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近江まできたけれど、「多賀大社」以外の行き先を考えていませんでした。
ですが、「湖東三山」という看板が目についたので。
行ってみました「西明寺」。
◯こちら(※音が鳴るので注意)===>>>西明寺
「当寺は天台宗寺院で平安時代の承和元年(834)に三修上人が、仁明天皇の勅願により創建されたのである。
平安、鎌倉、室町の各時代を通じては祈願道場、修行道場として栄えていて山内には十七の諸堂、三百の僧坊があったといわれている。
源頼朝が来寺して戦勝祈願をされたと伝えられている。
戦国時代に織田信長は比叡山を焼き打ちしてその直後に当寺も焼き打ちをしたが、幸に国宝第一号指定の本堂、三重塔、二天門が火難を免れ現存しているのである。
江戸時代天海大僧正、公海大僧正の尽力により、望月越中守友閑が祈願、修行道場として復興され現在に至っている。」
何か、言い回しが妙ですね。
ともあれ、国宝がある、というのはなかなか有り難いです。
ただ、国宝くらいでは人もなかなか呼べないのでしょうか。
大挙して寄られても、困りますが。
門を潜り、かなり上って拝観料をお支払いし、ついでに御朱印もお願いして、まずは「蓬萊庭」へ。
残念なことに、造園に関して何らセンスのない私です(他にセンスがあるのか、と言われれば「無い」んですが)。
やや曇りがちではありましたが、こうして改めて写真で見ると、遠近を生かした造りになっているんですね。
見応えがあります。
地を這う部分にも手抜きなく。
そして、蛙がいらっしゃる。
名古屋の中では、それほど都会ではない実家ですが、それでも突然、ドアのところに蛙がいて驚いたりします。
トノサマカエルは、いいデザインしてますよねぇ。
ぶれちゃった。
「龍神社」でお参り。
こちらは「龍応山西明寺」とおっしゃるお寺なので、龍がいらっしゃったのでしょう。
請雨に関係あり、でしょうか。
まぁ、密教も呪いも、「雨を降らせてなんぼ」の時代がありましたから。
「稲荷大明神」。
苔生した岩の上に、という朱塗りと苔緑のコントラストが素晴らしい(写真は、くすんでますけれど)。
……苔泥棒?とかがいるんですかねぇ。
谷ってほどの谷ではありませんが。
汗はかきました。
国宝の本殿。
境内があまり広くないので、ポジションを考えないと全景が撮れません。
威容、と形容したくなる造りでした(計算されているんでしょう)。
逆光……。
本殿の中も拝観できます。
賓頭盧(びんずる)尊者の像。
お釈迦様の弟子です。
賓頭盧様の像を撫でる(自分の悪いところと同じところ)と、快方に向かう、という信仰があります。
「撫で牛」とかと同じですね。
「形代」の信仰、というのは世界中でも見られます。
自分の悪いところを肩代わりしてもらう、というわけです。
神様仏様にしてみればたまったもんじゃない気がしますが、そこは尊い方なので。
でも、「撫で牛」はどうなんですかねぇ……。
これを、他人を呪うときに使うと、「丑の刻参り」になりますね。
相手の髪の毛を入れた人形を針で刺すと、同じ場所を相手が怪我をする、とか。
「撫でる」理由はよくわかりませんが、「触り」は「障り」だったわけで。
よくわからないもの(病気とか)は、「触る」つまり接触感染する、と考えられていたんですね。
これは、一面としては正しいんですが(実際に接触感染や空気感染する病気があり、そうなると当寺の医療技術では感染源である人を隔離するくらいしかないわけですから)。
後々、様々なものが「触ると感染する」と信じられて、ひどい迫害やいじめや、そういったものにつながっていきます。
これは、現代でも残っています。
接触感染に対する恐怖というのは、日本人だけのものではありません。
迫害やらいじめやらは、世界中で起こっているんですね……。
賓頭盧様を撫でて肩代わりしていただければどんなによいか。
……。
さて、本堂にお邪魔することができますが、当然内部は撮影禁止です。
僧職の方ではなさそうですが、内部の案内をしていただきました。
関西のテンポよい喋りが、かなり心地よい感じです。
ご本尊は「薬師如来」。
こちらは秘仏ということで、公開されておりません。
しかし、脇侍の日光・月光菩薩、十二神将、四天王等の絢爛勇壮な仏像は観ることができます。
こちらの「十二神将」は、頭にそれぞれが守護する干支の像を乗せておられます。
