12/11。
「内宮」の別宮を巡る、と前回書いておきながらの。
今回は「猿田彦神社」。
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裏手の駐車場から入りますと、本居宣長の顕彰碑が立っております。
「神世(かみよ)より神の御末(みすえ)と
つたへ来て名くはし宇
治の土公(つちぎみ)わがせ」
(「神代から 大神の末裔として 絶えることなく続く 名高き宇治土公家 私の大切な友よ」……公式HPより)
……この和歌、二行目と三行目の切り方、不自然じゃありません?
三行目にスペースが足りない陽にも思えませんし。
普通、バランスを考えたら、57577の区切りのいいところで切りそうなものなのに。
まさか、何か暗号でも?
という陰謀論をかき立てられるのは、私が高田崇史氏のファンだからです。
猿田彦大神は天孫瓊々杵命をこの国にご案内された後、伊勢の地を中心に国土の開拓・経営に尽くされた地主神と伝えられています。
また大神の御裔の大田命は、皇女倭姫命が神宮御鎮座の地を求めて巡歴されたときに五十鈴の川上の地を建て献り、伊勢の神宮が創建されました。当社はその直系の子孫が祖神を祀ってきた神社であります。
大神は全てのことに先駆け、人々を善い方に導き、世の中の行方を開く「みちひらき」の神として識られています。
その信仰は全国的な広がりをもち、方位除・災除・地鎮・事業繁栄・交通安全・開運などの御祈祷が連日行なわれています。
毎年五月五日に斎行される御田祭(県無形文化財)も古い伝統にもとづいています」
神社でいただける御由緒書には、
「大神と大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と云い伊勢神宮において玉串大内人(たまぐしおおうちんど)という特殊な職掌に任ぜられて代々奉仕して来ました。当社は大神の本拠地である伊勢の地で大神の末孫宇治土公(うじとこ)家が累代奉祀する、最も代表的な神社であり本社(もとつやしろ)であります。」
とあります。
「大内人」というのが、伊勢神宮などで供御(高貴な人の飲食物のこと)を司った職掌で、「玉串」は榊の枝に紙垂などをつけた、神前への捧げもの(玉串料、という言葉を、ある時期になるとテレビ等でよく見かけますね)。
ということで、「伊勢神宮で、玉串を捧げる役目」を持っていた宇治土公家は、神宮的にはかなり格の高い家柄、になるのでしょう。
もともと本殿のあった場所に、方位石が置かれています。
「方位除」がご神徳にあげられているので、こういったものを置かれたのでしょう。
勇壮な本殿は、妻入で、二重の破風が特徴的。
御由緒書によれば「さだひこ造り」とされています。
「方位除(八方除)の御神徳にちなみ、屋根の上の鰹木や鳥居を始め柱や欄干など八角形になっています。」
いつから、この独特な造りだったのか、ということが容易にはわからないのが消化不良。
しかも、何で「猿田彦造」ではなく、「さだひこ造」なのかの説明も特にありません。
「サルタヒコ」が「サダヒコ」という神と同一ではないか、という説はどこかで書きました。
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都波岐奈加等神社 - べにーのGinger Booker Club
また、
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↑とは、「サルタヒコ」信仰総本山の地位を争っているようです(いえ、実際に争っているわけではないでしょうが……)。
「椿」の神が実際に「サルタヒコ」だったのかどうか、今では知る由もありませんが、もしそうなら「猿田彦大神社」と名乗ってもいいはずです。
そうしなかったのは、「椿」の神は「椿」の神で、その土地において重要な神だったからなのでしょう。
それを「サルタヒコ」に仮託した、と。
あるいは、古代の時点で「サルタヒコ」の、元祖・本家争いに敗北していたのかもしれません。
「サルタヒコ」が元々どこの神だったのかははっきりしませんが、『古事記』では「阿邪訶(あざか/三重県の地名)に坐(ま)す」とあり、『日本書紀』の一書では「伊勢の狭長田(さなだ)の五十鈴の川上に到る」とあるので、今の伊勢近辺からやってきて、「天孫降臨」を先導をしたということだと思われます。
とにかく、三重県は、「サルタヒコ」と称されることになる神の勢力地だったわけです。
で、その場所を「倭姫命」は、「天照大御神」の鎮座地に選んだ、と。
これも前に書いたような気がしますが、「何故伊勢だったのか?」は、「元々、「サルタヒコ」という神がいた土地だったから」ではないでしょうか。
「サルタヒコ」(と呼ばれた神)は、太陽神ではなかったか、と思われます。
その容貌の描写に、「眼は八咫鏡の如く」と書かれるのですから、光を放つ神だったことは察せられます。
「サルタヒコ」に象徴される太陽信仰が盛んだったから、「天照大御神」を祀るのに相応しい地、と考えられたのではないでしょうか。
