べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「荏原神社」

8/3。

遠出をする予定があったので、ひとまず東京へ。

品川経由、京急本線で新馬場駅で降りまして、事前に検索しておいた神社へ。

「荏原神社」です。

 

◯こちら===>>>荏原神社

 

f:id:bennybebad:20130803130919j:plain

 

目黒川沿いに参道入り口があり、一瞬どこから入ればいいのか迷いました。

f:id:bennybebad:20130803130932j:plain

f:id:bennybebad:20130803130939j:plain

f:id:bennybebad:20130803131123j:plain

f:id:bennybebad:20130803131138j:plain

祭神は、「高靇神(たかおかみのかみ」、「須佐之男命」、「天照皇大神」、「豊受姫命」、「天手力男命」。

 

「郷社荏原神社は元明天皇御代和銅二年九月九日の創立にして明治元年十月十二日明治天皇御遷都の際畏くも内侍所(今の賢所)御鎮座あらせられし所なり」

 

だそうです。

f:id:bennybebad:20130803131154j:plain

f:id:bennybebad:20130803131224j:plain

逆光過ぎて見えませんが、龍の彫刻があります。

それよりは、金色の紋が撮りたかったのかもしれません。

f:id:bennybebad:20130803131244j:plain

f:id:bennybebad:20130803131250j:plain

狛犬

f:id:bennybebad:20130803131302j:plain

逆光……。

千木、鰹木が撮りたかったようです。

f:id:bennybebad:20130803131324j:plain

f:id:bennybebad:20130803131347j:plain

 

明治天皇が京都から東京に遷る際、ここで休憩された、ということです。

東海道を陸路、ということですから、品川宿では大きな勢力のあった神社、ということでしょうか。

f:id:bennybebad:20130803131429j:plain

「品川拍子」の解説。

 

◯こちらのHP参照===>>>•i씎q

 

お祭りの際、神輿の進行に合わせて太鼓を叩き、威勢のいい調子の曲を奏でる、というもののようです。

さて、御祭神を先ほど書きましたが、実は他にも「大鳥大神」、「恵比須神」、末社にも多くの神が奉られております。

このうち、中心として奉られているのは、「高靇神」。

聞き慣れないお名前ですが、記紀神話・火神カグツチノカミを、イザナギノミコトが斬った際に、その剣から流れ出た血から生まれた神である「闇淤加美神(くらおかみのかみ)」、と関係があるようです(ともに生まれたのは「闇御津羽神(くらみずはのかみ)」)。

日本書紀』の同じ場面を描いた一書(あるふみ)に、雷神、山神とともに生まれたのが「高靇神」です。

クラオカミノカミ」の「クラ」は、「谷」といった意味。

「タカオカミノカミ」の「タカ」は、「山」のことだそうです。

つまり、「山から流れ出る川」と「谷あいを流れる川」、という対置されるものではないか、と考えられます。

「オカミ」が何を意味するのかがわからなくなっているのですが、古来より「龍神」と考えられています。

「龍神」は「水神」で、祈雨・止雨にご利益があります。

稲妻轟く雷雲から、突如降り出す豪雨は、山肌を駆け下りて谷を削ってあらゆるものを飲み込んでいきます。

この様をとらえた神ではないか、と想像できますね。

元々、「水神」は大蛇だったんだろうと思いますが(「八岐大蛇」とか)、龍が輸入されて、そちらと取って代わったんでしょう。

この古い神が主祭神なのは、元々この神社が「貴布禰神社」だったから、なんですね。

奈良にある丹生川上神社から「タカオカミノカミ」を勧請したのが始まりだそうです。

京都の「貴船神社」が元祖の「貴船神社」、全国にありますが、いずれも基本的には請雨のために奉られたものでしょう。

雨が降るか否か、はいつの時代も最重要課題ですから。

そして、水神つながりなのか、

f:id:bennybebad:20130803131358j:plain

恵比須神」も奉られています。

「東海七福神」の「恵比須」様担当、だそうです。

 

◯こちら===>>>東海七福神マップ

 

