べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「佐助稲荷神社」

10/21。

よんどころない事情をすませた翌日。

かれこれ9年ぶりになるでしょうか、鎌倉の土を踏みました。

というわけで、最初に出かけたのは「佐助稲荷神社」。

 

◯こちら===>>>

鎌倉、銭洗財弁天、佐助稲荷神社

 

東京から、紆余曲折(朝のラッシュ、霧での遅延、踏切事故での遅延等等……)を経てたどり着いたときには午前11時前。

予定より1時間くらい遅れております。

ともかく、痛む足を引きずって(小指の皮、めくれてますから)、市役所前交差点から御成隧道を潜ります。

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「光の中へ」が頭の中で流れています……。

 

天空のエスカフローネ(3)

天空のエスカフローネ(3)

 

 

何となく、ですが(「青い瞳」でも可)。

神社仏閣とは関係ないですな……。

 

 

どうやら、修学旅行の小学生と同じコースを回るらしく、元気な子ども達が走っていきます。

おっさんは、もちろん早歩き程度。

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稲荷さんといえば、の赤鳥居。

伏見稲荷」の赤鳥居の連続性が美しいのですが、それに負けず劣らず印象的です。

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狭い参道にずっと続いています。

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……結構な山の中だったんだなぁ……(昔、訪れているはずなんですが、全く忘れていました)。

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鳥居が途切れても、まだまだ。

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やっとこさ拝殿。

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鄙びた、という感じが素敵なスポットです。

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さらに階段を上ると、奥宮があります。

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祭神

宇迦御魂命

大己貴命

佐田彦命(さるたひこのみこと)

大宮女命(おおみやひめのみこと)

事代主命

 

伊豆の蛭ガ小島に流されていた源頼朝が病に伏していた時、「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち、平家討伐の挙兵をうながしました。後に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探しあて、稲荷神社を建てたと伝えられます。幼少のころ佐殿(すけどの)といわれていた頼朝を助けたので「佐助」の名を付けたといわれています。

参道登り口に縁結びの十一面観音が祀られています」

 

 

そんな由来があったとは……。

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「霊狐泉

佐助の稲荷山は往古より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊狐の神水と讃え家々の神柵に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず涌き出づる霊狐の泉なり」

ぐっと雰囲気のある泉ですねぇ。

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「源十郎弥十郎事(佐助稲荷霊験譚)」

要約すると、

「源十郎という魚商人が由比ケ浜を通りがかると、犬が狐を追いかけていたので、狐を助けてやった。その夜夢に狐が出てきて、

 

「左介谷で大根(蘿葍)を作ったらかなりいいんじゃね?」

 

ということだったので畑を借りて作った。その年、鎌倉では疫病が流行ったが、誰かの夢に

 

「左介谷の源十郎の作った大根を買って食べれば全快っすよ」

 

とお告げがあったので、みんながこれを買い求めた。源十郎は金持ちになったので、「これも狐のおかげ」と稲荷神社を建てました、とさ」

 

昔話によくある畜生報恩譚ですが、夢のお告げが二回出てきているのと、そのお告げで「大根を買って」と言っている辺りに独自性を感じますね。

 

 

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こちらは、参道麓にある「下社」です。

「十一面観音」が安置されているのもこの辺り。

こちらの案内板では、「十三世紀に疫病が流行ったとき、佐介稲荷のご加護で生まれた薬草が、病を癒した」とあります。

恐らく、こちらの伝承から、「源十郎」の話ができたのではないかと思われます。

 

 

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至るところにお狐様が。

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……これはどこに通じているのやら……。

そして、「佐助稲荷神社」といえば、

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この参道を見下ろした風景ですねぇ。

(※アニメ『天空のエスカフローネ』第一話を参照してください)。

うーん……堪能。

拝殿脇には社務所があり、そこに神職さんがおられたのですが、その雰囲気もまた鄙びていまして……さすが古都・鎌倉といったところでしょうか。

修学旅行中らしき子ども以外には、参拝客を見かけませんでしたが……穴場スポットでしょうか。

山の懐に抱かれた様子はまさに「隠れ里」、です。

霊験灼かかどうかはわかりませんが、石段を登り切れば、芳醇な木々の薫りに肺が満たされて、森林浴効果プラス(昔であれば)冷水で人心地着く、何とも健康的です。

わっと人で溢れているよりは、こうしてひっそりとたたずんでおられた方が、個人的にはうれしいですねぇ。

 

 

さて。

お稲荷さんですから、主祭神は「ウカノミタマノカミ」で納得です。

一緒に祀られているのが、「オオナムチ」と「コトシロヌシ」なのが何でかなぁ……「ウカノミタマ」を「スサノオ神」の御子神とすれば、同じ血統の「オオナムチ」「コトシロヌシ」をお祀りしていても不思議ではないか。

それにしては、「サルタヒコ」と「オオミヤヒメ(アメノウズメの別名)」の夫婦神が一緒に祀られているのが、何とも腑に落ちません。

と思いきや、「伏見稲荷大社」に「佐田彦神」が、「稲荷三神」の一柱として祀られているそうで。

うーん……「ウカノミタマ」と「サルタヒコ」と「オオミヤヒメ」を、「稲荷」でまとめあげる論理はなんなんでしょう……もう一度「伏見稲荷大社」にお参りしたら、考えてみましょうか。

また、表記が珍しく、「佐田彦」と書いて「サルタヒコ」と読ませています。

Wikipediaサタヒコ」の項目によれば、比較的新しい表記のようです。

出雲の「佐太神社」の主祭神佐太大神」との関係があるのかないのか、

 

都波岐奈加等神社 - べにーのGinger Booker Club

 

↑でも書いております。

「稲荷」との関係がなぁ……よくわかりません。

ただ、何となくこう、ぼーっと見ていてですね、「エビス(コトシロヌシ)」「ダイコク(オオナムチ)」に、「キツネ(ウカノミタマ)」に「天狗(サルタヒコ)」、そして「ウズメ」……日本のお祭りに欠かせない感じがしますし、何となく「七福神」と被る部分もあるのではないでしょうか(「ウズメ」は、芸事の神として、「弁財天」っぽく)。

誰か、そんなことを研究している人を見つけたら、教えてください。

 

 

さてさて。

先ほども出てきた「源十郎」のお話ですが。

「源氏」で「十郎」といったら、源行家のことらしく(源為義の十男/新宮十郎)。

この人、軍事的な才能はからっきしで、最終的には頼朝の出した討伐軍に捕まって斬首されていますが。

以仁王平氏討伐の令旨を全国の源氏に触れ回り、最終的に源頼朝の決起を促した、のだそうです(すいません日本史からっきしです)。

そんな人に関係ありそうな名前が、「佐助稲荷」の伝承として伝わっているとなると……何かありそうですよねぇ……と高田崇史ファンとしては思ってしまうわけです。

 

 

 

 

妄想ですな。

 

 

さてさてさて。

「佐助」の「佐」という文字は、そもそも「すけ」と読みます。意味は「助ける」ですね(「佑」もやっぱり「すけ」です)。

「人」の「左」や「右」にいる、ということはその「人」を「助ける」、という意味なんでしょうか。

その「佐」に、さらに「助」(「介」)をつけて「佐助(佐介)」って、どんだけ人助けるつもりなんですかねぇ。

 

 

 

さてさてさてさて。

「猿飛佐助」が何で「猿」なのか、は「佐助稲荷」が関係しているかもしれません。

 

 

 

 

大嘘です。

うふふ。

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