それどころか、「天照大御神」という神自体が、元来、記紀神話の言うような大和朝廷系の神だったわけではなく、「サルタヒコ」信仰をまるっとパクって、自分たちのものにした、という遠大な陰謀論も妄想できます。
1:九州から近畿にやってきた原始大和朝廷系の人達は、近畿とほど近い伊勢にいた「サルタヒコ」を信仰する人達を支配する(天孫降臨)。
2:ついでに、太陽信仰をいただいちゃう(記紀神話の原型を作成)。
3:その信仰を近畿に持ち込んで、他の地域の支配に有効的に利用する(特に、記紀神話で、出雲をぶっ叩くため)。
4:が、どっこい、伊勢の人達はそれでは納得ができないので、反乱を起こす(宮中で祟る「天照大御神」)。
5:しかたないので、太陽信仰を伊勢に戻す(倭姫命の巡歴)。
こう考えると、歴代天皇が「伊勢神宮」に参拝しなかったのもうなずける気がします。
そもそも、祖神じゃないから。
うーん、古代っていいなぁ。
妄想し放題だ。
さて。
境内には「佐瑠女神社」が祀られています。
◯こちら===>>>
http://www.sarutahikojinja.or.jp/about/keidai/#sarume
「天孫「ににぎの命」ご一行を待ち迎えられた猿田彦大神と最初に言葉をかわされたのが御祭神です。
天孫御一行を日向の高千穂峯に導かれた後、本来の地に戻られる大神様とともに伊勢においでになり、「さるめ」という姓をいただかれました。
「あまてらす大御神」が天岩戸に籠られて世の中が暗闇の様になったときに岩戸の前で舞踊をされて、元の明るさにもどる機会を作られた話は良く知られています。
そんな事から「芸能・鎮魂・縁結び」の祖神としてお祭りされて来ました。また、元気で明るく、おおらかな女性の神様として、自立し誇りをもって生きようとする人々にとって大切な存在でもあります。」
「アメノウズメ」も、記紀神話でかなり大きな役割を果たしているわりには、軽んじられている神様です。
大きな社はほとんどないし。
男尊女卑の時代が長かったから、という理由があるのかもしれませんが。
で。
先ほどの妄想に沿って考えますと、
1:九州から近畿にやってきた原始大和朝廷系の人達は、近畿とほど近い伊勢にいた「サルタヒコ」を信仰する人達を支配する(天孫降臨)。
↑この段階で、「アメノウズメ」は「サルタヒコ」の正体を看破します。
また、最初に言葉を交わした神でもあります。
今でいえば、「通訳」ですかね。
えっと……あれ、「通訳」ってことはですね、元々その土地の言葉に精通していないといけませんよね?
ということは元々、「アメノウズメ」は「サルタヒコ」を信仰する人達の側にいたのではないか、という仮説が浮かんできます。
つまり、「アメノウズメ」に代表される集団が、「サルタヒコ」信仰集団を裏切り、原始大和朝廷側についた。
「サルタヒコ」は、「アメノウズメ」に誘い出されて、勢力地を明け渡すことになる。
原始大和朝廷は、「アメノウズメ」に、「サルタヒコ」を居住地まで送り届けるように命じているのですが、多分そのときに「サルタヒコ」は殺されます。
『古事記』ではその後、「アメノウズメ」が、海の魚達を集めて、「お前等天孫様に従うだろうな?」と詰め寄ります。
ほとんどは「従う」と答えるのですが、海鼠(なまこ)だけが何も言いませんでした。
すると「アメノウズメ」は、海鼠の口を裂いてしまった。
なので、それから海鼠の口は裂けているのだそうです。
そして、島(志摩)の海産物を朝廷に貢進するのは、「アメノウズメ」の末裔である「猿女君(さるめのきみ)」の役割になった、ということです。
「サルタヒコ」信仰集団の中でも、朝廷に帰属することをよしとしなかった人達を、「アメノウズメ」が殺した、という意味にとれるわけですね。
「猿女君(さるめのきみ)」という名前も、「サルタヒコ」からとって名乗ったわけですが、「取った」んじゃなくて「奪った」んじゃないですかね。
で、
2:ついでに、太陽信仰をいただいちゃう(記紀神話の原型を作成)。
つまり「サルタヒコ」信仰集団が受け継いできた太陽信仰を、原始大和朝廷の神話に組み入れた。
当然その中には、「天岩戸神話」があるわけで。
功績を考えれば、「アメノウズメ」に大活躍の場面が与えられてしかるべきです。
いや、もともと「アメノウズメ」はシャーマン(巫女)ですから、「サルタヒコ」信仰集団の中でも巫女の役割を果たしていたはずです。
というわけで、かなりの勢力を誇ったはずの「アメノウズメ」集団ですが。
4:が、どっこい、伊勢の人達はそれでは納得ができないので、反乱を起こす(宮中で祟る「天照大御神」)。
↑これを抑えることができなかったのではないでしょうか。
だから、
5:しかたないので、太陽信仰を伊勢に戻す(倭姫命の巡歴)。
↑太陽神と一緒に、結局は伊勢に戻されちゃった。
そして、朝廷の中央からはその影響力が消えて行った。
……もう一度書きますが、
うーん、古代っていいなぁ。
妄想し放題だ。
証拠はないので、ただの妄想ですのよおほほ〜。
さて、次こそは別宮巡りへ〜。