近くに川が流れ、海も目と鼻の先、ということであれば、「恵比須」様が奉られても不思議ではありません。

「恵比須」様は、元々「蛭子神(ひるこのかみ)」で、イザナギイザナミ両神による国生みの際、手順の違いから生まれた骨のない御子神です。

正しい手順を踏まないと流産する、という民間伝承から来ているのではないか、と思います(他にも、いろいろと異論あり)。

葦の船(「古事記」/「日本書紀」では「天磐楠船」)で流されて以降、顧みられることの少なかった御子神ですが、実は摂津国に流れ着いて「夷三郎大明神」になったとされています。

有名な西宮神社の「戎」様ですね。

大国主命」の御子神である「事代主命」も、釣が好きだったところから、「恵比須」様の原型と言われていますが、たかだか「釣が好き」だからといって、後に七福神にまで数えられる神と奉られるでしょうか(海幸彦じゃだめだったのか、という話ですが、あちらは皇統の祖ですからねぇ……)。

これは、どちらが先なのか、という話ですが、水死体を「恵比須」と呼ぶことがあります。

事代主命」は、海に隠れた(=水死した?)神ですし、「蛭子神」は海に流された神です(流す、というのは送るということで、「精霊流し」にも見られますが、異界=死の国へ送り出す、という意味を持っています)。

そういう存在だったのだ、と誰かが広めたんでしょうかねぇ。

「エビス」というイメージは、「夷」「戎」とあり、これは中国では「蛮族」「異民族」を表す言葉でもあります(「東夷(とうい)」、「西戎(せいじゅう)」……有名な「魏志倭人伝」は、正式名称を「魏志烏丸鮮卑東夷伝倭人条」と言いますね。つまり、中国にとって、日本は「東の野蛮人」だったわけです)。

日本では、「蝦夷(エミシ)」を表すのに使われる字です。

何らかの「境」を越えて、こちら側にやってくるもの、というのが「エビス」のイメージで、「客人神(まれびとがみ)」などとも表現します。

水死体も、どこか別のところから「流れ着く」ものです。

異界からやってくるものは、こちら側の世界を「更新」する力を持っている、と考えられていました。

ですから、非常に重宝されたのです。

もちろん、「良いもの」だけを運んでくるわけではありません。

丁重にお祭りするのは、そのためですね。

特に結論はありません。

結構境内は広く、境外末社には

f:id:bennybebad:20130803131635j:plain

f:id:bennybebad:20130803131615j:plain

「稲荷社」、「熊野神社」(右)、「八幡宮」(左)も合わせて奉られております。

f:id:bennybebad:20130803131646j:plain

f:id:bennybebad:20130803131711j:plain

そこからの本殿。

入母屋造、でしょうか。

f:id:bennybebad:20130803131451j:plain

鎮守橋。

川を渡るのが本来の参拝ルートなのかも知れません。

で、「荏原神社」近くに、小さな稲荷社がありました。

f:id:bennybebad:20130803130420j:plain

f:id:bennybebad:20130803130406j:plain

「稼穡稲荷(かしょくいなり)」さん。

f:id:bennybebad:20130803130502j:plain

f:id:bennybebad:20130803130443j:plain

f:id:bennybebad:20130803130451j:plain

f:id:bennybebad:20130803130432j:plain

なかなか立派なイチョウの樹があり、天然記念物に指定されていました。

「稼穡」というのは、「種まきと収穫」を意味する言葉だそうです。

まさか、銀杏を拾ったことを表現しているわけではないでしょう。

「稲荷」といえば、「稲穂」。

豊作を祈願したものと思われます。

 

「荏原神社」ですが、他にも「准勅祭社」に名を連ねていたりして、往時は重要な位置にあったことがわかります。

また、この神社から河口に向かった辺りの地名を「天王洲」と言います。

今まで何の気なしに呼んでいたんですが、どうやらこの地名、今の「荏原神社」に室町時代牛頭天王」の神面が流れ着いたことが由来のようです。

海域は神域として禁漁区となり、祇園感神院(八坂神社)にならって天神祭が行われるようになり、「天王洲」と称されることになったとか。

日本は島国、海の国です。

いろんなものが「流れ着き」ます。

神のお面だったり、観音様だったり。

それらを「客人神」として畏れ奉るという風習は、文化文明の終着点としての地理的条件と何か関わりがあるのかもしれません。

 

 

あ、でたらめです。

 

日本の神様読み解き事典

日本の神様読み解き事典

 

 

御朱印をいただきたかったのですが、立ち入り禁止テープが社務所の前に張られておりまして、人の気配もなく、断念した次第です。