説明によれば、「字の読めない人でも、自分の干支さえ知っていれば、どの像の前で拝めばいいのかわかるように」干支の像を乗せておられるのだそうです。
功利的ですな。
蛇、龍、虎なんかは猛々しくていいんですが、鼠、兎となってくると、もはやキャラクターの域です。
さらに、本殿の裏側も見せていただけます。
こちらには、同じく秘仏(現在絶賛公開中!)の「玄武刀八毘沙門天三尊像」があります。
大きな仏さんではないですが、非常に珍しいお姿ですので、是非今のうちにご覧いただきたいと思います(今年の12月まで御開張ですよ〜)。
HPより、
「10本の手があり、うち左右に突き出た8本が刀を持つ珍しい毘沙門天像。唐の西域兜跋国(せいいきとばつこく)
日本に伝わった当時は兜跋(とばつ)
また、上杉謙信が軍旗に掲げた「毘」の文字は自らを京の都を守る存在と誇示する為に刀八毘沙門天からとったものであり、謙信が戦いに優れていた事から勝運の仏様と言われている。」
とのことです。
お姿は、公式HPで写真が見られますので、そちらを是非とも。
「兜跋毘沙門天」の像、というのは、あちこちで観ることができますが(実際は、そんなにあちこちではないか)、十臂で、しかも刀を八本も持った、というお姿は本当に珍しいと思います。
本来の毘沙門天のデザインから比べれば、完全に過剰です。
それがよかったんでしょうねぇ……。
他にも、これまた過剰に習合した「弁財天」像があります。
HPより、
「老人の顔をもった白蛇の形をした五穀豊穣の神とされる宇賀神を頭上にいただき鳥居を関した八本の手をもった八臂像である。
440年前に織田信長により焼き打ちにあった弁財天が、NHK大河ドラマ第50作『江〜姫たちの戦国』(平成23年放映)の第3話「信長の秘密」で放映されました。」
とのことです。
お話してくださった方によれば、この本殿裏側、たくさんの像が並び、護摩壇もあって法事が行われるところなのですが、撮影機材を入れるために、動かしたりなんだりしたそうです。
それはもう大変だったそうですが、わずか数分、しかも西明寺のクレジットはされなかったとか。
戦国時代から、信長さんには悩まされ続けている、というわけですな。
親鸞上人の像があったり(何故あるのか、という由来もお聞かせいただきました)、元三大師(慈恵大師)の像があったり(「角大師」の護符、いただけばよかった……)、見所満載です。
本当に。
そして、光の加減で表情が変わる、という仏像も……これは実際に観ていただかないと、なかなかその感動が伝わらないんですが、宗教施設というのは、信者の信仰心を根こそぎ吸収するためであれば、どんな技法も使うのをいとわない、という凄まじさがありますね。
キリスト教の大聖堂然り。
これも、そんな執念のようなものかもしれません。
悟りを得るためであれば、トリックのような技法は必要ないわけです。
その辺り、人間の業はまた深い、ですなぁ。
たっぷり20分以上は解説いただき、有り難い限りでした(他の寺への拝観を諦めましたけれども)。
さて、本堂裏に実際に回ってみますと、「閼伽池(あかいけ)」とやらが。
「閼伽井」と呼ばれることが一般的です。
「閼伽」はサンスクリットで「価値のあるもの」とかという意味だそうで、「水」とか「功徳水」とか訳すそうです。
様々な修法に用いるそうですが、詳しくはわかりません。
……注連縄、下がってますね……。
逆光にもめげず、三重塔。
装飾もはがれ、古式然とした、この枯れた感じに、日本人は弱いのかもしれません。
「二天門」。
「金剛力士」の代わりに置かれることも多いらしい、です。
足下に邪鬼を踏んでいるのか、確かめるのを忘れました。
さてここからは、「二天門」を下っていきます。
基本、景色しか撮影していません。
ちょっと光量が足りませんが。
苔が美しいんです。
なるほど、先ほどの注意書きの意味も分かる気がします。
この苔生した様を観るだけでも、こちらを訪れた甲斐がある、という気がします……。
天然記念物の「不断桜」があるそうですが、時期が時期なので。
久しぶりの仏閣。
しかも密教系、ということで、やはり仏像がたくさん安置されているのがいいですよねぇ。
『黄門★じごく変』から密教に興味を持った(何故?)世代としては、眼福眼福、でございましたよ。
ああ、図録を買ってこればよかったなぁ……。
「湖東三山」、俄然制覇したくなりましたので、雪が降る前か、春になったら、行ってやろうと思っていますよ。
「医王殿」と書いてあります(「醫」は「医」の旧字)。
ご本尊「薬師如来」のことを、「薬師大医王」とも言いますので。