願してきましたが、大正10年1月4日、皇大神宮別宮として当宮のご創立が許可され、同12年11月5日にご鎮座祭が執り行われました。」

 

とあります。

「大きなご功績」とは何だったのか。

これもまぁ、遷宮ブームでやたらとテレビでもやっていましたから、今更な感じがありますが、要するに、「伊勢神宮はここに決め〜た」、という話を「天照大御神」から聞いて、そう定めた人、です。

 

古事記』では、崇神天皇記に、

 

「豊鉏比賣命は、伊勢の大神の宮を拜き祭りたまひき。」

 

垂仁天皇記に、

 

「倭比賣は、伊勢の大神の宮を拜き祭りたまひき。」

 

とあるだけです。

 

……なんでおんなじことが書いてあるんでしょ?

 

対して『日本書紀』では、まず「巻第五・崇神天皇紀」で、

 

「(在位)六年 それ以前に、天照大神と倭大国魂の二柱の神を、天皇の宮殿内に並べてお祭りしたが、そのあまりの神威を畏れて、一緒に住むのは安心できない。天照大神は、豊鍬入姫命に託し、倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀った。そして、堅固な石の神籬(ひもろぎ)を立てた」(※要約は筆者による)

 

とあり、ついで「巻第六・垂仁天皇紀」で、

 

「(在位)二十五年 天照大神を豊耜入姫命から離して、倭姫命に託す。大神の鎮座するところを求めて、菟田(うだ)の筱幡(ささはた)に行く。そこから近江国、東美濃を巡って、伊勢国に到る。天照大神倭姫命に、

 

『是の神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。是の国に居らむと欲ふ』

(この神風の吹く伊勢の国は、常世の浪がしきりに打ち寄せる国である。(政治の中心から見れば)わきにある、美しい国である。この国にいようと思う)

 

とおっしゃった。その言葉のままに、姫命は社を建てた。五十鈴の川上に斎宮(いはひのみや)を立て、これを磯宮(いそのみや)と読んだ。天照大神がはじめて天から下ったところである」(※要約は筆者による)

 

としています。

また、「一(ある)に云はく」(別の伝承によれば)として、

 

天皇倭姫命を御杖(神の憑代)として、天照大神に差し上げた。姫命は、磯城(しき)の厳橿(いつかし)の元に鎮め祀った。しかし後に、神の教える通りに、伊勢の国の渡遇宮(わたらいのみや)に遷し祀った」(※要約は筆者による)

 

とあります。

また『皇大神宮儀式帳』によれば、

 

(1)美和乃御諸宮

(2)宇太乃阿貴宮

(3)宇太乃佐々波多宮

(4)伊賀穴穂宮

(5)阿閉柘植宮

(6)淡海坂田宮

(7)美濃伊久良賀宮

(8)伊勢桑名野代宮

諸宮を経て

(9)伊須々乃川のほとりに大宮をさだめた

 

となっています。

で、これが『倭姫命世記』になると、

 

(1)美和の御室の宮(笠縫邑に比定/奈良県桜井市三輪字檜原/檜原神社)

(2)宇太の阿貴の宮(奈良県宇陀市大宇陀迫間/阿紀神社)

(3)宇太の佐々波多の宮(奈良県宇陀市榛原町山辺/篠畑神社)

(4)伊賀の穴穂の宮(三重県伊賀市上神戸/神戸神社)

(5)伊賀の阿閉柘植(あえつみえ)の宮(三重県伊賀市柘植町)

(6)淡海の坂田の宮(滋賀県米原市宇賀野/坂田神明宮)

(7)美濃の伊久良賀(いくらが)の宮(岐阜県瑞穂市居倉/天神神社)

(8)伊勢の桑名の野代の宮(三重県桑名市多度町下野代/野志里神社)

(9)伊勢の河曲の鈴鹿の小山の宮(三重県亀山市野村町/忍山神社)

(10)伊勢の壹志の藤方の片樋(かたひ)の宮(三重県津市藤方字森目/加良比乃神社)

(11)伊勢の飯野の高の宮(三重県松阪市山添町/神山神社)

(12)伊勢の多氣の佐々牟江の宮(三重県多気明和町山大淀/竹佐々夫江神社)

(13)伊勢の玉岐波流(たまきはる)の磯の宮(三重県伊勢市磯町字権現前/磯神社)

(14)伊勢の佐古久志呂宇治の家田の田上の宮(三重県伊勢市楠部町)

(15)伊須須の河上の大宮地(現在の「内宮」)

 

となっておりまして(『日本の神社/伊勢神宮(内宮)』より/神社名は、宮に比定されているところ)。

 

 

増やしたなぁ……。

 

 

いつの時代も、人間は牽強付会が好きなんですなぁ……。

 

 

ともかく、近江国から美濃を通って伊勢に入ったことは昔から語られているようです。

何も書いてませんが、一人だったわけではないでしょう(多分)。

で、さらに、「斎宮」にて初代「斎王」になられた、と。

「斎王」というのは、未婚の皇女・王女が神宮に奉仕するという制度で、600年くらいは続けられたそうです。

他にも、東国へ旅立つ甥の「日本武尊」に、「草薙剣(と火打石)」を手渡して、苦境を脱する術を与えていたり。

それなのに、ちゃんとお宮を建ててお祀りされていないなんて……ということでできた神社なんですねぇ「倭姫宮」。

 

 

どうせなら、歴代の「斎王」を一緒にお祀りした方がよかったんではないでしょうか?

 

 

御幸道路から一本入った中にあるため、凛とした静けさの中にたたずむ姿は、神と彷徨したたくましい姫神にぴったりに思えました。

 

 

具体的な御利益は何なんでしょうな……。

 

 

倭姫宮」の近くには、「神宮徴古館」「神宮農業館」「神宮美術館」といった、神宮にまつわる博物館もあります。

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これは「神宮徴古館」。

「西洋風にしちゃった」んですねぇ……まぁいいですけれど(当時が当時ですからね)。

拝観してきましたが……どこかからの観光客なのか、シルバーエイジの恰幅のいい紳士方が大挙として押し寄せて、しばらく出られなかったことしか覚えていません……。

なかなか興味深かったはずなんですが……。

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こちらは「神宮農業館」。

時間がないのでパスしました。

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「神宮美術館」も残念ながらパス……。

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紅葉と桜……桜?

そして、

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ここが噂の「皇学館大学」入り口です〜。

 

 

ふう……。

さて、大急ぎで巡った伊勢の旅、心残りも多いですが、遷宮の年に「出雲大社」と「伊勢神宮」に行けたことは、僥倖だったと言うべきでしょう。

伊勢なら、思い立ったら行ける距離だしな……またお参りにいくとしましょう。

とりあえずここまで〜。

 

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