さて。
徒然に妄想してみたいと思います。
この本の冒頭に、「温羅」の語源について、「ウラ」ではなく「ウンラ」と読むとすれば「ウンラは」、つまり「自分は」から来ているのではないか、と書かれています。
異国の鬼神である「温羅」が、(恐らく)吉備の言葉である「ウンラ」と自分のことを指したかどうかはよくわかりません。
本当に「温羅」が、朝鮮半島から渡ってきたのだとしたら、古代朝鮮語で「自分」を何と読んでいたか、から検討が可能だと思いますが、さてどうなんでしょう。
古代朝鮮語が失われている(らしい)ので、難しい問題です。
もう一つ、「温羅」を「艮御前」だとするならば、「うしとら」の「う」と「ら」をとって「温羅」となったのではないか、という説が紹介されています。
こじつけめいていますが。
補遺「吉備津神社」「吉備津彦神社」 - べにーのGinger Booker Club
前回の記事で紹介した『梁塵秘抄』の中で、「艮御前」は「恐ろしい神」であると書かれているそうです。
「艮」は鬼門ですから、「吉備津神社」の鬼門封じに用いられた「艮御前」はかなり強力な神だったのでしょう。
鬼門封じは「毒を以て毒を制す」パターンがあります。
そうだとすると、主祭神との関係性は「敵対」していたことになり、しかも苦戦してやっとこさ倒した相手で、死してなおその神威を恐れるほどの存在だと考えられます。
神話の世界の話なので、「吉備津彦命」が本当に天皇の皇子だったのかどうかはわかりませんが。
シンボリックなものと考えれば、朝廷勢力が吉備を支配下に置いたという事実はあっただろうと思われます(実際に支配軍が派遣されたのか、土地の有力者が恭順したのかはわかりません)。
ところで、記紀神話には、「吉備津彦による鬼神退治」は採用されておりません。
中央としては必要ない説話だったのでしょうが、『温羅伝説』で紹介されているそれぞれの話には地名起源説話的なものも多いので、ひょっとすると『風土記』に採録されている類いのものだったのかもしれません。
残念ながら、(「温羅」伝説の中心である)備中国の『風土記』は残っておりませんので、それも確認できません。
が、おそらくは、「吉備津彦」対「温羅」のような、「中央側」対「地元勢力」の争いがあったのでしょう。
「地元勢力」が、異国からきた鬼神とされているのは、そうじゃないと大義名分が立たないので、変換されているだけでしょう。
・「地元勢力」が侵略してきた「中央側」に抵抗した
では印象が悪いので、
・異国からきた鬼神が暴威をふるっている→だから退治されてもいいのだ
と置き換えた、と。
『梁塵秘抄』を明らかに参考にしたと思われる『備中国大吉備津宮略記』で、「地元勢力」の首魁をはじめて「温羅」と名付けています。
正確には、文献的に初出なだけなので、実際にいつの頃からそう呼ばれていたのかは不明です。
この二つの文献に共通する名前として、「ヤメマロ」、「片岡のタケル」、「中田のフルナ」、「イヌカイタケル」があります(手元に『梁塵秘抄』がないので、それ以上参照できません)。
「吉備津彦」の従者として、それぞれ何らかの役割を果たしたのでしょう。
このうち、「イヌカイタケル」が、後の『桃太郎』の「犬」になったのではないかと考えられています。
また、伝承に共通なものとして、「温羅」は最初「雉」に変身します。
ここから『桃太郎』の「雉」がとられたんだと思うんですが……普通に考えれば、「吉備津彦」が化けた「鷹」になりそうなものを、どうしてまた「雉」にしたんでしょうか。
そして、「猿」が出てきませんね……うーん。
「ササモリヒコ(楽々森彦)」があやしい、とは思うのですが。
そうすると、もう一人の有名な「トメタマノオミ」がさらに謎だなぁ……。
段々難しくなってきたのでやめときましょう。
こんな風に『桃太郎』の源泉を妄想するのも楽しいのですが。
面白いのは、謡曲「吉備津宮」で、鬼神のことを「吉備津の冠者(火車)」と書いていることですね。
「火車」といえば、「燃え盛る荷車を引く妖怪」で(一説に猫又)、死体を盗んでいく、と言われています。
音が似ているから、という理由で字を当てたんでしょうけれども。
ネガティブキャンペーンじゃないのか?と思ってしまいますね。
きっと、人気があったはずの「吉備津冠者」を、一気に妖怪に貶める、という。
あるいは、『鬼城縁起』に登場した「剛伽夜叉(ごうきゃやしゃ)」という名前がなまって、「火車」になったのでしょうか。
「ゴウキャヤシャ→ゴウキャシャ→(ゴウ)キャシャ→カシャ」。
無理ありすぎ、ですが妄想なので。
でも、謡曲ということは「歌われる」わけですから、「ゴウキャヤシャ」は言いづらい、よし略したろう、と。
案外、そんな理由かも。
また、『温羅伝説』で紹介されている伝説では、「温羅」が案外殺されていないんですよね。
捕まった、降参した、という感じで、明白に殺されて首をはねられてその肉を犬に食わせたなんてのは『鬼城縁起』だけ。
ということは、(1)地元で人気者だった「温羅」を殺してしまう、という話があまりウケなかったのか、(2)本当に殺しちゃったんだけど、地元感情をやわらげるために「降参」したことにしたのか。
記紀神話を見ると、「日本武尊」とか、結構エグい手で兇賊を殺していますので、敵対するものを討って誇る、というメンタリティは存在したはずですが。
それを表立ったものにしていないのは、地元への配慮でしょうか。
それとも、吉備は恭順をしたんだけれど、一部の連中がそれを認めず歯向かったので、殺したんでしょうか。
相反するイメージがあるのは、後者だったからじゃないか、と思わせるものがあります。
いずれにしても、「吉備津冠者=温羅」的な人物は、ほぼ間違いなく誅されてしまったことでしょう。
「名前の交換」というのも、世界中でよく見られるモチーフの説話ですね。
パターンは違いますが、日本では、「俺を倒したお前に、俺の名前を送るぜ」という少年漫画みたいなノリです(古代から、燃えるシチュエーションだったのかも)。
有名なのは「日本武尊」です。
これ、本当は「相手の名前を奪う」が正解だと思うんですよね。
名前の呪力が信じられていた時代には、「名前を奪う」ことは、魂を奪うことに等しいわけで。
だから、「倒した相手の名前を奪う」ことに意味があるんですね。
本来なら、「倒した相手」ですから、自分より弱いわけです。
そんな名前、喜ばなそうなんですが。
「名前を奪って、相手を完全に支配した」ということを表明したんでしょうね。
いやぁ、徒然に妄想すると一貫性がないことに驚きです。
これをうまいことまとめるなんてことは、高田崇史氏とかを連れてきてもらわないとだめですね。
「温羅」のことを考えるには、実は「鬼ノ城」という朝鮮式山城が欠かせません。
時間がなくて行けなかったので、全く言及できませんでした。
みなさんには、↑こちらをお読みになって、「行ってみたいな吉備の国」と思っていただければ幸いです(岡山県からは何もいただいておりません)。
以上、中途半端な妄想でした〜。