9/13。
「出雲大社」を堪能して(まだまだ足りませんでしたが……)、ちょっと思案。
実は、今日中に岡山に戻らねばならず(宿が岡山)、そうすると、あまりゆっくりしていられない。
出雲ではせいぜい、あと一カ所を回るくらい……。
出雲といえば、熊野神社、美保神社、佐太神社……行きたい神社はたくさんありますが……。
松江に泊まればよかった。
心底後悔しました。
しかし、そんなことはすぐに忘れて、タクシーを拾ったら口が勝手に行き先を告げていました。
「日御碕神社」です。
◯こちら===>>>
思ったより疲れていたらしく、「稲佐の浜」(※こちら===>>>
稲佐の浜(いなさのはま)|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】)を通りがかったときに、タクシーの運転手さんがいろいろお話くださったのに、「はぁ……」とポカーン。
神社が近づき、「上から眺めることができます」と教えてもらったのに、写真も撮らずにポカーン。
訊いたことと言えば、「結構遠いっすねえ」……だけ。
何しに行ったんだ、お前は。
ともかく、
無事到着しました……激逆光……。
こっちもか……。
日が西に傾いているんですねえ……。
朱塗りの立派な楼門です。
何故、朱塗りなんでしょうかね……「出雲大社」は質素な造でしたのに(規模を考えると、どちらが豪華なのか、はわかりません)。
狛犬が木製でした。
古来両本社を総称して日御碕大神宮と称す」
とあります。
もともと、ここにはなかったんですね。
「現在の社殿は、徳川三代将軍家光公の幕命により建立」した、「西日本では例のない総権現造」だそうです。
あの時代の流行り、「東照宮」系ということですね。
「日沈の宮」。
注連縄は、なかなかごついです。
出雲的、とでもいいましょうか。
それより、手前の松がいい感じな写真……に見えませんか?
あとは逆光逆光です。
本殿の右手奥の方に、
「韓國(からくに)神社」がありました。
朝鮮半島が近い出雲です、渡来人も多かったことでしょう。
また、「素戔嗚尊」は、一時新羅におられた、という話が『日本書紀』にはあります。
「出雲国風土記」を見てみると、あきらかに渡来系っぽい名前の社も多いです。
そんなことから、あるのかも知れません。
◯こちら===>>>・ 出 雲 に 残 る 韓 国
↑を参照……全然違うっぽいです。
「蛭児(ひるこ)社」。
「えびす社」かもしれません。
神社の近くに、「恵比須」という集落があるようです。
海の近くですから、さもありなん、ですね。
こちらは……何のお社だったか……。
これは多分、神輿を入れる蔵だと思います(校倉造っぽいし)。
元は朱塗りだったんでしょうねぇ……往時が偲ばれます。
見上げれば、「神の宮」。
社殿が、先日の台風で壊れてしまったのだそうです。
修復中。
残念です。
十九のお社が合わせて祀られています。
名前からするに、各集落で祀られていたのではないかな、と思います。
「問社」とか、興味をそそられる名前もありますね。
上から見た「日沈の宮」。
楼門からパノラマってみました。
一段高いところに、お稲荷さん。
ちょっと切なげな感じ。
岩、がお祀りされています。
何の岩でしょうか……。
こちらは井戸ですね。
「荒祭宮」。
荒々しいお祭、ということなのか、「荒魂」をお祀りしているのか。
全景。
「日本総本宮」なのだそうです「神の宮」。
門の付近にあるお社二つ。
なんでしょう……多分、どちらかは「市杵島神社」じゃないかと思うんですが。
海が近いので、宗像三女神も祀られているだろう、という単なる勘ですが。
多分、外れています。
広大さはもちろん「出雲大社」に及ばないまでも、古来から続くという意味では引けをとらない「日御碕神社」。
もともとは、この浜に浮かぶ「経島(ふじま/ふみしま)に祀られた「日沈の宮」と、現社地の背後の「隠ヶ丘(かくれがおか)」に祀られた「神の宮」。
それを、あわせてお祀りするようになった、ということのようです(「日御碕神社御由緒略記」より)。
「経島」は、別名「日置島」とも呼ばれていたそうで、これは「天照大御神」をお祀りしたためにそう言われたのか、夕日が沈むポイントだったのか。
「隠ヶ丘」は、「素戔嗚尊」が国造りをすませて根の国に渡り、そこから柏の葉を飛ばしたところ「隠ヶ丘」に落ちたので、そこに隠れることとした、という伝承があるようです。
神社の伝承は、正確な発祥年代がわからないので、後世に付け加えられた可能性が多々あります。
が、それにしても、「日沈の宮」という発想はなかなかセンスがあるかな、と。
そもそも日本海ですから、「日の出」を拝める海ではないわけです。
常に「日没」。
ですから、「日の出る処伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲国日御碕清江の浜に日沈宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らん」という勅が残っているのでしょう。
出雲からしたら、太陽の神は「沈む」神なんですね。
天孫は、「自分は太陽の神の末裔なので、太陽に向かって攻めるより、太陽を背に受けて攻める方が、敵に対しては威力を発揮するだろう」と、日神の末裔であることにかなり自覚的でした(あるいは、そう思わせたかったか)。
彼らにとって、日没は、自らの霊力が尽きることを意味しており、よって夜は忌み嫌われるわけですね。
日神に欠けているものは、夜の霊力。
それを、「日沈む国」、夜の国、あるいは根の国である出雲から拝借(強奪)して、自分たちの欠けている部分を補ったのではないでしょうか。
その代償として、燦々たる太陽神「天照大御神」を「沈める」ような社を造らざるを得なかった。
出雲の地では、日神を屠っているのです。
……。
…………。
………………。
違うかなぁ。
……。
……。
さて、タイミング悪いことその1。
到着した時間が、1時間に1本しかないバスが出た直後でした。
しかたがないので、神社を出たところのお土産屋さんで、「出雲そば」なぞいただきながら、暑さをしのいでいました。
もうちょっとで、ビールを飲むところでした……いかんいかん。
タイミングの悪いことその2。
地元小学生達の写生大会に出くわしました。
写真を撮るのに邪……。
(げふっ)
渋いところで写生大会をするんですね。
ちょっと、羨ましかったです。
さよなら出雲。
次はレンタカーを借りたい!!